ヨルダン・シリア・レバノンの旅 2
モーゼ終焉の地
(ヨルダン)

2005年1月12日(水)-2日目-

 ドバイを8時25分に発ち、アンマンのクイーンアリア空港に9時50分に着いた。ドバイとアンマンの時差は2時間なので、3時間半の飛行である。アンマン到着は、日本時間にすると16時50分。横浜の自宅を出てからヨルダンまで、23時間強もかかった。

 機内から見たアンマン上空は、予想通り茶色の世界(右)。

 タラップを降りると、イラクの民間機が3機停まっていた(左)。戦争が始まったために、帰れなくなった飛行機だという。イラクで戦闘状態が続いていることを実感したのは、15日間で、これが最初で最後だった。

 1999年に亡くなったフセイン国王は、4人の妻を持っていた。空港が完成したときに3番目の奥さんであるアリアさんと結婚したので、「クイーンアリア空港」の名がつけられた。

 ちなみに、42代の現国王(左が元国王・右が現国王)は、アブドウツ2世。奥さんのタニアさんは、パレスチナ人。

 ヨルダン王家のハーシム家は、イスラム教の創始者・ムハンマドの血を引いている。かつて、サウジアラビアやヨルダン一帯を支配した一族だ。

 アブドウツ2世の曾祖父であるシャリフ・フセインはメッカの太守だった。彼こそがオスマントルコから独立すべく「アラブの反乱」を起こした中心人物である。映画「アラビアのロレンス」でお馴染みの太守。
 
 ヨルダンのガイドは、36歳のジャミールさん(右)。ヨルダン大卒で歴史専攻。NYに1年間留学していたので、流暢な英語を話すうえに、当然ながら歴史にも詳しい。親がビル持ちなので、その3階に住む。25歳の奥さんは、薬剤師。出産後も働いているので、8ヶ月の赤ちゃんは、彼の親が見ている。

 ヨルダンの面積は、日本の4分の1。人口は600万人。ほとんどがベドウン出身なので、大さっぱな人が多いという。

 1921年、第一次世界大戦後にトランスヨルダンとして独立したが、1946年まではイギリスに事実上、支配されていた。

 1994年にイスラエルと平和条約を締結。イスラエルから攻められる心配は無くなったが、サウジアラビアなど湾岸諸国のビザを取るのは難しくなっている。到着早々、複雑な背景を知ることになった。

 空港からおよそ30キロ南に、標高600bのネボ山がある。ここは、モーゼ終焉の地と言われる。

 エジプトを脱出し、シナイ山で十戒をさずかったモーゼは、約束された地「乳と密の流れるカナン」に向かう途中だった。その地を高所から臨み、120歳の生涯を終えたという。120歳まで生きたはずがない・・などの議論は、野暮というものだ。

 先月亡くなったローマ法王・パウロ2世は、2000年にネボ山を訪問している。記念のモニュメント(左)には、ギリシャ語・ラテン語・アラビア語で、神の愛と平和の文字が記されているという。同じ神を信仰するユダヤ教徒・イスラム教徒・キリスト教徒に、平和が訪れるようにのメッセージだ。

 パウロ2世が、「約束された地」を眺めている写真(右)は、ヨルダン観光局のパンフレットに載っていた。パウロ2世の訪問は、パンフレットに載せるほど、誇らしい出来事らしい。

 私たちも、パウロ2世と同じ場所に立った。死海やヨルダン川がうっすら見えたにすぎないが、「ここが旧約聖書に出てくる約束の地か」と、感慨深かった。エルサレムまで46キロ、ベツレヘムまで50キロ、ヘブロンまで65キロの標識があった。幼い時に読んだ絵本「イエスさま」で馴染みの地名だけに、標識を見ただけでも嬉しかった。

 次の訪問地・マダバは、アンマンの南33キロにある人口9万人の市。旧約聖書にミャダバとして載っていて、以前からヨルダンのキリスト教中心地だった。モーゼ終焉地にもかかわらず、現在は、ヨルダン人の90%以上が、イスラム教スンニ派。そんな中、マダバは、市民の半数がキリスト教徒という珍しい地である。

 最盛期に35あった教会は、今は10しか残っていないが、そのひとつ「聖ジョージ教会」を見学した。

 この教会の床に、世界最古のモザイク地図が残っている。かつては、15b×10bの床に、聖書ゆかりの地が800も記されていた。

 749年の地震で壊れ、今は10b×5bと小さくなったが、イスラエル・死海・ヨルダン川などが描かれている。ヨルダン川を死海に向かって泳いでいた魚が、塩分が濃いので、直前で戻ってしまう場面(左)が面白かった。

 教会の前でファラ・リナ・エバという3人の女子高生(右下)に、英語で話しかけられた。3人ともキリスト教徒だという。東洋人が珍しくてたまんない・・という風で、好奇心旺盛だ。住所を聞いたら、Eメールアドレスを教えてくれた。全員が、パソコンを持っているそうだ。

 ヨルダンは教育に力を入れていて、英語も小学校からやっている。男女差別もないらしい。彼女たちの未来は、明るそうだ。

 昼食は、マダバのレストランでビュッフェスタイル。生野菜・スープ・ナン・肉などたくさんの中から選べるので有り難い。どれもが口にあうので、今後の食事が楽しみだ。
(2005年5月2日 記)
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