イスラエルの旅12
 エルサレム 3

2007年11月7日(水)-10日目

エルサレム旧市街地図 朝食後にバスでオリーブ山に行った。ここはイエスが復活後40日で昇天、再臨すると信じられていた場所。きのう見たシオンの丘(エルサレム旧市街地図@)からの眺めとは少し違う旧市街の風景が広がっていた。ここからは黄金のドームと壁がもっと近くに見える。

 オリーブ山から急坂を下るとゲッセマネの園(地図A)に着く。逮捕されることがわかっていたイエスが、最後の晩餐後に、祈りながら苦悩の夜を過ごしたところ。幹が太いオリーブの木は、イエスの時代のものという説明を受けた。

 ゲッセマネの園に隣接して、万国民の教会(地図B)がある。1925年に世界12ヶ国からの献金で建てられたので、この名がある。外壁は明るいモザイクで飾られているが内部は暗い。イエスが苦悩の夜を過ごした場所なので、暗くしているそうだ。

 次に、8つの門のひとつ・糞門(地図C)から城壁内へ入った。嘆きの壁や神殿の丘にもっとも近いのがこの門だ。糞門という汚い名前は、街の汚物がここから捨てられたかららしいが、もうちょっとマシな名前に変えたらいいのにと思う。

 また荷物検査があって、神殿の丘へ。途中、高い所から、昨夜訪れた「嘆きの壁」(地図D)を見おろした。この時間でもお祈りに余念がない人がいた。

オリーブ山からの黄金のドーム ゲッセマネの園 万国民の教会
オリーブ山から見る黄金のドームと壁 イエスの頃のオリーブの木があるゲッセマネの園。 万国民の教会の内部は暗い。

 イスラム教の聖地である神殿の丘には、黄金のドーム(岩のドーム)(地図E)やモスクが建っている。イスラム教の創始者ムハンマドが、天使ガブリエルの導きで昇天した場所とされている。そのときのムハンマドの足跡が岩に残っているという。私達は中に入れないので、足跡を見ることが出来なかった。見たかった!

ここは、アブラハムが、息子のイサクを神に捧げようとした場所とも言われる。イサクを祖としているユダヤ人にとっても、聖地である。

このように神殿の丘は、ユダヤ教徒にとっても、イスラム教徒にとっても大事な聖地。しかし、ここは今は、イスラム教徒の管理下にあり、ムスリムでない者は決まった時間しか入れない。決まった時間内でも、モスクの中や黄金のドームも中には入れない。イスラム教徒だけに許されている。

1969年に狂信的なキリスト教信者がモスクに放火したことで、アラブ国家の結束が高まり、将来のパレスチナ国家の首都をエルサレムと決めてしまった。2000年には、イスラエルのシャロン党首が、ここを強行訪問した。この行為は、パレスチナ人だけでなくイスラエルアラブ人の反感をもかった。こんなことから分離壁が作られ、緊張感は続いている。でも分離壁ができたことで、自爆テロは減ったという。

 幾何学模様のブルー系のタイルの外壁と黄金に輝く屋根はほんとうに美しい。ブルーのタイルは、イランで見たモスクとそっくりだ。しかし、この美しさと裏腹の、ドロドロしたものが渦巻いているのだ。

アラブ人の子供たちが団体で見学にきていたが、皆愛想が良い。イスラムの国に行くと特に子ども達の人なつっこさにいつも慰められるが、イスラエルのアラブ人も同じように人なつこい。朝出会ったユダヤの子ども達とは大違いだ。

黄金のドーム 幾何学模様のタイル イスラムの小学生
黄金のドームの中には入れない。 幾何学模様のタイル。 遠足で来ていたイスラムの小学生。

 次に訪れた所は、悲しみの道の「ビア・ドロローサ」。ビア・ドロローサは、死刑の判決を受けたイエスが、十字架を背負って歩いた道。出発点はローマ総督ピラトの官邸で、終着点はゴルゴダの丘があった所に建てた聖墳墓教会(地図F)。旧市街のイスラム教徒地区からキリスト教徒地区へと続くおよそ1キロの道に、聖書の記述に従って、14ステーションがある。

