ヨルダン・シリア・レバノンの旅 3
アカバ要塞
 (ヨルダン)

2005年1月12日(水)-2日目

 マダバで昼食をすませた後、「砂漠の道」をバスで南下。砂漠の道は、アンマンとアカバを結ぶ345qのハイウェイである。東京・仙台間とほぼ同じ距離だが、道路が空いているので、さほど長いとも思わなかった。

 カトラーナとナカブ山(1500b)でトイレストップ。ナカブ山では、ちょうど太陽が沈むところだった。冬の日没は早く、周囲は闇の世界。道の両側にある岩石砂漠が、黒い固まりになって迫ってくる。人家もなければ街灯もない道を、1500bのナカブ山から0bのアカバまで、一気に駈け降りた。

 6時頃、アカバヨルダンの旅1の地図参照)のガルフホテル到着。長い長い1日が終わった。やっとベッドで寝ることができる。<アカバのガルフホテル泊>

1月13日(木)-3日目

 朝食は、ビュッフェスタイル。どれも美味しいので、食べ過ぎに注意せねばならない。特に、整腸剤にもなるヨーグルトが数種あり嬉しい。

 午前中は自由行動。22名のうち15名は「紅海めぐりとアカバ要塞」のオプショナルツアーに参加したが、私達は市内を勝手に歩き回った。右写真が、アカバ要塞。

 シバの女王が、ソロモン王に会うために上陸した地もアカバだ。町の名前は何度も変わったが、交通の要所にあるためか、アカバの歴史は古い。

 アカバは、ヨルダンで唯一、海に面した都市である。最近、自由貿易港になったので、人口が急増している。りん鉱石・コンテナ・セメント・旅客と、用途により4つの港がある。イスラエルのエイラートまで10キロ、エジプトのタバまで8キロ、サウジアラビアまで26キロと、3ヶ国の国境までわずかの距離だ。

 ホテルから海岸は近い。紅海を右に見ながらアカバ要塞跡まで、海岸通り・コルニーシュ通りを歩いた。天気が良いので、海も空も輝いていた。

 オスマントルコの支配下にあったアラビアで、第一次世界大戦中に反乱が起きた。トルコと戦っていたイギリスは、ロレンスをアラブ軍に送り、アラブの反乱を支援した。映画「アラビアのロレンス」は、この史実をもとに作られ、ピーター・オトウールが、ロレンスを演じている。

 数々の名場面がある「アラビアのロレンス」の中でも、アカバ攻略は印象に残る。

 トルコを負かすためには、トルコ兵が駐屯しているアカバの要塞を落とさねばならない。

 大砲は海を向いているので、海から攻めたのでは、やられるだけだ。背後から衝くしかないと考えたアラブ連合軍は、800キロの砂漠地帯を踏破した。映画では、砂漠の踏破がハイライトになっている。

 ロレンス達は、アカバの町を見た瞬間、感極まって「アカバ〜」とつぶやく。砂漠を抜けてきた者にとって、青い海(左)を見た感動は想像できる。攻撃する地でもあるから、心の高まりもあったはずだ。

 アラブ軍の奇襲で、要塞が陥落したのは1916年。今ある要塞は、1965年に修復されたもので、激戦の跡はすでにない。

 紅海は、赤いどころか、水底まで見えるきれいな青い海。底には、小魚がうようよしていた(右)。

 以前、紅い珊瑚がたくさんあったので、紅海の名がついたという。グラスボートで遊覧ツアーに参加した人の話では、「珊瑚もカラフルな魚も見えなかったのよ」。

 要塞脇に建つ考古学博物館には、イーラ遺跡からの出土品が展示されていた。要塞を博物館共通のチケットで、わずか0.5ディナール。(約85円)。

 海岸通りから山側の道に入っていくと、スーク(市場)があった。肉・衣類・台所用品・靴などが所狭しと並んでいる。観光客が訪れるような有名なスークではない。東洋人が珍しいのか、じろじろ眺められた。

 
 庶民の集まる場所に来ると、スカーフをかぶった女性(右)や、頭に布を巻いた男性(左)が多くなる。イスラムの国に来たのだ〜という実感がわく。

 表通りに戻り、ホテルに向かっていたら、12歳の男の子4人(左下)に話しかけられた。昨日の女子高生も言っていたが、22日間の期末休みだという。

 賢そうな男の子ばかりだ。こみ入った話はしないのだが、一般的な日本の12歳は、こうも英会話が出来ないのではないか。

 横浜住まいだと言うと、子ども達は目を輝かした。ワールドカップの決勝戦が行われた地だと。「見に行ったか」と聞かれたので「チケットがゲット出来なかった」と答えた。

 去年の夏に北京で開かれたアジアカップを、覚えていらっしゃる方もいるだろう。ベスト4を決める試合で日本がPK戦で、かろうじて勝った相手がヨルダンだった。

 だから、子ども達は、この試合をよく覚えている。川口、中沢、中村・・と矢継ぎ早に選手の名をあげた。ナカタの名が出なかったのは、無理もない。彼はこの試合に招請されなかった。アジアカップの優勝は、ヨルダンの子ども達に、日本への親しみを増したようだ。

 "How old are you?"と聞かれたので、正直に答えたら"Oh!elder"とびっくりされた。彼らが驚くのは当然だ。ヨルダンの平均寿命は男性が63歳、女性が64歳。

 ホテルに戻ったが、集合時刻までは間がある。すぐ前にあるイーラ遺跡に入ってみた。アカバの最盛期・7〜10世紀のウマイヤ朝時代の都市遺跡だ。整備されていないので、フリーパス。アラブ人は、アカバをイーラと呼んでいた。(2005年5月16日 記)

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