イスラエルの旅10 2007年11月6日(火)−8日目 紅海のリゾート地エイラートを北上し、エルサレムに向かっている。オリーブ山のトンネルを抜けると、テレビや写真で見慣れているエルサレムの街並みが突然目に入ってきた。 昼食後に、シオンの丘に行った。シオンはダビデが最初の町を築いたところで、エルサレムの別名にもなっている。世界に離散しているユダヤ人が帰還しようというシオニズムは、ここに由来する。イスラエルをシオンと呼ぶこともあれば、ダビデの町と呼ぶこともある。 テラスから、旧市街を眺めた。旧市街はおよそ1キロ四方の城壁で囲まれている。今見る城壁は、オスマントルコのスレイマン1世によって、16世紀に建設されたもので、ダビデやソロモンの時代のものではない。
コケコッコーは、これから行く「鶏鳴教会」からの鳴き声だ。鶏鳴教会は、司祭カヤパ邸のあとに建てられた。ゲッセマネで捕らえられたイエスは、この邸に連行されて地下の牢獄で一晩を過ごした。カヤパは、ユダヤ教の司祭。ローマの支配者がイエスを捕らえたと勘違いしている人もいるが、捕らえたのはユダヤ教の司祭だった。 カヤパ邸に続く石段が19世紀に発掘され、2000年前のものとわかった。イエス関連の聖地は考古学的には怪しい所が多いが、この石段だけは当時のものだと実証された。つまりイエスが歩いたそのままの石段(左)ということだ。私達もその石段を登って鶏鳴教会に向かった。 カヤパの邸跡になぜ鶏鳴教会が建てられたか。最後の晩餐の時に、ユダ以外に一番弟子のペテロすら自分を裏切るだろうと、イエスは予想した。「きょう鶏が鳴く前に、3度私を知らないと言うだろう」。 イエスが逮捕されるや、弟子はみな逃げ去ってしまう。ペテロだけは、イエスが捕らえられた邸に忍び込む。女中に見咎められたペテロは「私はこの人を知らない」と3度も言ってしまった。自分も罪を負わされることを恐れたからだ。銅像めぐり「聖ペテロ2」でも同じようなことを書いている。 鶏鳴教会も、見るからに新しそうな教会だ。屋根の上には金色の風見鶏が上がっている。入口の扉には「私を知らないと言うであろう」とイエスがペテロに言う場面のレリーフがある。鶏・逮捕の役人・見咎めた女中・手を広げて否定するペテロの群像もある。あまりにも舞台が揃いすぎているが、見学する身にはおもしろい。鶏まで飼っているのだから、神父様は観光客を喜ばせるサービス精神がおありとみえる。 教会の地下には牢獄があった。つまりカパヤ邸の地下だが、ここでイエスが一夜を過ごしたという。2000年の間に埋もれてしまわなかったのかなと、思わないでもない。
次は最後の晩餐の部屋がある建物に入った。「・・夕方になると、イエスは十二人と一緒に食事の席に着かれた。一同が食事をしているとき、イエスは言われた。「はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている」。(マタイによる福音書第26章) この部屋ほど旅行者の期待を裏切るところはないと思う。なにしろ私達は、レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」がインプットされている。それとは似ても似つかぬ部屋。十字軍時代に作られて、のちにモスクに転用された建物だ。なぜここを「最後の晩餐の部屋」と言うのか聞きそびれたが、場所がここだったということかもしれない。
最後の晩餐の部屋は2階にあるが、1階はユダヤ教のシナゴーグになっている。その中の黒い布を被った石棺がダビデの墓。ダビデは古代イスラエル2代目の王。エルサレムをイスラエルの首都にした。 イスラエルの旅1へ ホームへ |