アイルランドの旅 その4
 コネラマ国立公園とゴールウェイ

2013年6月23日(日)-5日目

昨日に続き今日も天気が良くない。でも12時頃には、青空が出てきた。午前中はバスでの移動だったので、肝心な観光地は、青空に恵まれた。アイルランドの気候は、雨が一瞬で青空に変わるなど珍しくもない。パッチワーク天気とも言われる。1日中降り続くことはなく、写真を見ると青空が多い。

今日の最初の訪問地はカイルモア修道院。イギリスのマンチェスターの富豪で、イギリスの下院議員でもあったミッシェル・ヘンリーが奥さんのために1868年に建てた城。奥さんが亡くなったために城を手放し、1920年にベルギーのベネディクト修道院が買い取った。その修道院も数年前に閉鎖。

カイルモア修道院 カイルモア修道院 カイルモア修道院
 
カイルモア修道院遠景

 
元は城だったので
修道院という感じはしない

 
カイルモア修道院近景


今は観光客に開放している。それにしても、個人でこれほどの城を作る財力があったことに驚き。労働者を搾取していたのかなと余計なことを想像してしまう。外観も内部もきれいだけれど、湖や森林に囲まれた環境がすばらしい。木々の緑を背景にしたシャクナゲの薄紫色の花が映えていた。

城のレストランで昼食後、コネラマ国立公園へ。この地はブランケット・ピートボグ(毛布状の泥炭)で有名だ。1万2千年前の氷河期終わりの風景が広がっている。445mのダイヤモンドヒルを目指して歩いた。白いコネラマポピー、紫色のヒースの花、黄色いハリエニシダを楽しみながらのハイキングは気持ちよかった。

コネラマ公園 コネラマ公園 コネラマ公園
 
1万2千前の風景が
広がっている

 
白いコネラマポピーや
黄色いハリエニシダ

 コネラマ種の馬

ピート(泥炭)は湿った状態で腐敗した太古の植物が蓄積したもの。この辺りではビートを掘ってから乾燥させ練炭などに利用している。驚いたことに、このピートは火力発電の燃料にも使っている。アイルランドには原子力発電がない。1が水力、2が風力、3がピートの火力。

夕方ゴールウェイアイルランドの旅1の地図参照)のホテルに着いた。ゴールウェイは、有力な14の商人がいた15世紀が最盛期。商人で県知事でもあったリンチは、自分の息子を殺人罪で絞首刑にしたという。「リンチという言葉は、ここからです」の説明があった。クロムウェルの攻撃以後衰えていったが、今はアイルランド西部の中心として賑わっている。       
                          <ゴールウェイのホテルメイリック泊>

6月24日(月)-5日目

アラン諸島のひとつイニシュモア島観光をする。バスでゴールウェイ湾のロッサビル港まで行き、フェリーに乗船。アラン諸島はイニシュモア、イニシュマン、イニシアという似た名前の3つの島からなる。その中でいちばん大きいイニシュモア島アイルランドの旅1の地図参照)に、45分かかって到着。

この最果ての島はゲール語を日常的に使っていて、昔ながらの習慣も残っているという。人口は900人ながら、小学校も中学校も教会もパブもある。週に2回開く銀行・アイルランド銀行イニシュモア支店もある。こんなのどかな島の人たちの生活の様子が知りたい。地元の人や漁師に会えるのではないかと期待していたが、接した人はミニバスのドライバーや土産物店の人ばかり。

ダメ元で「ドライバーさんの家に突撃訪問などさせてもらえないかしら」と添乗員に頼んでみたが、やはり無理だった。ゲール語を聞くチャンスもなかった。アイルランド本来の言語であるゲール語は英語と共に公用語だが、日常的に話しているのは4万人から8万人程度。学校ではゲール語の授業が必須というが、一度消えかかった言語を取り戻すのは大変だろう。

ツアーって、どうしてつまらない場所ばかりに行くのだろう。まず向かったのは聖キーラン修道院跡。アイルランドには修道院が多かったが、今はそのほとんど廃れている。アイルランドにキリスト教を持ち込んだ聖パトリックは、王たちが提供してくれた地に修道院を建て、学問と宗教の中心にした。修道院制度が活発化したのは禁欲苦行がアイルラン人の気質にあっていた、聖人たちが魅力的だったからと言われる。でもその修道院のほとんどが、ヘンリー8世やエリザベス1世やクロムウェルによって破壊された。

 ドウ-ン・エンガス 石垣
 
海面から90mもある断崖絶壁
見ているだけで怖い

 
石だらけの痩せた土地
イニシュモア島は石垣が目立つ


次はこの島のハイライト、アイルランド旅行ハイライトでもあるドウーン・エンガスへ。BC1500年からAD1000年まで生活していた先史時代の遺跡である。要塞だったのか宗教儀式を行うところだったのか、まだ分かっていない。

でもここで人気があるのは、遺跡ではなく大西洋に面する断崖だ。海面から90mもある。離れた場所から見ているだけで震えがくる断崖を、ほとんどの人は寝そべって眺めている。私はパス。あえて怖い思いをすることもない。
 
アイリッシュハープ観光客で賑わうハイシーズンなので寂寥感はなかったが、人が住んでいる島で、ここほど痩せた土地を知らない。石だらけの土地に土を運び、海草を肥料にしてなんとか使える土地にしたそうだ。耕作地や牧草地よりもやたら石垣が目立つ。土地区画、動物の柵、風よけのための石垣だと言う。

アラン諸島といえば、アランセーターが有名だ。もともとは漁師の奥さんが亭主に着せるために独自の模様を編み込んだもの。万一遭難してもセーターの模様で区別がついたという、少し悲しいセーターだ。

最近は衝動買いをしないが、私が唯一気にいったカーディガンが白壁にかかっていたので買ってしまった。ご多分にもれず、手編みよりも機械編みが増えているが、これは手編み。「私が編んだのよ」と店番の女性が言っていた。

夕方5時ころに、ゴールウェイのロッサビル港に帰ってきた。ホテルに着いたあとに、ゴールウェイの街を散策した。コロンブスが大西洋に船出するときに立ち寄って航海の無事を祈ったと聖ニコラス教会に入ってみた。教会はどこも同じようでつまらないが、有名人に由緒あると思うと印象に残る。

アイリッシュハープを弾く人(左)、音楽がもれてくるパブなど、音楽が生活に根付いている国なのだなあと感じる。

               <ゴールウェイのホテルメイリック泊>
                                             (2014年9月2日 記)


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