イスラエルの旅8
 ユダの荒野からシナイ山へ

2007年11月4日(日)−7日目

 エジプトのシナイ山のふもとのホテルまで行くことになっている。これまではゆっくりの行程だったが、今日ばかりは強行軍だ。バスはヨルダン国境沿いの砂漠地帯を南下する。1時間も走るとそこはユダの荒野。「出エジプト」したモーゼとユダヤの民が、40年間もさまよった荒野である。

 アブダット国立公園に寄った。アブダットは、スパイスロードの中継地点としてBC4世紀からAD1世紀に最盛期を迎えた。ナバテア人の首都ペトラから、ガザの港への中継地点がアブダッド。今、イスラエルとの衝突の場になっているガザは、以前は地中海に面した平和な港だったのだ。

ペトラは、ヨルダンの旅でいちばん感激したところ。ペトラで暮らしていたナバテア人の消息を、イスラエルのアブダットで聞く。これは旅の醍醐味である。ヨルダンとイスラエルの近さを思えばなんら不思議はないのだが、別なときに、別なルートで旅をしているので、なかなか結びつかない。

 ローマに支配された後も、エルサレムからエイラートへの主要路として栄えた。だから、おなじみのローマ遺跡もみごと。当時の栄華をしのぶには充分だ。

アブダット遺跡 アブダット遺跡 アブダット遺跡
スパイスロードの中継地アブダットの遺跡。 アブダットの遺跡 スパイスロードはラクダが行き来していた。


 更に南下してラモン渓谷へ。ガイドブックにはまるで別の惑星にいるようだとか、巨大クレーターだとか載っていたが、私には単なる谷底の砂漠としか思えなかった。地質でも勉強している人なら、興味深いのだろう。

 茶色の世界を走ってきた目の前に、突如近代的な街と青い海が見えた。エイラットと紅海だ。ヨルダンに行ったときもアカバで紅海を見ている。港町アカバの海岸からエイラットが見えた。砂漠を抜けてきたアラビアのロレンスが、「アカバだ」と歓喜の交じった声でつぶやく。もちろん映画のシーンである。今度は、エイラットからそのアカバを見た。こういうなんでもないような事が嬉しいものだ。 

 紅海はダイビングのメッカで、世界でいちばん美しい海と言われる。そのいちばん美しい海中を見ることができる施設が水中展望台。ここで熱帯魚の数々を見た。本物の海とはいえ、餌をまくことで魚を集めているのだろうし、ダイバーが設備の点検のためかチョロチョロしている。水族館みたいなものだ。

ラモン渓谷 エイラットのビル 水中展望台
ラモン渓谷 近代ビルが建つエイラッ エイラットの水中展望台

夕方5時にエジプトとの国境タバで出国と入国の手続きをした。いっとき、イスラエルのガイドとドライバーとお別れ。エジプトのガイドを使った方が費用が安くすむためらしい。イスラエル側で「出国のスタンプを押さないで」と頼む。それがすむとエジプト入国。出入国には、かれこれ1時間かかった。

 エジプトガイドのシシ君は、カイロ大学の日本語科を出た。カイロからここまでバスで来て、長いこと私たちの到着を待っていた。

 1967年の中東戦争でイスラエルがシナイ半島を奪ったが、1979年にエジプトとイスラエルは平和条約を締結。シナイ半島は、再びエジプトのものになった。アサド大統領の時に平和条約を結んだためかどうか、「アサドがいちばん国民に人気がある」とシシ君は強調した。「平和条約を結んでも、内心ではイスラエルを許しているわけではありません」とも付け加えた。なにやらきな臭い。

他にも、いろいろ話してくれるが、私達は明日早朝のシナイ山登山のことが気にかかる。このさい、エジプト事情はどうでもいい。

 夜の9時過ぎにホテルに到着。それから遅い夕食。こんなことになるのは、前からわかっていること。水族館見物などしないで、もっと早い時間にホテルに入った方がいいのにと、みなブーブーである。寒いとは聞いていたが、やっぱり寒い。セーターを着て眠りについた。<シナイ山のふもとセントカテリーナプラザ泊>

11月5日(月)−8日目

モーニングコールは1時である。睡眠時間は3時間にも満たない。体力がもつかしらと不安になってくる。ホテルのロビーに用意されてあった暖かい紅茶を飲んで1時半に出発。この日のために、かさばる登山靴やストックも防寒具も持ってきた。懐中電灯も用意して準備だけは怠りない。

 2時ころにシナイ山の麓の駐車場に到着したが、ラッシュなみの混雑だ。なぜこんな時刻に山に登る人が大勢いるのだろう。驚きを通り越してあきれてしまう。もちろんこの山が、旧約聖書にあるシナイ山だと言われるからだが、私のように宗教心とは無縁の物見遊山の人もいるにちがいない。

 駐車場は標高1500bにある。山頂は2285bなので標高差は800b足らずだが、楽ではなかった。頂上まで3時間もかかった。途中までラクダに乗ることもできるが、歩いてこそ何かを感じる事ができると思っている私は、こういう時に乗ったことがない。でもラクダに乗った人は、「星空がほんとにきれいだった」と話していた。

寝不足のうえに、真っ暗なことがつらい。しかし、昼間は暑いうえに、瓦礫の岩ばかりの登山道を見ただけでげんなりするに違いない。見えなくて「幸いなるかな」だった。草木が一本もなく、土もないのだから。

特に最後の750段の石段がつらかった。神社のような規則的な石段ではないから、非常に登りづらい。まして私はこの石段の前に、ラクダに突き飛ばされた。突き飛ばされたという表現は正しくないのだが、暗くて狭い登山道を人間を乗せたラクダが次から次へ通る。人間が小さくなってよけねばならないが、彼らは音もなく近づいてくるから、わかりゃしない。ラクダに接触されて、転んで左腕を瓦礫の地面についてしまった。帰国してから整形外科でレントゲンを撮ってもらったほど、左腕の痛みは2週間以上続いた。

登山口でラッシュ状態だったのだから、それが解消するはずもない。登山道も列をなしていたが、頂上はもっと混雑していた。日の出を見るために良い場所を確保しようとする人で賑わっていた。

日の出を待つ人 日の出を待つ人 空が白みかけてきた
日の出を待つ人で足の踏み場もない。 離れた岩の上で日の出を待つ人。 少し白みかけてきた。

 東の地平線からわずかに光が射してきた。刻々と山肌の色が変わってくる。岩ばかりだから、色の変化がわかりやすい。ついに5時45分。神々しいほどの太陽が昇ってきた(下)。モーセが十戒を授けられた山だと知らなくても神々しい。10年前にも登ったSちゃんは、そのときより今度の方が太陽の赤が鮮明だと話していた。苦労して登った甲斐があったというものだ。

シナイ山の日の出

(2009年4月16日 記)
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