アイルランドの旅 その2
 モナスターボイスから北アイルランドへ


2013年6月20日(木)-2日目

ケルト十字2日目の続きを書いている。タラの丘とニューグレンジを案内してくれた沼田さんとは、ニューグレンジで別れた。

バスは北上しモナスターボイスへ。聖パトリックの後継者である聖ボイスが修道院を建てた地だが、今は修道院はない。荒れ果てた地に見張りの塔やたくさんのケルト十字が建っているだけだ。ケルト十字は、普通の十字架と円形を組み合わせたもの。円形はキリスト教以前の信仰である太陽信仰や輪廻の思想を表している。

モナスターボイスにあるケルト十字の「ハイクロス」(左)は、アイルランドでもっとも美しくて立派だと言われている。

正面、背面、側面にアダムとイブ、モーゼ、最後の審判、東方の3博士など聖書でおなじみの物語が彫られている。たしかに保存状態が良い。

モナスターボイスの観光後しばらく走ると、北アイルランドに入った。「入る時に教えて」とドライバーに頼んでおいたが、なんの目印もなく、あっと言う間に通り過ぎてしまった。

アイルランド島北部のアルスター州は9県ある。そのうちの6県は北アイルランドつまりイギリス、残りの3県はアイルランド共和国に属している。

1920年のアイルランド自治権獲得後に、6県だけがイギリスに残った。両者は通貨も違うし、ヤードポンド法とメートル法の違いもある。道路標識は北アイルランドでは、○○まで××マイル、アイルランドでは××qになっている。道路が続いているのに、こんがらないのかと思う。もっとも両国は、日本と同じ右ハンドルの国だから、その点はややこしくなくていい。

ベルファストの街に入り、プロテスタントが多く住む地区には、イギリスの国旗が目立つ。日本人のほとんどは、日の丸をよりどころにしていないが、複雑な地域に住んでいる人は、国旗で誇示せずにはいられないのだろう。

夕食の飲み物代は、イギリスがユーロ圏に入っていないので、ユーロが使えなかった。成田で少額だけポンドに換えたが、イギリスでの食事は3回しかないのに、手数料がもったいない。<ベルファスト ストーモント泊>

6月21日(金)-3日目

 午前中はベルファストアイルランドの旅1の地図参照)在住15年の日本人女性の案内で、市内見学。ベルファスト郊外で、G8(先進国首脳会議)が開かれたばかりだ。日本の安倍首相も参加した。イギリスが主催国なのだが、アイルランド島でのサミットは初めてということで、アイルランドに住んでいる日本人には嬉しいらしい。でも私たち旅行者には迷惑な話。出入国の検査が異常に厳しかった。私もいつものなら平気な歯磨きチューブが引っかかり、留め置かれた。

観光に戻る。まず郊外にある国会議事堂の外観見学。1972年、北アイルランド議会が閉鎖されて、しばらくは議事堂として機能しなかった。北アイルランドが抱えている歴史を感じる。

次は造船所跡地などを車窓から見ながら中心部へ向かった。この造船所はタイタニック号を作った所として知られる。H&Wという造船所のクレーンがまだ残っていた。

2012年、タイタニック号沈没100年の時に、大型展示館を作った。ベルファストは造船業で栄えた町だったが、タイタニックの沈没は造船業者にとって名誉ではない。それでも博物館を設置する商魂のたくましさ。とはいえ、私も博物館を見学したかった。残念ながら行程には入っていなかった。

1906年建立の市庁舎は内部が大理石で作られ立派だ。正面玄関にはヴィクトリア女王の銅像がある。ヴィクトリア女王の像を快く思わない、つまりイギリスの支配に入っていることを快く思わない人は「彼女は物乞いしている」と銅像を揶揄している。言われてみると、左手に持っている容器が物乞いのコイン入れにも見える。

北アイルランドの国会議事堂 タイタニック展示館 ヴィクトリア女王の像
 
北アイルランドの国会議事堂
1972年、北アイルランドの議会が閉鎖されたためしばらく使われなかった


タイタニック号の大型展示館
沈没100年の2012年に
作られた

 

市庁舎前に立つヴィクトリア女王像
イギリスを嫌いな人は
女王はコイン入れを持って
物乞いをしている と揶揄

壁画アイルランド共和国との統合を望むカトリック教徒の住むフォールス地区を車窓から眺めた。各家の壁に政治的メッセージをこめた絵(左)が描かれている。プロテスタントの人が住むシャンキル地区も通った。こういう場所はゆっくり歩きたいものだが、おざなりの車窓見学。

13日間かけてアイルランドを回るので、時間が足りないということはない。ツアーの行程を組む人の意識の低さ、センスのなさなのかもしれない。

トイレを貸してもらった「ホテルヨーロッパ」は中心街にある立派なホテルだが、テロで襲われた回数がいちばん多く、ギネスブックにも載っている。紛争の話の中では、これがいちばんリアルだった。

最後に寄ったアイルランド国教会の聖アン聖堂は、アイリッシュロマネスク様式の品のある聖堂。2つの司教区をおさめているので、2人の司教がいて紋章も2つある。せっかくベルファスト在住の日本人ガイドの案内だったのに、2時間だけのあまりにもあわただしい市内観光だった。

ベルファストを出たバスは、アントリウム海岸を北上。ドライバーが「右に見える島影はスコットランドだ」と言う。アイルランドとスコットランドは、こんなに近い。

昼食後、キャリック・ア・リード吊り橋でキャリック島に渡った。吊り橋は海面から25mのところにある。1度に8人しか渡れないというが、もっと大人数が渡っている。ブータンで渡った吊り橋はほんとに怖かったが、それに比べここのは揺れも少ない。

天気に恵まれたので青い海と断崖と野に咲く花が色彩的にもきれいだった。放牧の牛ものんびりしている。野花の背丈が低いのは、風が強いからだろうか。土地が豊かでないだろうか。

キャリック島からの海  牛の放牧
 
キャリック島からの海

 
キャリック島に行く途中の道

次は今日のハイライトでもあるジャイアンツ・コーズウェイ。なんと6000万年前、まだ人類が現れていないころ、大規模な地殻変動でマグマが流れた。溶岩が凝固する過程で規則正しい割れ目ができて、正六角形の柱状節理が出来たそうだ。日本でも柱状節理は見ることができるが、ここのは比較にならないほど大規模だ。

柱状節理 柱状節理
 
正六角形の柱が規則的に立っている不思議な景色


高い柱状節理に登っている人もいる 

夕方6時ころロンドンデリーのホテルに着いた。 <ロンドンデリーのシティデリー泊> 
                                               (2014年7月16日 記)

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