イスラエルの旅 5 2007年11月1日(木)−4日目 今日は1日かけて、ガリラヤ湖周辺をめぐる。イエスゆかりの聖地がたくさんあるので楽しみだ。位置関係を示す地図が手に入らなかったので、私が作成(左)したので正確ではない。 まずギノサール(地図@)のイガル・アロン・センターで、1986年に発見されたイエスの頃の船を見学。炭素測定法で2000年前の舟とわかった。長い年月湖底に浸された本体を、ファイバーグラスとポリウレタンで繭状に覆って梱包し、保護水槽に保存したという。 長さ8.2b、幅2.3b、高さ1.2bで、少なくとも11種の木で造られている。舟の大きさから、5人の乗組員が帆かオールで航行していたことなど、いろいろなことがわかった。 次はガリラヤ湖を見下ろす丘の上に立つ山上の垂訓教会(地図A)に行った。大勢の群衆を前にしたイエスが「心の貧しい人々は幸いである。天の国はその人たちのものである」など、8つの教えを説いたところ。中学生の頃からこの部分だけは知っていた。心が貧しくても天国に行けるんだなと、都合良く解釈していた。この教会は、8つの教えにちなみ8角形の教会である。受胎告知教会と同じフランシスコ派が、1938年に建立。 次は、タプハにあるパンと魚の奇蹟の教会(地図B)へ。イスラエルの教会は、聖○○など同じような名前ではなく、具体的だからわかりやすい。イエスが、5つのパンと2匹の魚から5000人が満腹するほどの食べ物を増やした奇跡の場所(マタイによる福音書14章)に建っている。祭壇前にはいわくありげな石が、床には魚とパンのモザイク絵があった。 次の見学は、同じくタプハにあるペテロ首位権の教会(地図C)。ここもフランシスコ派の教会。ペテロが漁師だったころに、弟のアンドレと共にイエスの弟子になった海辺であり、ペテロが「私の羊たちを導く鍵をお前に託す」とイエスに言われた場所でもある。この教会の天井には、漁師だったペテロにちなみ、魚のステンドグラスがある。 ペテロが一番弟子と認められたことから首位権の名がある。今も、ローマ教皇は、ペテロから天国の鍵を継承しているキリストの代理とされる。教会内部にある岩は、メンザ・クリスティ(キリストの食卓)と言われ、復活後のイエスが、弟子達と朝食を摂ったところ。イエスの助言で153匹の魚が捕れたと、聖書にも書いてある。この教会の庭で出会った神父さんは、なんと椅子に足を投げ出して休んでいた。目があうと、にっこり笑った。ペテロ首位権教会と聞くと、いかにも重々しい感じがするが、ここで出会った親しみやすい神父さんの顔を思い出すと心が温まる。
次はカペナウム(地図D)へ向かった。イエスが洗礼を授けてもらったヨハネが捕らえられると、イエスはナザレを去って、カペナウムに移り住んだ。ここのシナゴーグを拠点にして宣教していたので、「イエスの町」とも言われる。イエスの町と看板に書かれた入口を入ると、ペテロの像(銅像めぐり64参照)が迎えてくれた。ペテロの家があったらしい。
昼食は湖畔のエンゲブ(地図E)のレストランでとった。このレストランはキブツ内にある。ここで「聖ペテロの魚」を食べた。あっさりした白身魚でおいしかった。魚に聖人の名をつけるなんて・・。 レストランを出たところで、車いすのお年寄りを介護しているフィリピン人の若い女性に会った。目があったら、いろいろ話しかけてきた。フィリピンから介護の仕事のためにここに来ているという。「この方は英語の先生だったんですよ」と、車いすの女性のことを誇らしげに話してくれた。
昼食後はガリラヤ湖クルーズに出発。古代舟を模して作ったというが、もちろんエンジンがついている。ガリラヤ湖についても次のような奇蹟がある。 激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水浸しになるほどであった。しかし、イエスは艫の方で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして、「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」と言った。イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪になった。(マルコによる福音書4章) 今日のガリラヤ湖は、突風どころか微風。湖上を吹く風はやさしかった。(2009年3月16日 記) |