 映画での悲しみの道をなんども見ている私は、心底がっかりしてしまった。およそその名に相応しくなく、「人混みの道」だった。道の両側には、土産物屋が軒を連ね、呼び込みも賑やか。「最後の晩餐の部屋」に続く「がっかり聖地」だった。

ヴィア・ドロローサ道筋 朝のヴィア・ドロローサ 朝の聖墳墓教会
このように曲がっている「悲しみの道」は1キロメートル続く。1から14までステーションがある。 早朝に散歩したときは、ほとんど人がいないが、皆で観光したときは大混雑だった。 ゴルゴダの丘がある聖墳墓教会。早朝でもこんなに人が集まっていた。

ビア・ドロローサの14ステーションは
@ イエスがローマ総督のピラトから死刑判決を受ける

ピラトはイエスを処罰することを嫌がっていた。しかし、ユダヤ人達はイエスを死刑にするよう、しきりに総督に訴える。イエスを殺したのはユダヤ人であるという事実は、ヨーロッパ・キリスト教社会において、ユダヤ人差別へとつながっているという考えもある。

A イエスが十字架を背負わされる
B イエスが十字架の重みで倒れる
C 母マリアが十字架を背負ったイエスに出会う
D キレネ人シモンがイエスにかわって十字架を背負わされる
E 女性ベロニカがイエスの顔を拭く 
F イエスが2度目に倒れる
G イエスが悲しむ女性たちを慰める
H イエスが3度目に倒れる
I イエスが衣を脱がされる

10から14では聖墳墓教会のなかにある。今ある教会は、1810年の再建だが、最初に聖堂を建てたのは、キリスト教を公認したコンスタンティヌス帝の頃。各派別々にあった聖堂が、再建の時にひとつにまとめられたので、コプト教会・エチオピア教会・ギリシャ教会、アルメニア教会、シリア教会、カトリック教会が同じ建物に入っている。私は、こんなに複雑に入り組んだ教会を見たことがない。よく見れば各派の特徴などつかめるのだろうが、祭壇やフレスコ画をゆっくり観察する時間も空間もなかった。とにかく混んでいる。

J イエスが十字架に架けられる

聖墳墓教会に入ってすぐ右の階段を上がると、そこがゴルゴダの丘。ゴルゴダの丘は、荒涼とした野原にあるような気がしていたが、ゴチャゴチャした教会の内部にある。これも、ここまで来てみなければ、分からないことだった。

コンスタンティヌス帝(306〜337)の母ヘレナが熱心なキリスト教信者だったことから、ヘレナがエルサレムに来て、ここがゴルゴダの丘だと認定したという。イエスが亡くなってから300年後のことだ。だからこのゴルゴダの丘の位置も他に説があり、考古学的には、はっきりしていない。

K イエスが十字架上で息を引き取る

イエス像の下の小さな祭壇のところに、何人も並んでいる。十字架を立てた穴があるらしい。クリスチャンのTちゃんは、当然さわりたいだろう。長い行列にあきらめかけたが、「大丈夫よ。私も並んであげるわ」と、2人で十字架を立てた穴に触ってきた。「ゴルゴダの丘」がここだとの確証はないと聞いたばかりなのに、穴に触れて満足している私も、われながら変だと思う。

L アリマタヤのヨセフがイエスの遺体を引き取る
M イエスが埋葬される 

聖墳墓教会の中に特別の聖堂がある。イエス埋葬の地・イエス復活の地と言われる。ここは狭い上に、何10人も並んでいる。時間がないのであきらめた。

第3ステーション(イエスが倒れる) 第4ステーション(マリアと会う) 第10ステーション(衣服を脱がされる
第11ステーション(十字架に架けられる) 第12ステーション(十字架上で息を引き取る) 第12ステーションの祭壇下部。十字架を立てた石。

朝食前に散歩したのは正解だった。早い時刻でさえ、かなりの人がいたが、このときは、押すな押すなの大混雑。キリスト教の聖地はどこも混んでいたが、ここの混みかたは尋常ではない。Sakさんたちガイド仲間でも「なぜこんなに観光客が来るのだ」とびっくりしているという。やっと来られるようになった信者達がどっと押し寄せたためだろう。でも、日本人の団体には1度会っただけだ。(2009年6月9日 記)

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