インドの旅5
 ピンベトカの壁画とアショカ王の仏塔

2008年11月12日-5日目

 マッディヤ・プラデシュの州都ボーパールは、2つの世界遺産見学の拠点になっている100万人都市。住民の25%がイスラム教徒なので、100以上のモスクがありインドでいちばん大きいモスクもここにある。

午前中は、世界遺産の壁画が残る洞窟・ビンベトカを見学する。南に46`の距離だが、バスでは1時間半もかかる。インドの道路事情はすこぶる悪く、舗装はしてあるのにガタガタ揺れる。私はバスの中でメモをとっているが、自分で書いた字が読めないほど激しい動きをする。後ろの席になった時は居眠りもできやしない。

ホトケサマとカミサマは当分勘弁して欲しいという願いが叶ったのか、ビンベトカの壁画にはカミサマ・ホトケサマが描かれていない。それもそのはず、ほとんどが、宗教が出現するずっと以前の1万年前と5000年前の壁画だ。なかにはAD3世紀のもある。ここのガイドは知的な感じがするヴィルマさん。日本語が話せないのでシャルマさんが通訳した。

壁画 壁画 壁画
動物の骨で描いた1万年前の壁画 狩りをしている様子 植物の葉で描いた5000年前の壁画

白い色彩の絵は、動物の骨で描いたもので1万年前のもの。赤い色彩の絵は、植物の葉で描いた5000年前のもの。3世紀の壁画は緑色と黄色だ。ツアーの仲間には、もっと古いフランスのラスコーやスペインのアルタミラの壁画を見ている人もいるし、「1万年前は日本の縄文時代だからこのぐらいの壁画はたいして珍しくもない」の声もあった。

 私は牛・虎・鹿などの動物に躍動感があり、芸術性が高いことに感激した。狩りをしている人、楽器を演奏している人、踊っている人の絵もある。動物の描写が素晴らしい割には、人間の描写は稚拙だ。なぜだろう。

ホテルに戻って昼食。午後はまたバスに1時間以上揺られて北東にあるサーンチーに行った。なだらかな草原の丘に、大小3つのストーパ(仏塔)が姿を見せていた。ここには、今まで見てきたインドとはまるで違う静けさがある。

 まず考古学博物館を見学。内部は撮影禁止だったが、35年前にインドに行った父のアルバムには、展示品の中でいちばん有名な4頭の獅子の写真が貼ってある。当時は撮影が許されたようだ。4頭の獅子はアショカ王の石柱頭部にあったもので、インドの国章やお札の図案にもなっている。仏教徒がほとんどいない今のインドで、アショカ王がシンボルとは面白い。

大ストーパ 細かい彫刻
大ストーパと門 細かい彫刻が彫ってある門は見ていて飽きない。

アショカ王は、BC3世紀に南端をのぞく全インドを統一した。最初はヒンズー教を信じていたが、仏教に帰依した。当時は仏像を作ることはなく、ストーパが礼拝の対象だった。アショカ王は8400ものストーパを作ったが、仏教が衰退したため、大部分のストーパは無くなった。ここはジャングル化したので、きれいな形で残っている。

いちばん大きいストーパをガイドの説明付きで見学した。基壇の直径は36b、高さが16bの半球形の仏塔だ。アショカ王が基礎を作り、BC2〜1世紀に完成した。仏塔を囲む4つの門は日本の鳥居によく似ているが、精緻な彫刻が掘ってあるところが全く違う。

 菩提樹・仏足跡・動物・天女など2000年前の彫刻に目を見張った。施されている彫刻があまりに奇麗なので「復元ですか」と聞いたら、とんでもないという顔をされた。ジャングルで人が近づかなかったとはいえ、壊れていないのも不思議。

ガイド2人 スリランカの仏教徒 日没
左がスルーガイドのシャルマさん。右が現地ガイドのヴィルマさん。 スリランカの仏教徒たちが団体で来ていた。 ストーパーと日没。

大ストーパの2階から、静かな丘にゆっくり沈んでいく太陽を眺めた。仏の国とはこういうことなのだと、ひとり納得した。そういえば、ここにはスリランカからのお坊さん達が集団で来ていた。仏教の僧侶にとって、ここは聖地のひとつなのだ。

