イスラエルの旅7
 死海とその近辺

2007年11月3日(土)−6日目

日が出る前に、死海の浜辺に出てみた。驚いたこと、日の出前からたくさんの人が死海に浸かっている。ホテルに長期間逗留して、皮膚病などの治療をする人が多いと聞いた。こんな濃い塩水が、皮膚病に効くのだろうか。

 待つことしばし、ヨルダンのネボ山あたりから朝日が昇ってきた。ネボ山は「約束の地」目前にしたモーゼが亡くなった所だ。そのネボ山を思い出しながら、みるみる高くなる太陽を眺めた。

バスは、きのう南下して来た道を北上してエンゲディ国立公園(地図@ 旅名人ブックス「イスラエル」から地図を借用し、数字など加えた)に向かった。

 エンゲディは、ダビデがサウロの手から逃れて身を隠した場所として旧約聖書(サムエル記上24章)にも書いてある。

今は砂漠の野生動物の住処になっていて、歩き出してすぐイワダヌキやアイペックを見かけた。岩山を1時間ほど登ると、ダビデの滝に到着。11月とはいえ、草木のない岩山を歩くとかなり暑い。滝のしぶきと滝壺の水が暑さを救ってくれた。岩山ハイキングは、明後日のシナイ山登頂の予行練習になった。

死海の日の出 エンゲディ国立公園 野生動物の宝庫
死海の日の出。対岸はヨルダン。 エンゲディ国立公園。写真の岩山を登った。 野生動物がたくさんいる。アイペックという鹿の一種。

 エンゲディを南下してマサダ国立公園(地図A)へ。マサダは、ローマ軍に追いつめられたユダヤ人が最後に籠城した砦である。

 死海のほとりをバスで通っていても、マサダはすぐわかる。高い山のてっぺんをスパッと切った形をしている。400bの山で、蛇の道という登山道を上がると1時間はかかるという。私達はケーブルカーで登ったから楽だったが、歩いて登れば眼下の青い死海が尚更きれいに感じるだろう。

頂上には、BC1世紀の要塞とヘロデ王が建てた冬の宮殿の遺跡がある。大きな貯水槽・食料庫・サウナ・モザイク・壁画からは、当時の最先端の技術や文化が想像できる。しかしヘロデ王はここを使うことはなかった。

70年の9月26日にエルサレムが陥落後、熱心党という967人のユダヤ人が3年間もここに籠もってローマ軍と戦った。3年間の食料と水を貯蔵できる施設があったことに驚いてしまう。とうとうローマ軍が砦の頂上に攻め込んできた。相手は3万人なので適うはずがない。生きて捕虜になるよりはと、全員が自決。3年間に及ぶ攻防は終わった。この精神は今のユダヤにも「ノーモアマサダ」のスローガンで語り継がれている。現在の軍隊の入隊式はここで行われるそうだ。

マサダの砦 観光客がいっぱい マサダノ遺跡
死海を見下ろす頂上に砦があった。 どこもここも観光客でいっぱい。 3年間も籠もることができたマサダの砦。

エンゲディのキブツのレストランで昼食。観光客で大混雑し、ゆっくり食事もできない。Sakさんが「こんなに混むのは異常だよ」と言うほど観光客が多い。

エン・ボケック(地図B)のホテルに戻った後、死海に入った。ヨルダンで経験しているので2度目の死海だ。ヨルダンに行ったのは1月だったので、気温が低く波が高かった。濃い塩水が顔にかかり、目も鼻も痛かった。今日の死海は、同じ海とは思えないほど穏やかだった。

しかし、海に入ると今度は足裏が痛い。塩の結晶がゴツゴツしている。足の痛さから解放されるには浮くしかない。手足を動かして泳ぐ癖がついている私には、無心で浮くのは難しい。でも、足と両手を同時に上げてみたら、浮いた浮いた。肌がぬるぬるして、スベスベになるような気がした。しかし30分以上、濃い塩水に入るのはよくないと聞いた。そのあと、真水のプールや、死海の海水を引き込んだプールに入るなどして楽しんだ。なにごとも経験とはいえ、私はもう死海には入らなくてもいい。

死海は海面下約400bの、世界で最も低い土地にある湖。本来なら海ではないが、塩分があるから海と呼んでいる。魚など生物が住めないことから外国人が死海と呼んだらしいが、イスラエルの地図には「塩の海」となっている。魚こそ住めないが、塩以外に、無機質の成分がたくさん含まれているので、肥料・化粧品・医薬品に加工している。死海どころか活力に満ちた湖である。

死海で浮遊 塩の結晶 死海の塩
手足を挙げても簡単に浮くことができる。 塩の結晶がゴツゴツして歩くと痛い。 死海の塩。スーパーマーケットで買うと安いが土産物屋は高い

 しかし、イスラエルに利益をもたらしている死海の水位は、毎年およそ1bも下がっているとか。ガリラヤ湖やヨルダン川からの流入量が少なくなってきているうえに、雨は少ないし、沿岸の工場で水を使っているからだ。そのうち、死海の水はなくなってしまうと言われている。

 現に、海の水が干上がっている様子がバスの車窓からでもわかった。事実上、死海は上の地図からも分かるように、南北に2つに分離している。

 北の死海は塩分が27%。南の死海は33%。宿泊したエン・ボケックは南の塩分の濃い海に面している。もしこのままにしておくと濃度が高くなりすぎて、結晶ばかりになってしまう恐れがある。海水がなければ観光客は来てくれない。そのために、北の死海と南の死海を人工的な運河でつないでいるのだった。痛々しい姿。    
<エン・ボケックのシェラトンモリア泊> (2009年4月9日 記)

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