インドの旅7
 カジュラホからベナレスへ

2008年11月14日(金)−7日目

 カジュラホ村の続きである。「農村風景を撮りたいのでバスを止めてくれないか」と頼んだら、西の寺院群から東の寺院群へ移動中に、止めてくれた。村の中心に井戸があり、数人が井戸を囲んでいた。金属の壺に水を汲んでいる人(左下)、おしゃべりしながら順番待ちをしている人、回りをうろついている山羊、パンツも靴もはいていない男の子・・。こんな風景は私が5歳ころに住んでいた田舎にはあった。

井戸 本で読んだのだが、村の井戸が使えるカーストは決まっていて、カーストによっては井戸も使えない。

 カーストにはバラモン・クシャトリア・バイシャ・スードラの4階級がある。それぞれが細分化されているので、2000以上の身分制度があるらしい。この4つにも入れない不可蝕民アンタッチャブルが、1億人もいる。ガンジーは彼らアンタッチャブルをハリジャン(神の子)と呼び地位向上につとめた。でも現実には神の子どころか、井戸さえも使えず、よほどの成功者でなければ底辺の労働にしか就けない。

考えてみると江戸時代の士農工商の身分制度は、ほぼ消えたといっていい。穢多など被差別部落問題はいくらか残っているが、インドのようにあからさまではない。着ているサリーだけでカーストが分かるという話も聞いたことがある。シャルマさんはカーストを話題にしないが、「あの人はバラモン」「あの人はアンタッチャブル」と説明するガイドがいることを、ある旅行記で読んだ。

「カーストで人間の価値まで決められてしまうなんてかわいそう、政府が完全に撤廃すればいいのに」と思うものの、カーストはヒンズーの輪廻思想と深く繋がっていると聞くと、私ごときが口を挟む余地はない。法律で禁じられているカーストが厳然と残っている。宗教心や人間の本心は理屈や理性を超えたところにある。「やっかいだろうな」と思うばかりだ。なにしろカースト制はBC1500年ころ、アーリア人の侵入で導入された制度だ。そう簡単にはなくなりそうにない。

帰国翌日の新聞に載った次の記事を、知人が教えてくれた。これを読むと「ここまでカーストは根が深いのか」と息をのんでしまう。

カースト制度の国インドで身分違いの恋は“命取り”

 【パトナ(インド)20日=ロイター】自分よりも下級カーストに属する少女にラブレターを書いたインドの15歳の少年が、髪を刈られて通りを引き回された上、列車に投げ込まれて殺害されるという事件が起きた。ビハール州の警察が20日に明らかにした。

 警察によると、登校途中に相手のカーストメンバーに拉致された少年は、髪を刈られた上、母親が慈悲を懇願する中、列車に投げ込まれた。

 この事件でこれまでに、1人の男が逮捕され、警察官1人が停職処分となっている。 

ジャイナ教横道にそれてしまったが、カジュラホの東の寺院群に向かっている。西側より早く建立したジャイナ教寺院のパールシュヴァナータ寺院とシャンティナータ寺院を見学した。

 ジャイナ教の仏が衣を着ていないことは前に書いた。前に見た仏は座っていたので裸が目立たなかったが、ここには真っ裸の立像が3体並んでいる(左)。

 今日の宿泊地ベナレスインドの旅1地図参照)へは飛行機で行くことになっているが、カジュラホ空港へは東の寺院群からわずか10分で着いた。

 国内線は2度目だが、いずれもX線とボディチェックの検査が厳しい。ペットボトルの持ち込みは禁止なのに、うっかりしてボトルを手荷物に入れたままだったが、フリーパス。厳重にしているようでも、落とし穴があるようで心配になった。

ベナレスのホテルで昼食後、夕食までフリータイム。シャルマさんと買い物に行く人、ホテル付近をブラブラする人、リキシャに乗る人と分かれた。私達10人ほどは、リキシャで1時間ほど町を巡ることにした。ホテルの門の外にたくさんのリキシャが待っている。添乗員のOさんが胴元と交渉して、乗るリキシャが決まった。

 2人乗りの1台に1時間乗ってわずか100ルピー。1ルピーは2.2円ぐらいだから、ひとり100円ぐらいで、1時間も乗り回したことになる。値段を聞くとチップをはずみたくなるが、チップも入ってますと言うので、胸がチクリとしながらも100ルピーだけ払った。私たち夫婦は重くないからいいようなものの、デブ夫婦を乗せたらさぞつらいだろうと思う。なにしろ自転車を漕いでいるのだから。

お牛さま牛・人間・タクシー・乗用車・オートバイ・バス・三輪車の間を縫ってリキシャは走る(左はリキシャから撮影)。ベナレスには信号もない。リキシャの客席は自転車の荷台に覆いをしたようなものだから、接触すれば振り落とされる恐れもある。落ちたところに、自動車や牛が突進してくることもありうる。「どうしよう」と隣の夫に言ったら「スピードが出ていないから、そんなことにはならない」と冷たい。

