ヨルダン・シリア・レバノンの旅 16
ベイルート (レバノン)

2005年1月22日(土)-12日目

 レバノンの首都・ベイルートを見学する日だが、朝から冷たい雨が降っている。昨日までのガイド・シルビアさんから、マリセルさんに変わった。レバノン杉の土産物屋でシルビアさんがとった行動に、同行者数人が厳重に抗議したためだ。

 マリセルさんは、ベイルート大学で政治学を学んだ知的なお嬢さん(右)。30歳で、未婚だという。「仕事を続けたいし、イイ男がいない」と。「日本でも、結婚したがらない女性がたくさんいるわ」と話したら、彼女は「そうそう」という風に頷いた。

 シリアのガイド・ニダールさんが「レバノンには美人が多いけど、みんな整形している」と言っていた。マリセルさんに真偽のほどを聞いてみた。彼女の答えは、「ホントですよ。18歳になると、ほとんどの人は、鼻と顎を整形します。私はしていないけど」。ニダールさんの話は、大げさだと思っていたが、本当だったのだ。

 まず国立博物館へ。博物館前の大通りは、内戦時はグリーンラインと呼ばれた。グリーンラインの名前からして、樹木帯のように思えるが、軍事境界線のことだ。今は変哲もない道路(左)だが、この道路を境にして、ドンパチをやっていたのだ。

 グリーンラインの西にイスラム教徒が陣取り、東にキリスト教徒が陣取って戦った。ちなみにマリセルさんは、キリスト教徒。内戦が始まったころに生まれた彼女が、長じて、政治学を学んだ意図は何だったのだろう。1975年から始まった内戦が終結したのは、1989年。同じ国民が、15年間も憎みあっていたことになる。

 博物館(左)では、まず、内戦からいかにして文化財を守ったかの映像を見た。モザイク・石棺など大きな遺物は、厚さ10pのコンクリートで囲い、小さな展示物は、地下室に保管した。コンクリートで囲ったものは無事だったが、小さい展示物はかなり壊れた。修復作業を克明に写していたが、こういう映像を見るたびに、人間の愚かしさを思わざるを得ない。

展示物は、ビブロスやシドンでの発掘品。1階にはアレキサンダー大王誕生のモザイク、グリフィン像、ラムセス2世がヒッタイトに勝利したことを記した碑、フェニキア文字の碑文が刻まれたアヒラム王の石棺、ミューレックス(フェニキアの名前の元にもなった紫貝)などなど。

 2階には、ビブロスのオベリスク神殿で発掘したフェニキア兵士の像、エジプト王から贈られた動物の金製小像、安産の神像など。撮影禁止なので、メモ書きだけだから、心許ないことしか書けないが、文明発祥の地にいる実感は湧いてくる。
 

 次なる見学地は、郊外の犬の川。川沿いの道は、かつてメソポタミアとエジプトを結んでいた。番犬代わりに犬の像を置いたことから、犬の川と呼ばれる。川の両岸に戦勝記念の石碑が21も並んでいる。エジプトのラムセス2世が、ガディシュの戦い勝利記念に碑を残した事に始まり、次々に碑を建てるようになった。英雄の顕示欲は、すさまじいものだ。ごく最近のものは、2000年5月24日に、イスラエルが撤退したことを示す石碑。

次は、犬の川近くにある鍾乳洞・ジェイダの洞窟に行った。ゴンドラ・ボート・豆汽車に乗っての見学は変化に富んでいたが、鍾乳洞はさほど珍しくもないし、内部は撮影禁止。記録に残っていないと、どうしても印象が薄い。

 洞窟を出た所で、面白いバス(右)を見つけた。いそいで撮ったのでボケてしまったが、「老人保健施設 とわだ 通所送迎車」とある。乗っていた全員が若者だったこともあり、大笑い。日本文字を残したままの車は、他に何台も見かけた。


 市内中心部に戻り、徒歩で見物。雨が止んで青空も見えるが、肌寒い。

 ベイルートを仕事で訪れた時の写真を持参している方が、ツアー仲間にいた。「中東のパリ」と呼ばれていた頃の写真だ。

 マリセルさんは、自分が知らない風景に「こんなだったの!」と、興味深げに見入っていた。私が、太平洋戦争前の写真を見て、感慨を覚えるのと同じだ。

 復興は、急ピッチで進んでいるというが、終結から15年も経っているにしては、破壊されたままのビルもある。新しいビル、ローマ時代の遺跡、壊れたビルが交じりあって、面白い景観をなしている。

 内戦で唯一の収穫と言えば、壊されたビルの跡地に、ローマ時代の遺跡が見つかったことだろう。殉教者広場、エトワール広場、カルダリウム(熱浴室)が、長い眠りから掘り起こされた。左写真の手前が、カルダリウム。

 

 迷彩服を着て銃を持ったレバノン軍の兵士が、中心街のあちこちに立っていた(左)。前からだと怒られるかもしれないので、後ろ姿を撮った。緊張感に欠けるパトロール。真剣に職務に励んでいるとは思えなかった。

 中東3国の旅から帰ってすぐ、レバノンのハリリ前首相が暗殺された。2005年2月の新聞に、次のような記事が載っていた。
暗殺事件後、レバノンに軍を駐留させるシリアへの国際的圧力が強まっている。レバノンの野党勢力は「親シリア政権」の退陣を求めた。

 3月の新聞でも、反シリア勢力の動きを知らせていた。
レバノン国内では、シリア軍の全面撤退を求めるデモが連日、数万人の規模で起こっている

 今は、シリア軍は全面撤退をしたのだろうか。いずれにせよ、こんなに呑気な雰囲気ではないかもしれない。中東情勢は刻々と変わるのだ。



 最後の見物スポットは、鳩の岩。岩の形が鳩に似ているからと言われるが、全然似ていない。伝書鳩レースが、この岩から始まったという説もある。

 名前の由来はどうであれ、ベイルートの人にとって、お気に入りの場所だという。カフェやレストランが並ぶ通りを、たくさんの人がそぞろ歩きしていた。 <ベイルートのマリオットホテル泊>
(2005年12月2日 記)

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