ヨルダン・シリア・レバノンの旅 10
目からウロコ(パウロの改心) (シリア)

2005年1月17日(月)-7日目-

 ダマスカスの旧市街は、キリスト教徒の地区とイスラム教徒の地区に大別される。まず、キリスト教徒地区の聖パウロ教会(右)へ行った。PとXの透かしが門についている。パウロは、ユダヤ教徒からキリスト教徒に改心した聖人として名高い。パウロがいなかったら、キリスト教は世界宗教にならなかったと言われる人物だ。

 聖パウロ教会と名がつく教会は世界中に数多くあるが、ダマスカスは、パウロがキリスト教徒に改心した地なので、ここの聖パウロ教会は特別だ。

入口に、パウロが落馬している像(左)がある。なぜこんな像があるのか?

 次に訪れた聖アナニアス教会(右)も、パウロにゆかりがある。聖アナニアスが、パウロの改心に関係していたからである。

 教会内部は、洞窟のようになっていて、神秘的な雰囲気。キリスト教徒を弾圧する立場にあったユダヤ教徒のパウロが、熱心なキリスト教徒になるまでのストーリーが、30枚の絵になっている。

  いきさつは新約聖書「使徒行伝」9章に詳しいので、書き写す。全文を書くスペースがないので、興味のある方は、新約聖書をお読みいただきたい。なお、サウロはパウロのこと。アナニヤはアナニアスのこと。

・・さてサウロは、なおも主な弟子達に対する脅迫、殺害の息をはずませながら、大祭司の所へ行って、ダマスコの諸会堂あての添書を求めた。それは、この道の者を見つけ次第、男女の別なく縛り上げて、エルサレムに引っ張って来るためであった。

 ところが、道を急いでダマスコの近くに来た時に、突然天から光が射して彼を巡り照らした。彼は地に倒れたが、そのとき「サウロ、サウロ、なぜ私を迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。そこで彼は「主よ、あなたはどなたですか」と尋ねた。すると答えがあった。「わたしはあなたが迫害しているイエスである。さあ立って、町に入っていきなさい。そうすれば、あなたのなすべき事が告げられるだろう」。・・・サウロは地から起きあがって目を開いてみたが、何も見えなかった。

 そこで人々は彼の手を引いてダマスコへ連れて行った。彼は3日間、目が見えずまた食べることも飲むこともしなかった。・・・そこで、アナニヤは、出かけて行ってその家に入り手をサウロの上において言った。・・・すると、たちどころにサウロの目から、うろこのようなものが落ちて、元通りに見えるようになった。そこで彼は立ってバプテスマを受け、また食事をとって元気を取り戻した。

 こうしてパウロは、ユダヤ教からキリスト教に宗旨替えする。パウロが落馬する場面は、宗教画の格好の題材になっている。私は「パウロの改心」の絵を、イエスとマリア像と同じぐらい、何枚も目にしている。それだけに、改心の地・ダマスカス訪問は、感慨深かった。

 下のの3枚は、祭壇に掲げられていた絵。右が、落馬したところ、中が目からウロコが落ちて改心した瞬間、左は、ユダヤ教徒の追っ手から逃げるために、バスケットに乗って脱出する場面。












 
 
 いちばん嬉しかったのは、「目からウロコ」が、パウロの改心から出ている慣用句だと知ったことだ。「目に鱗なんかついてないのに、なぜこんな言い方をするんだろう」と、妹たちと話したことがある。ああでもない、こうでもない・・の珍説が出たが、もちろん結論など出なかった。シリアのダマスカスでその答えが見つかった。だから旅は止められない。

 次は、旧約聖書の話。市内のどこにいても1150bのカシオン山が見える。赤茶色のまったく緑がない山だ。写真がよく写っていなかったので、左は、シリアのパンフレットから借用したカシオン山。

 この山は、アダムとイブの子ども達、兄のカインが弟のアベルを殺した場所として有名だ。若貴兄弟の喧嘩報道のときに、週刊誌は、他にも兄弟の仲の悪さの具体例をたくさんあげていた。今を示唆する記述が、すでに旧約聖書に出ている。

 「人類初の殺人があった場所です」の説明があったが、もちろん聖書の中の話。人類の起源をアダムとイブだと信じている人にとっては、人類初の殺人場所ということになる。日本の歴史教科書には、「もっとも古い人類は、アフリカで発見されたアウストラピテクスで、およそ400万年前」と書いてある。(2005年9月2日 記)

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