ゴミや屎尿で臭くて汚いインド、動物がわが物顔で道路を歩いているインドを初めて目にした私は「やっと話に聞いていたインドを見たわ」と、最初の怖さはどこへやら、ワクワクしてくるのだった。

牛以外にも山羊や鶏などチョロチョロしているが、なんといっても牛は聖なる動物だし、身体が大きいので目立つ。狭い露地に入り込んでノッシノッシ。人間サマが壁に身体をつけて牛サマのお通りをやり過ごしていた。店のものを食べている場面も目撃した。聖牛だから食べられるままにしておくのかと思いきや、やはり追い払っていた。大事な商品を食べられては、たまったもんではないだろう。

なぜ牛が聖なる動物になったか。牛はシヴァ神の乗り物で部下でもあった。生殖の神でもある。牛車や耕作では、貴重な労働力。牛革もバッグなどに加工される。糞も大事な燃料になる。糞を乾燥させるために丸くして壁にペタペタ貼っている光景は牧歌的だ。

大事なタンパク源の乳は、そのまま飲む以外に、チーズやヨーグルトに加工される。ベジタリアンも、ミルク類だけは許されている。イスラム教徒は豚を、ヒンズー教徒は牛を食べてはいけないが、ミルクが良くて肉はいけない理由がさっぱり分からない。インドでは餓死者も出ると聞いている。そんなときは牛肉を食べたらいいだろうと思うが、ヒンズーのカミサマに怒られそうだ。それにしても、牛がヨレヨレになった時の処理はどうするのだろう。おおっぴらには殺せないから、自然死を待つのだろうか。

走り続けたリキシャがまず止まったのは、イスラム人街だった。この時は知らなかったのだが、ほとんどのイスラム教徒はアンタッチャブルの階層より極貧の生活をしている。イスラム街の一画に小さな機織り工場がたくさんあり、インドの繊維産業を支えている人たちがいた。もう1ヵ所止まったのは、立派な土産物屋。カシミヤや絹のスカーフや象の置物などインドの代表的な土産を売っていたが、高いから誰も買わなかった。最近はおみやげを買いあさる日本人が減り、かわりに中国人が買っているとか。

マック1時間のリキシャ散歩が終わってもまだ時間があったので、ホテルの隣にあるショッピングビルに行ってみた。明るくて清潔なビル内には、ブランドの靴・鞄・洋服の店が連なっていた。

 マクドナルドの値段表を見ると、ポテト・コーラ・ビッグマックのセットで109から119ルピー(左)。1時間リキシャに乗り回した値段より高い。わずか1時間半ほどで貧富の差を肌で感じてしまった。

夕食にはE社のサービスで素麺が出た。毎日カレーを食べているので格別美味しかった。シャルマさんは素麺を口にしていない。「どうして食べないの?口に合わないの」と聞いた。「もし動物性のものが入っていると困るから」と言うので、「素麺は小麦粉と油、つゆは大豆で作られた醤油だから大丈夫」と太鼓判を押した。結果的には「とっても美味しかった。ありがとう」と感謝された。でも、だしに鰹節を使っているかもしれない。ごめんねシャルマさん。悪気はなかったのよ。  
                                     <ベナレスのクラークスベナレス 泊>

11月15日(土)-8日目

ガンジス河の沐浴を見学するために5時半に出発。15分ぐらいで着く距離を、実際には1時間近くかかった。トラックは朝9時から夜10時までは町に入れない。だから早朝の今、たくさんのトラックが入り込んできて動きがとれない。信号がないうえ、自分だけが進みたいがゆえに譲ろうとしない。「ガンジス河の日の出が終わってしまう」と内心いらいらしたが、やはり着いた頃には太陽はかなり高い所にあった。トラックで渋滞するなどは毎朝のことなのだから、もっと出発を早くするべきだ。

バスは沐浴場に横付けできないので、10分ぐらい歩いた。ここを歩かないで沐浴だけを見学したのなら、面白さは半減したかもしれない。それほどこの道は刺激に満ちていた。外国人よりもインド人のほうがたくさん歩いている。もちろんお牛サマもお通り。道の両側には、食べ物の屋台や花屋さんに混じって、陶器の茶色い壺やポリ容器を売る店が並んでいた。沐浴をすませた人たちが、ガンジス河の水をみやげに持ち帰るためのポリ容器だ。

ガンジス川近くの露店 乞食 乞食
ガンジスの水を持ち帰るためのポリ容器も売っている。 哲学者みたいな風貌の物乞い。 この人たちも物乞い。

河の手前には、地べたに座り込んだ物乞いたちが列をなしていた。近寄ってこないので鬱陶しいことはない。大きな皿を差し出している人もいれば、黙って座っている人もいる。ここの物乞いは年寄りが多く、眼光が鋭くて髭が伸びていて哲学者のような風貌だ。ガンジスで死にたいと願い、死を待っている人たちかもしれない。死ぬまでは生き延びて行かねばならないのだ。大きな鍋の回りで、葉の上に盛られた炊き出しを食べている人たちもいた。鍋をかき回している人も裕福そうには見えないが、より貧しい人のために施しをしている。
                                            (2010年7月16日 記)

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