ヨルダン・シリア・レバノンの旅 11
ウマイヤ朝の中心地・ダマスカス
 (シリア)

2005年1月17日(月)-7日目-

 170万人の大都市シリアの首都・ダマスカスは、キリスト教ゆかりの地であると同時に、イスラム教ウマイヤ朝の中心地でもあった。ウマイヤ朝(661〜750年)は、ウマイヤ家出身のカリフが、ダマスカスに開いた王朝である。

 そんなこともあって、旧市街には、イスラム関連の見どころが固まっている。まず見学したのは、アゼム宮殿。1749年に、ダマスカスの統治者・アゼムにより建てられた邸宅で、今は博物館になっている。展示品そのものよりも、イスラム文化を凝縮した建物が素晴らしい。右は、宮殿中庭でオレンジの実を穫っているところ。数個くれたけれど、酸っぱかった。

 次は、サラディーン霊廟へ。サラディーンは1138年にイラクで生まれたクルド人。十字軍の襲撃からダマスカスを守り、エルサレムを奪回したアラブの英雄だ。1193年にダマスカスで死亡。

 ウマイヤドモスクは、メッカ・メディナ・エルサレムに次ぐ中東では、4番目に大きいモスク。186b×120bと広大だ。アラム人の神殿、ローマ時代のジュピター神殿があったところに、ウマイヤ朝が建設。その名残は、左の写真にある。わずかに残るローマ神殿の柱と、モスクのミナレット。

 ここのモスクは、格式が高いらしく、女性は長衣を着ないと入れない。女性だけがねずみ色のコートを被り、「ねずみ男」ならぬ「ねずみ女」が勢揃いした。女性だけが、何故こんな格好をしなければならないのかと、怒ってもはじまらない。「イヤなら入場しないで」と言われるだけだ。

 黒ずくめの女性やイスラム帽子を被った人達が、大勢お詣りに来ていた。「巡礼月」にあたっているので、イランから巡礼者だという。涙を流しながら説教を聞いている。こんな側をゾロゾロ歩くのは申し訳ない気持ちになるが、幸い、私たちには目もくれなかった。申し訳ないと言いながら、写真(左下)を撮る矛盾を衝かれそうだが、撮影は許可されている。

 このモスクの中に、ヨハネの廟もある。イスラム教とキリスト教の啓典は同じだと言われるが、モスクの中にキリスト教の聖人が祀られているのを初めて見た。

 「地球の歩き方」には、「聖ヨハネの首がある」と書いてあるが、それは間違い。洗礼者ヨハネの首が祀られている。本当に首があるのかと疑いたくなるが、宗教に詮索は野暮というものだ。ともかく、洗礼者ヨハネは、イスラム教徒にも尊敬されているらしい。

 その後の自由時間でハメディアバザール(左)をぶらついた。全長600bのアーケードの中に1200もの店があり、中東第1の規模だと言うが、貴金属・絨毯・民族衣装を今更買う気は起こらない。道幅が広いので肩がふれあうこともなく、中東独特のワクワクするバザールではなかった。


 バザールを抜けた所に、サラディーンの銅像(右)があった。勇壮さがよく現れている像だと思う。ヨルダン・シリア・レバノンには銅像が少ない。今回の旅で、唯一写真に収めることができた銅像だ。

 サラディーン像周辺にたたずむと、街のけたたましさに驚く。黄色いタクシーがクラクションを鳴らしながら何台も走っている。渋滞している車の間を縫って大勢が行き交う。月曜なのに、所在なげにブラブラしている男性が目に付いた。ニダールさんは「失業者がぶらついているんですよ」と言っていた。失業率は18%と高いそうだ。

 国立博物館に向かう車窓から、ヒジャーズ鉄道駅が見えた。オスマントルコ時代にイスタンブールとメッカを結んだ鉄道の駅。アラビアのロレンスが、この鉄道を破壊する場面が映画に出てくる。

 1930年に開館した、ダマスカス国立博物館を見学。正面の門(左)は、パルミラの西85キロにあるカスルアルヘイラガルビー遺跡の門を組み立てたもの。

 シリア全土の出土品が展示されているので、見応えはあったが、内部は撮影禁止。世界最古のアルファベットを掘った粘土板や、ユーフラテス川沿岸のマリから出土した土器、アクセサリーが印象に残っている。写真でもあれば思い出せるが、脳に入りきれない。

 喧噪のダマスカスを離れ、午後3時ころにマルーラ村を展望する地へ着いた。太陽も出ていないし、標高も高いので寒い。次第に雪までちらつき始めた。

 マルーラ村は、イエスが使っていたアラム語を話すキリスト教徒が5000人住んでいる。シリアにはこのような村が他に2つあり、およそ15,000人がアラム語を話す。キリスト教が迫害された時に、隠れ住んで以来という。たくさん見える洞窟の穴は、その時のものだろう。

 マルーラ村の聖サルキス教会(左)は、316年の建築。やっとキリスト教が公認される頃のことだ。原始キリスト教時代の祭壇、異教徒の父から逃げた聖タクラのイコン、聖母マリアの祭壇などがあった。

 教会の受付にいた若い女性が、アラム語で聖書を読んでくれた。もちろん意味はわからないが、音楽みたいで心地よかった。わずか15,000人しか話さない言語を守ろうとする人々が、ここにいる。(2005年9月22日 記)


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