イスラエルの旅 4
 ガリラヤ地方

2007年10月31日(木)-3日目

ガリラヤ湖周辺地図 地中海沿岸の町アッコ(地図@)から少し南下して、バスは内陸部のボリ(地図A)に着いた。いよいよ、イエスキリストに関係深いガリラヤ地方の観光が始まる。左は、「旅名人ブックス イスラエル」から借用した地図に数字など書き入れた。

 ツポリは、ヘロデ王の時代からガリラヤ地方の首都として栄えた古い町。ローマ遺跡の円形劇場や富豪の家などが残っている。

 富豪の家の床にある「ガリラヤのモナリザ」と「ディオニソス」のモザイクは色彩もよく残っている。

 ガイドのSakさんは、ガリラヤのモナリザが大のお気に入りらしい。「ほっぺがほんのり赤くなっているのを見てよ。色っぽいでしょう。何度見てもいいね」。

 「この人も太ももが透けて見えるでしょう。素晴らしいね」など、きわどい話をする。

円形劇場 ガリラヤのモナリザ 透けて見える太もも
ローマ遺跡には必ずある円形劇場背後に現代の人が住む町が見える。 ガリラヤのモナリザ。ほぺがほんのり赤い 透けて見える女性の太もも。

 床のモザイク画を初めて見たのはイタリアのポンペイ遺跡だった。その後、チュニジア・モロッコ・シチリア・トルコなどでずいぶん見た。同じように見えるモザイクも、時代や地方によって微妙に違うのかもしれないが、そこまでの知識がないから、「又か」の気持ちになる。

 昼食後、ナザレ(地図B)に到着。ナザレはイエスが幼年・青年時代を過ごした町で、クリスチャンでない私でもナザレはよく耳にしている。「ナザレ人イエス」とも言われている。イエスが長いこと暮らした町だからキリスト教徒が住んでいてもよさそうなものだが、今はアラブ人が多く住む町だ。

 そもそもイスラエルには、キリスト教徒はほとんどいない。でもアラブ人のすべてがイスラム教徒というわけでもなく、ナザレのアラブ人の3分の1は、キリスト教徒だ。宗教は人間の心の問題だからややこしい。

マリアの井戸・聖ガブリエル教会・青年イエスの教会・聖ヨセフ教会・受胎告知教会など、イエスが育った地に相応しい名所が数多くある。

まず受胎告知教会に行った。処女マリアが大天使ガブリエルから懐胎を告げられた所とされる。「処女で懐胎するはずがないじゃない」の思いも、旅行中は封印する。

「・・すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。 あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。 その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。 彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」(ルカによる福音書1章)

告知された洞窟の上に、1969年に建設された新しい教会だ。屋根はアベ・マリアのAをかたどっている。正面には、マリアとガブリエル、福音書を書いたマタイ・マルコ・ルカ・ヨハネのレリーフがある。この立派な教会を建てたのはフランシスコ派だそうだ。なぜかフランシスコ派は金持ちらしい。フランシスコ派に、清貧なイメージを勝手につくりあげている私は、違和感を持ってしまう。

ちょうど洞窟の中で2人の神父が、神妙な所作をしていた。Sakさんが「写真は構わないよ」と言うので、神妙な2人を皆でパチパチ。多人数がパチパチやるのはナンだなあと思うが、その中に私もいる。

各国から贈られた聖母子像の絵が壁面にあり、日本人の長谷川路可(1897〜1967)作の「華の聖母子」もあった。真珠や金箔が使われて豪華だが、マリアさまとイエスさまは、まるで日本人のように見える。

受胎告知教会 受胎告知教会内洞窟 聖母子像
受胎告知教会。ガブリエルとマリア。マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネのレリーフがある。 マリアが受胎を告知された洞窟 日本人画家による華の聖母子像。


 次はマリアの夫ヨセフの住居跡に建てられた聖ヨセフ教会へ行った。当時の住居は洞窟が普通だったようで、ガラス越しにヨセフの洞窟を覗いた。常識的に考えれば、自分と結婚する前に身ごもったマリアを許すのも変だが、それはさておき、ヨセフはマリアと共にイエスを慈しんで育てた。大工仕事をしているイエス一家の絵もかけてあった。

ナザレから北10`にあるカナに向かった。カナも今はアラブ人が多く住む町だ。カナにはフランシスコ派とギリシャ正教の2つの婚礼教会があるが、フランシスコ派の方が立派と言うことでこちらを見学。

 イエスと共に婚礼に招かれたマリアは、葡萄酒が足りなくなり困っているのを見て、イエスになんとかしてあげなさいと頼む。そこでイエスが、水瓶の水を葡萄酒に変えたのだ。イエスが最初の奇跡を行った所として有名である。

教会の内部には、6つの水瓶の絵や、その時の瓶だと言われる石の入れ物がガラスケースに入って保存してあった。「どうしてこれがその瓶だとわかるの」と、突っこみもいれたくなるが、本物だと思っていた方が楽しい。

ここで初めて日本人の団体にあった。教会が募集したツアーで来ているとのこと。彼らがイスラエルを旅するのは、物見遊山の私とはまったく違い、精神の高揚があるのだろうと想像した。

この教会の前に、ワインを売る店があった。便乗商法はどこにもあるなあ。

ヨセフの住居 大工仕事をしているイエス カナの婚礼教会
マリアの夫ヨセフの住居 大工仕事をしているイエス カナの婚礼教会
水を葡萄酒に変えた瓶 6つの瓶 ガリラヤ湖のサンセット
水を葡萄酒に変えた瓶 葡萄酒に変えた6つの瓶 ガリラヤ湖のサンセット


5時前に、ガリラヤ湖畔ティベリア(地図C)のホテルに着いた。ティベリアは2000年前、ヘロデ王の息子アンティパスが、ローマ皇帝ティベリウスに敬意を表して名付けた町。カイザリアもローマ皇帝にちなんでつけた町だが、両方ともローマに支配されてしまう。おべっかをつかっても無駄だということだ。

夕食前に湖畔を散歩。ガリラヤ湖周辺にはイエスゆかりの地が多いが、今はリゾート地。立派なホテルやレストランがたくさんあり、賑やかだ。ガリラヤ湖は東西12`、南北21キロの湖。海抜−200bの所にある。酸素が濃いかと思ったが、鈍感な私にはわからない。ガリラヤ湖に沈む太陽をカメラにおさめた。2000年前のイエスもペテロも見たのだろうなと思いながら。  <ティベリアのカイサルホテル泊>
(2009年3月6日 記)


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