イスラエルの旅 11
 エルサレム 2

2007年11月6日(火)-9日目

南の壁エルサレムのシオンの丘周辺見物の続きを書いている。待ちに待った城壁の中に入る。まず南の壁考古学博物館を見学した。1967年の第3次中東戦争で、東エルサレムをヨルダンから奪った後に発掘した。1986年から一般公開。

 ソロモン王の時代から16世紀のスレイマン大帝の時代まで25層もの文化層が確認されたという。考古学ガーデン(左)は、縦横に入り組んだ時代層が見学者に分かりやすいように工夫されていた。

神殿の丘入り口私がエルサレムでいちばん訪れたかった「嘆きの壁」に着いたときには、薄暗くなっていた。ほのかなライトアップが、幻想的な雰囲気を作りだしている。「神殿の丘」の入り口(左)で荷物検査とボディチェックがあった。ユヤ教信者とイスラム教信者の聖地だけに、テロが起こりうるからだ。

嘆きの壁という妙な名前がついている壁は、ローマがユダヤ神殿を破壊したときに唯一残った西の壁を言う。この「壁」がユダヤの長い歴史や苦難を見てきたという事で、心のよりどころになっている。

 最初の神殿は、ソロモンがBC965年に建てた。バビロン捕囚で破壊された後のBC515年に、第2神殿を再建。イエスが神殿を訪れた頃には、内部に商人が住みつくほど退廃していたのでイエスが怒った・・と聖書にある。

AD70年に、ローマがエルサレムを占領した後は、ユダヤ教徒がエルサレムに立ち入りすることは禁止された。4世紀以降は、1年に1度だけ許されたという。7世紀に入ると神殿の丘は、岩のドームが建立され、イスラムの支配下に入った。

エルサレムと言えばこの「嘆きの壁」を真っ先に思い浮かべるが、ユダヤ人や私達旅行者が自由に立ち入ることが出来るようになったのは40年前。第3次中東戦争でヨルダンから東エルサレムを奪ってからだ。1948年の建国以後は、自由に立ち入り出来たのだろうと漠然と考えていたが、そうではなかったのだ。70年の神殿破壊から1900年も経っていた。

壁に入る段になって、男女に分かれていることを初めて知った。どおりで荷物検査も男女別々の入り口だった。壁のおよそ4分の3が男性用で、4分の1が女性用。シナゴーグも男女別々だから不思議はないのだが、シルクハットを被った男性の祈る姿を撮りたかった私は、がっかりしてしまった。ガイドブックで見るようなアップ写真は、女性には撮れないのだ。

嘆きの壁遠景 嘆きの壁
遠くから男性用の壁を撮った。こんなせこい事をしなければならないとは、思ってもみなかった。 女性用の壁から覗くことはできる。柵の間から撮影。

普通のユダヤ教信者はキッパという丸い帽子を被っているだけだが、正当派ユダヤ教徒と言われる人たちは、黒いシルクハットに黒いコートを身につけている。戒律を厳格に守っている正当派ユダヤ教徒は、エルサレムだけで20万人以上いるという。「彼らを養うために税金が使われています。仕事にも就かず神学校でユダヤ教の律法を勉強しているんです。だから彼らに批判的な国民がたくさんいます」とSakさんは言っていた。

祈るユダヤ教徒 祈るユダヤ教徒 祈るユダヤ教徒
女性は近づけないので夫が撮った写真。 同じく夫が撮った写真。 翌朝、私が上から撮った写真。

 翌朝、壁を上から見るチャンスがあったが、この時も壁に向かって祈りを捧げているシルクハット姿がたくさんいた。政府から補助金をもらい、兵役の義務のまで免除されている。非宗教的なユダヤ人や、習慣を守るだけのユダヤ人のの怒りが分からないでもない。

壁には、願い事を書いた紙が石の間に挟んであった。壁に向かって祈っている人の中には、身近なお願いをしている人もいるに違いない。私たちのツアー仲間も、紙を挟んでいたぐらいだから。
                                         <エルサレムのグランドコート泊>

11月7日(水)−10日目

 泊まっているホテルから旧市街まではさほど遠くない。人が少ないだろう早朝に「ビア・ドロローサ」を歩いてゴルゴダの丘まで行ってみたかった。「ビア・ドロローサ」は、ゴルゴダの丘で処刑されるイエスが十字架を背負って歩いた悲しみの道を言う。後でSakさんに「ビア・ドロローサを歩いてきた」と話したら、「よくわかったね」と感心された。ことほどさようにわかりにくく、何度も「ビア・ドロローサはどこ?」と聞いてしまった。

観光客は誰もいないと思ったが、どうしてどうして信者とおぼしき団体が、ステーション毎に止まって、聖書を読み「賛美歌」を歌っていた。ゴルゴダの丘があったとされる聖墳墓教会にもたくさん集まっていた。イエスの遺体に香油が塗られた場所では、身体を投げ出すように祈っている人達がいた。涙を流している人もいた。こういう姿を見ると、信者でない私が、ここにいるのは気がひけてしまう。

 ゴルゴダの丘は、私が勝手に思い描いていた丘とは似ても似つかぬ場所だった。イエスが処刑される場面は映画で何度も見ている。それがインプットされているから、あの荒野が賑々しい教会になっていることが許せないのだ。ビア・ドロローサの写真は次の項で。

ユダヤ人小学生

 ホテルへ戻るときに、登校中の小学生(左)に会った。私達を見ても手を振るでもなく、笑顔を見せるでもなく硬い表情をしていた。これがユダヤ人の特徴かもしれない。Sakさんがあげるユダヤ人の特徴は、目つきが鋭い、ヒゲがある、鼻が高い、真正面から向き合う、背が低い。ユダヤ人の祖と考えられているアブラハムは、チグリスユーフラテスが交わるあたりのウルの出身だ。ウルはイラクにある。だからイラク人に似ている。同じセム族。

アブラハムの2人の息子のうち、正妻の息子がイサクでユダヤ人の先祖。エジプト人の妾ハガルとの間に生まれた息子のイシュマエルがアラブ人の先祖だという。こんな風に、先祖が同じと考えているのだから、ユダヤ人とアラブ人はもっと仲良くしたらいいのにと思うが、近しい間柄こそ憎しみが増すのは世の常だ。

ところで、ユダヤ人の定義はなんだろう。ユダヤは母系社会なので、母がユダヤ人であればユダヤ人だ。2日目までのガイドSaiさんの奥さんはユダヤ人なので、子ども達は自動的にユダヤ人。日本人の母とユダヤ人の父の間に生まれた子どもでも、改宗すればユダヤ人になれる。(2009年6月2日 記)

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