ヨルダン・シリア・レバノンの旅 15
レバノン杉 

2005年1月21日(金)-11日目

 トリポリを出発したバスは、「レバノン杉の森」に向かって高度をあげた。途中にある谷あい(右)は、レバノンで、もっとも美しいと言われる。段々畑には、リンゴの木。花や実をつける頃の美しさは、容易に想像できる。

 湾岸諸国の金持ちが、競ってこの地に別荘を建てるそうだ。同じイスラムの国で、アラビア語が通じる。別荘を持つには、願ってもない地なのだ。

 標高2000bのカディーシャ渓谷に、レバノン杉の森がある。そこに着くや、一面の雪景色(左)。

 何度も添乗に来ているMさんでも、こんなに雪が多い森を初めて見たという。除雪車のおかげで、道路は閉鎖されずにすんだが、奥にあるスキー場は閉鎖だという。スキー場にたどり着けない家族連れが、そり遊びをしていた。

 ダウンの長いコートと滑りにくい靴が、役に立った。3国の旅を決めたときは、エジプトのように、冬でも暑いのかと思っていた。雪が降るとは、想像すらしなかったが、前もって添乗員から「雪になるかもしれない」と連絡があったのだ。

 レバノンの国旗(右)には、レバノン杉がデザインされている。モデルになった杉が、道路脇に立っていた(左)。樹齢4000年だという。堂々とした樹木に見えるが、幹の半分が折れているなど、無惨な姿だ。

 聖書には、レバノン杉の記述が103カ所もあるそうだ。歴史的遺物にも、たくさん使われている。エジプトのクフ王の船、ミイラの人型棺、ミイラ作り(レバノン杉から出る油が防腐剤)、ハドリアヌス帝の神殿など。

 エジプトに行った時に、ガイドの口から何度かレバノン杉の名が出た。「どんな杉なのだろう」。レバノン杉を目にしたい気持ちは、この時から持ち続けていた。

 それほどのレバノン杉を、オスマントルコは、鉄道の枕木に使ってしまった。1975年から15年も続いた内戦中にも枯死が急増した。今は杉そのものが世界遺産に指定され、植林も始まっている。
 
 レバノン杉は、どう見ても、日本で見る杉とはちがう。売店で売っている実(左)も、日本で言う「松ぼっくり」にそっくりだ。「レバノン杉は、スギ科じゃないんじゃないかしら。松によく似ているし」と、私はつぶやいた。聞きつけた男性の同行者が、笑った。「スギ科だから、レバノン杉なんですよ」。

 ところが!!やはり、レバノン杉は、マツ科だった。3月12日(2005年)の朝日新聞に、レバノン杉の森が徐々に回復しているという記事が載っていた。「マツ科の針葉樹。芳香を持ち腐りにくいため建材、船材として珍重された」の注釈がついていた。誰が命名したか知らないが、ややこしくしないで欲しい。


 カディーシャ渓谷のレストランで昼食後、ビブロスに到着した。標高2000bから一気に海岸まで下りたことになる。午前中は雪で震えていたのに、午後は半袖でもいいほどの暑さ。空も海も青く、太陽がまぶしい。

 ビブロスは 7000年前にカナン人が住んだ。それ以後、途切れることなく、さまざまな人種が住み続ける世界一古い町だ。ビブロスは、バイブルの語源になった。ビブロスの人々は、聖書の語源になった町に住んでいることを誇りにしているという。聞いたこともない地名だったが、バイブルの語源と聞いて、俄然親しみを覚えた。

 地中海に面した遺跡(左)には、旧石器時代の遺構、9世紀のモスク、中東で最初に作られた十字軍の城、キリスト教の教会、エル神殿、オベリスク神殿(右)などが混在していた。

 いつものごとく、ガイドの説明は、馬の耳に念仏だったが、青空のもとで、遺跡は輝いていた。午前中は雪道を歩いていたことが、自分でも信じられない。

 午前中のガディーシャ渓谷にも、そり遊びの家族連れが大勢いたが、この遺跡も、レバノン人らしき家族連れであふれかえっていた。ベイルートのHONDAの代理店に勤めている人が、声をかけてきた。日本人には親しみを覚えるのだろう。

地中海をを右に見て南下、ベイルートに向かった。地中海に沈む夕日が見事だったが、この道は大渋滞。カメラストップどころではないのだ。犠牲祭の休日で、郊外に出た人が家路につくところだ。おまけに、ガイドがマリオットホテルへの道順を知らない。ドライバーはシリア人。ホテルに到着したのは、予告時刻をだいぶ過ぎていた。3連泊するホテルだが市の中心から離れている。部屋の善し悪しよりも、市街地に近いホテルをとって欲しかった。
<ベイルートのマリオットホテル泊>  (2005年11月16日 記)
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