インドの旅3 2008年11月10日(月)-3日目 ムンバイからアウランガーバード(インドの旅1の地図参照)に飛行機で移動してきた。ここは、石窟寺院見学の拠点になっている町で、ムガール帝国6代目の皇帝アウラングゼーブ帝の名にちなんでいる。 デカン高原と言われるこの一帯は、火山で隆起したテーブル状の山が多い。石窟寺院が密集しているのが頷ける地形だ。 まずアウランガーバード石窟寺院へ。6〜7世紀に掘られた仏教寺院。岩が柔らかすぎたので、掘るのをやめてエローラに移ったそうだ。後に見る石窟に比べると貧弱だが、入り口の壁面(左)にもたくさんの仏像が細かく掘ってあり、もしこれが日本にあったなら、間違いなく観光スポットになっている。 次はビビーカ・マクラバーというイスラム教の廟に行った。写真を見たほとんどの人は「タージマハルね」と言うに違いない。それほど建物も庭も似ているが、規模も使っている材料もまったく違う。
4本あるミナレットのうち1本が修理中だった。ここで面白い光景を目にした。6人のインド人が修理材のラワンをリレー方式で持ち上げている。バケツリレーを下から上にやっているようなものだ。のちに、インド人が、もっと力持ちだという場面を目撃した。力持ちでもあるし、人件費が考えられないほど安く、人が余っているのだろう。 廟の裏は広い公園になっていて、大きな木の下で校外学習の小学生が遊んでいた。こぎれいなカーキ色の上下に、半数はえんじ色のカーディガンを着ている。インドの気候はホット・ホッター・ホッテストだと言う人もいるが、とんでもない。この時期11月はデカン高原でもセーターを着ることがあるのだ。ちなみに、旅行の間、暑くて苦しかった日は一度もない。 昼食後にエローラの石窟寺院へ。2`にわたって34もの石窟寺院がある。1から12窟までが5〜7世紀の仏教窟、13から29窟までが6〜10世紀のヒンズー教窟、30〜34窟までが9〜12世紀のジャイナ教窟。 とてもじゃないけど、すべての見学は出来ないから、ガイドの導くままについて歩く。 これらの石窟群には「スゴイわねえ」としか形容の言葉がない。こんな陳腐な表現しかできないのは情けないが、一枚岩をノミと金槌だけで掘っていったその根気、芸術性の高さには「スゴイ」としか言いようがないのだ。 なかでも10窟の仏教寺院(左)は、色彩がないのに思わず「きれい〜」が口から出たほど。木造建築の梁を思わせるアーチにまで彫刻がある。空間を飛んでいるように見える天女たちも美しい。仏教寺院なのに男女のなまめかしい像もある。説法印を結んだ仏像も穏やかな顔で、にわか仏教徒の私を迎えてくれた。 12窟は3階建ての僧院だ。上部から下に向かって掘られたので、3階の彫刻は凝っているが、下にいくにつれ簡素だ。3階には中央の仏像の両側に7体の説法印の仏像と瞑想印の仏像並んでいる。この頃までは仏教も盛んだったのだなあと実感する。 次に見物したヒンズー寺院の16窟はスゴイを通り越して度肝が抜かれる。人為的な石窟寺院では、世界でもっとも大きい。高さ40b、縦90b、横6bの寺院が1枚岩から作られたのだ。 150年かかっているということは、当時の寿命を考えると、3代から4代に渡っていたのではないか。ヒンズー寺院だからシヴァ神を祀っている。奥さんのパールヴァティ、息子のガネーシャのレリーフもある。寺院を支えるのは、たくさんの象の像だ。こここそ、エレファンタ寺院と呼びたい。この寺院全体を上から眺めると、1枚岩で作られたことがよく分かる。
最後はジャイナ教寺院の32窟へ。歩いていけないことはないけれどバスで行った。それほど石窟が長く連なっている。32窟の天井には大きな蓮が描かれている。奥にはジャイナ教の開祖であるマハーヴィーラ像があった。 ちょっと見ると仏陀に似ているが、そもそも、ジャイナ教は仏教と同じときに成立した宗教である。今の信者は0.5%だが、商売で成功する人が多く、ジャイナ教の寺は立派なものが多いそうだ。1世紀に、白衣派と空衣派に分かれたという。空衣は、わかりやすく言うと裸のこと。仏像に似ていて、しかも何も着ていなかったらジャイナ教の像だと思えばいい。今でもジャイナ教の坊さんは裸だという。残念ながら裸坊さんは見かけなかった。 <アウランガーバードのアジャンタ・アンバサダー泊> (2010年5月16日 記) |