ヨルダン・シリア・レバノンの旅 17
バールベック遺跡とアンジャール遺跡 (レバノン)

2005年1月23日(日)-13日目

 レバノンが誇る世界遺産のバールベックとアンジャール遺跡を見学する日。昨日とは比べようもない強い雨が降っているが、予定通り、ホテルを出発した。

 10分ほど走ったころ、高い塔が見えた。フランスの建築家が作った内戦終結のモニュメント。弾丸の残るビルに、実際に使われたソ連製の戦車を押し込めた(右)ユニークなモニュメントだ。

 モニュメント側に、レバノンを17世紀に統治したファカルディーンの騎馬像(左)があった。ブラジルに移民したレバノン人が建立したという。現在のレバノンの人口は約300万人、ブラジルには約700万人のレバノン人が住んでいる。「国ってなんだろう」と、考えてしまった。

 バールベックは、ベイルートの北東・86qにある遺跡。日本の赤軍派が拠点にしていたベッカー高原のほぼ中央に位置している。赤軍派が活動していたころに盛んに耳にしたベッカー高原だが、実は、レバノン最大の肥沃地帯で、果物・小麦・大麦、野菜の産地である。

 しかし、高原を通る道路が中東5ヶ国(ヨルダン・シリア・レバノン・イラク・サウジアラビア)の国際通りになっていることもあり、峠付近に検問所がある。そうでなくても、ホメイニ師やヒズボラ(神の党)の旗がヒラヒラしていて、緊張地帯だったことを思わせる。今は、危険地帯に指定されていないが、いつなんどき事件が起きても不思議がないのかもしれない。

 バールベック遺跡の近くで、ローマ時代の石切場を見た。30b×3.5b、重さ1200トンの切りかけの石がそのまま放置されている(左)。

 エジプトでも、切りかけのオベリスクを見たが、同じようなものだ。写真の左奥にバールベック遺跡、少し右にイスラム寺院の青屋根が見える。

 雨風がますます激しくなった中で、バールベック遺跡の見学。フェニキアの豊穣神バールと、場所を意味するベックからこの名がついている。もともとはフェニキアの神殿だったが、支配者が変わったことで、ギリシャ時代は太陽神、ローマ時代は多神教の神殿に変わった。

 今残っているのは、主にローマ時代の遺跡。最高神・ジュピター、酒の神・バッカス、愛と美の女神・ビーナスに捧げられた3つの神殿がある。酒の神に捧げる神殿なぞ、下戸の私からすると、妙なものだ。

 右は、添乗員がくれたバールベックの復元図。ビーナス神殿は、道路をはさんで手前にあるので、この図にはない。ジュピター神殿は、世界最大規模の神殿。高さ22.5b、直径2.2bの柱が54本もあったが、今は6本のみ。8本はトルコのアヤソフィアを作った時に持ち去られたというが、他の40本はどうしたものやら。

 素晴らしい遺跡だとは思うが、こういったものはたくさん見た。雨だけでなく風も横殴り、傘など役立たない。見学はどうでもいい気分だが、マリセルさんは手抜きせず一生懸命説明するので、付いて回った。遺跡は水はけがよくないので、水の中を歩く始末。他の人も一様に「こんな目に遭ったのは初めて」と口にしていた。

 傘を差しての撮影は不便だが、各ポイントごとに、一応カメラにおさめた。左はクレオパトラ像。蛇が巻き付いていることから、クレオパトラだと言われている。波打っているのは、ナイル川。

 昼食の間に、「峠が雪で閉鎖されるかもしれないから早く下りるように」の情報が入った。遺跡は海抜1200b、峠は海抜1500bの地点にある。早々と引き上げた。

 峠越えも無事終わり、次に向かったのは、アンジャール遺跡。レバノン唯一のウマイヤ朝の遺跡(右)だ。キャラバンの中継地点にあたるので、狩猟用の別荘に建設した。

 ここも強い風雨の中での見学になった。旅行会社は勝手に省くわけにはいかない。世界遺産ゆえに、楽しみにしている人がいるかもしれない。バスの中にいても良いと言われたが、残ったのは数人だった。誰もが、再び来ることはないだろうと思っているからだ。
<ベイルートのマリオットホテル 泊> (2005年12月16日 記)

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