アイルランドの旅 7
2013年6月29日(土)-11日目
首都ダブリン(アイルランドの旅1の地図参照)の主なみどころを、ガイド沼田さんの案内で巡る。9世紀に攻めてきたヴァイキングが、ケルト人の街を破壊してダブリン(黒い水)と名付けたことにはじまる。12世紀にアングロノルマン人が侵入、以後750年間、イギリス・アイルランドの拠点だった。
イギリスの支配が長かったので、ジョージアン様式の煉瓦造りのビルが多い。ジョージアン様式は、上にいくほど窓が小さくなっている(左)。
まず聖パトリック大聖堂へ。アイルランド最大の教会だが、なぜか今はプロテスタント。ノンクリスチャンの身には、分からないことが多すぎる。
聖堂の庭に「ガリバー旅行記」の作者ジョナサン・スウィフトの銅像があった。1713年から1745年まで司祭長を務めていたからだ。スウィフトは司祭職に興味はなかったが、生活のためだったという。
恋人といっしょに葬られている。デスマスクや本も展示してあり、まるでスウィフトの聖堂みたいだ。それにしても、生活のために司祭をしていた人の説教など聞きたくないなあ。
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「ガリバー旅行記」の作者
ジョナサン・スウィフトの銅像
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聖堂内にある
スウィフトと恋人の墓
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スウィフトのデスマスク
まるでスウィフトのための
聖堂みたいだ
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車窓からフェニックスパークやオコンネル通りを見ながら、国立博物館へ。紀元前2000年ころから現在までの土器や工芸品を展示している。紀元前300年ころのミイラは、手の指などそのままで、はっきり言えば気持ち悪い。泥炭の中に埋まっていたので保存が良いらしい。
ガイドブックが推奨しているのは、タラのブローチ。1850年に発見された8世紀の銀メッキのブローチで、マントを留めるピンに使った。動物・渦巻き・組み紐模様など全面にケルト装飾があり素晴らしい。タラで発掘されたわけではないのに、なぜタラのブローチというのだろう。聞き忘れた。
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国立博物館に保存してある
BC3000年ごろのミイラ
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ケルト装飾の
タラのブローチ
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トリニティカレッジ図書館の
「ケルズの書」
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次はトリニティカレッジの図書館へ。トリニティは三位一体という意味で、イギリスのエリザベス1世によってつくられた名門カレッジ。今はダブリン大学に所属。以前はプロテスタント信者しか卒業できなかったが、今はカトリックの学生の方が多いそうだ。
こんな風に、アイルランドを支配したヘンリー8世や娘のエリザベス1世は、徹底してカトリック教徒を差別して力を持てないようにした。宗教を利用する狡猾な人たちだ。
トリニティカレッジ図書館のお宝は「ケルズの書」、入場するまでに30分かかった。ケルズの書は、9世紀にアイオナ(スコットランドの西方海上に浮かぶ島の修道院)からケルズ(ダブリンの北西60`にある)に移ってきた僧によって、ラテン語で筆写された4つの福音書。修道士にとっては聖書の写本は、祈りや贖罪でもあった。
ガラス越しに見たのでよく分からないが、紋様が細かくてきれいだ。説明によれば、渦巻き、組み紐文様などケルト的装飾だという。
2階の図書館は、20万冊の蔵書がある。ヨーロッパにはこうした図書館がよく残っているが、これだけで文化度が分かるような気がする。
午後はフリータイムなので、ナッソー通りを抜けて、国立美術館に行った。ナッソー通りにはなぜかポリスがたくさんいる。その理由はあとで分かった。
この美術館は規模は小さいが、無料なのが嬉しい。しかも撮影自由。お目当ての絵を見過ごすのは嫌なので受け付けで「フェルメールの絵はどこですか?」と聞いたら、ちょっと首をかしげたあとに「おお〜フィーミア」と言って、教えてくれた。たしかにフェルメールは英語読みではない。
フェルメールの「手紙を書く婦人」(左)やカラヴァッジョの「キリストの逮捕」など有名な絵が固まっているので、旅人にはありがたい。
美術館を出たら通りでは、ゲイやホモの人たちのジェンダーフリーのパレードがあった。ポリスがいたのはこのためだった。
帰国後に知ったのだが、6月末の休日は、世界中でデモと言うかパレードがあるらしい。同性愛を法律で認めている国は多くなっていると聞いたが、アイルランドはどうなんだろう?日本でもこういうデモをやっているのだろうか?いずれにしても派手な衣装を着た男女が虹色の布をかかげながら楽しそうに歩く姿を初めて見た私には、オモシロい見物だった。
少し遅めの昼食をとった。アイルランドに来てイタリアンや日本食でもあるまいと、結局、アイリッシュのレストランに入った。アイルランドの食事は案外おいしかった。ツアー仲間一緒の食事でも、前菜もメインもデザートもチョイスできる。今回は添乗員さんも入れて26名もいるからさぞ面倒だろうと思うが、待たされるわけでもなく総じて美味しいものが出てきた。次の項(アイルランド8)で、料理特集をするつもり。
繁華街のクラトン通りはにぎやかだ。パントマイムの男性もいれば、風船売りもいる、路上ライブのミュージシャンもいる。ジョージアンスタイルのビルの、特にドアがカラフルでとてもきれいだ。窓に飾ってあるハンギングバスケットはセンスがあり、煉瓦造りを一層きわだたせている。
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ジェンダーフリーのデモ
夜になっても盛り上がっていた
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繁華街でのパフォーマンス
6人もの集団は珍しい
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歩いているだけの私たちには分からないが、アイルランドも景気はよくないらしい。1990年代のケルティックタイガーと呼ばれた「アイルランドのバブル」がはじけたためだ。他の都市を案内してくれた現地ガイドは、22万5千ユーロで買った家は、今は11万ユーロだと嘆いていた。でもIT企業(face book・Googleなど)や製薬会社の進出もあり、失業率は他のEU国家より低いそうだ。
目的なしの街歩きは飽きてきたので、ダブリン城に行ってみることにした。ジョン王がアイルランド支配を強化するために建て、歴代の総督府を置いたところ。1922年にアイルランド独立したときに引き渡された。日本が韓国を支配していたときの総督府を韓国は破壊したが、この国では壊してない。韓国人より、怨念が少ないのかもしれない。
このダブリン城にたどりつくのは大変だった。途中で出会ったHさん夫妻に「行きついたらえらいよ」などと脅かされたが、私たちも親切な数人に教えてもらいやっとたどり着いた。いずれにしろ中にはいる時間はなかった。リバーダンスを見るための、集合時間に遅れたらまずいからだ。
結局、30分も前に劇場前に着いたが、ほとんどの方はそろっていた。
7時半から9時半までリバーダンスを楽しんだ。数日前のホテルで見たアイリッシュダンスに、もっとショー的な要素を含めている。アイルランドオタクのKさんによれば「アイリッシュの伝統でないものが含まれていて気に入らない」らしいが、今は世界中でリバーダンスの公演が行われているほど人気がある。
アイルランド最後の日にふさわしい夜だった。ショーの撮影は禁止だったので、左は旅行会社のパンフレット。
6月30日(日)-12日目・7月1日(月)-13日目
5時15分ホテルを出発
8時10分(エアリンガス便でダブリン発)→9時25分(ロンドンヒースロー空港着)
14時(ヴァージンアトランティックでロンドン発)→7月1日の9時5分(成田着) (2014年10月16日 記)
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