サーチーンで日没だったので当たり前だが、帰路は暗い。バスの両側に長屋と小さな商店が軒を連ねていたが、ほとんどの家は真っ暗で、夕飯を作るための外のたき火だけが明るい。ときどきランプの家がある。ごく一部の金持ち(といってもスラム街での金持ち)だけが自家発電をしているという。文明だけが幸せでないとはいえ、この貧しさには胸が痛む。

ホテルに戻ると、添乗員さんが「きのうバスタブがない部屋だったので、今日は変えてもらいました。案内します」という。「自分で行けるからいいわよ」と断ったが、彼女が一緒に来てくれる理由がわかった。なんと変更になった部屋はスイートだった。

スイートの部屋 スイートの部屋 バスタブ
ベッドルームとは違う部屋 ベッドルーム 大きなバスタブ


 このホテルにはスイートが2つあり、隣もスイート。私はこれまでの旅でスイートに泊まったことが2度ある。両方ともオーバーブッキングだとかこの部屋しかないからなど、ラッキーによるものだが、そのどれよりも広くて立派だった。それもそのはず、昨日から連泊のホテルは、元マハラジャの宮殿。マハラジャは、ムガール帝国時代の地方の藩主を指す。ムガール帝国があったころは、500人ものマハラジャがいたそうだ。

きのう泊まった部屋の優に20倍はある広さ。テレビレポーターが東京の高級ホテルのスイートをレポして、「うあ〜すご〜いすご〜い」を連発しているが、その気持ちがよくわかる。椅子やテーブルの調度品は重厚、飾ってある絵や花は本物。バスタブや洗面所の立派なこと。

 なによりスゴイのは、マハラジャが民に挨拶したと思われる広いベランダがついていることだ。マハラジャを気取ってベランダから手を振ってみたが、誰も下にはいなかった。

他のツアー仲間には黙っていようと思ったが、夕食のときに「ローヤルスイートに変わった人がいるらしい」と話す人がいたので、後で「見たかった」など言われのがイヤなので、みなさんを案内した。ベッドに座って記念写真を撮る人までいた。でも私にはスイートは落ち着かない。広すぎてどこに荷物を置いたかわからくなる。バスタブに湯を張るにも時間がかかる。チップも多めに置かねばならない。にわかマハラジャの奥方は、疲れてしまった。

宮殿ホテルならではの豪華な結婚式が庭で行われていた。金持ちの結婚式の3日目だという。私たちのスイートの隣に泊まっているのだろう。3日目だけあって、新婦さん疲れた顔をしていて気の毒になった。私たちも歓迎されて、ドリンクなど振る舞ってくれたが、疲れの見える新婦に私は挨拶しなかった。新郎の親戚だという若夫婦が日本語で話しかけてきた。東京の目黒に数年いたそうでなつかしそうだった。

電気がない家 豪華な結婚式
サーンチーからの帰路で見た電気もつかない家。 豪華結婚式。3日目なので新婚さんは疲れている。

翌日、シャルマさんに「あの人たちはバラモン(カーストのいちばん上)階級なんでしょう?」と聞いたら「名前を見なかったのでわからない。金持ちがバラモンとは限らない」ということだった。名前で階級がわかるなど、本当に嫌だなあ。

ちなみに、シャルマさんはバラモン階級だ。カーストを聞くのはタブーだと思っていたが、「シャルマさんはなぜベジタリアンなの」の問いに「僕はバラモンですが、バラモンはほとんどベジタリアンなんです」と答えたことからわかった。

 もっとも彼は、金持ちではないらしい。「経済的には中ぐらいです。オートバイは持っていますが、車はありません。こんどTATAが37万円の車を発売するので買うのを楽しみにしているんです。両親と兄夫婦4人、僕の家族4人で狭い家に住んでいます。」など正直に語った。

 でも6歳の女の子が私立に通っているので、お金がかかると嘆いていた。日本にも来たことがないというから、たしかに今は余裕があるとは思えないが、これからどんどん発展するインドのこと。まだ37歳の彼には数段上の暮らしが待っているに違いない。

今日は電気もない暮らしをしている人、超豪華な結婚式をあげている人の両極端な暮らしを垣間見た。日本も格差社会になっているが、これに比べればまだまだ平等だ。
              <ボーパールのヌール・ウッサバパレス泊> (2010年6月16日 記)

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