ヨルダン・シリア・レバノンの旅 6
エドディルと死海 (ヨルダン)

2005年1月14日(金)-4日目

















 
 昼食後、山の頂上にあるエドディル(修道院)に向かった。1時間の山登りをしないとエドディルには着かない。添乗員のMさんが「みなさん!頑張ってエドディルまでいきましょう!」と、朝から鼓舞していたのは、こういうことだったのだ。

 登りながら後ろを振り返ると、ごつごつした岩山が連なっている(上左)。緑がほとんどない山登りは、はじめてだ。ときどき黒い山羊が集団で通る(上右)。岩から岩を軽快な動きで飛び跳ねている。岩山ばかりなので食べ物の在処が気になるが、人間サマの知らない所にあるのだろう。

 「あと○○分」と励ましてくれるのは、ネックレスや遺跡のレプリカを売っているベドウィン人だ。声をかけてくれるだけで、モノを売りつけようとしないのがいい。馬や驢馬をあやつっている御者も、ベドウィン人。砂漠の民だったベドウィン人の中には、近代国家後も、砂漠地帯で暮らす選択をした人もかなりいるようだ。
 
 

















 エドディル(上左)は、一見するとエルカズネに似ているが、一回り大きい。高さ50b、横40b。ナバティア人がAD1世紀に建立した神殿だったが、ビザンチン時代には教会として利用された。修道士が住んでいたので、エドディル(修道院)と呼ばれるようになった。

 日本画家のMさんに「白川さんがいちばん気に入った所はどこ?」と帰国前日に聞かれたので、「ペトラ遺跡かなあ」と答えた。スケッチブックからエドディルを描いた1枚(上右)を切り取り、Dear Harukoと自分の署名をいれて、無造作に手渡してくださった。   <ペトラのクラウンプラザホテル 泊>

1月15日(土)-5日目
 
 冬の旅は日の入りが早いので、一日の行動時間が短くなる。それを補うために、移動日の朝は早い。7時には出発だ。

 まずホテルから近い「モーゼの泉」に立ち寄った。エジプトを脱出したモーゼは、民を引き連れて約束の地カナンに向かっている途中だった。喉の渇きで苦しんでいる民のためにモーゼが杖で石を突いたら泉が湧き出たのが、ここだという。泉と石(左)は、建物の中で、大事に保存されていた。屋根には3つのドーム(右)がついている。3つは、同じ啓典の民である、イスラム、ユダヤ、キリスト教を表している。

 次は死海まで一気に降りる。ペトラ遺跡は、海抜900bにあり、死海はおよそ−400b。高度差は1300メートルもある。100bでおよそ0.6度違うから、ペトラと死海では8度も違うことになる。

 海抜0bで写真ストップ(左)。0bが売り物になるのは、死海があってこそだ。0メートルを過ぎると、急に肥沃地帯になってくる、バナナ、トマト、きゅうりがおいしそうに実をつけていた。砂漠を抜けた途端の畑にはいささか驚いたが、このあたりはヨルダン渓谷地帯で、水が豊富にある。

 2日目に訪れたモーゼ終焉の地・ネボ山も見えた、洗礼者ヨハネがイエスに洗礼を行ったヨルダン川も近い。8年前にその場所が見つかったという。2000年以上前の場所をどのように確定したのか不思議だ。ジャミールさんに「何か証拠があるの」と聞こうとしたが、席が離れていたので聞きぞびれてしまった。それはともかく、旧約聖書、新約聖書に出てくる地名・人名が、ごく日常的に語られている。「聖書の世界にいるのだ」と、わけもなく感激してしまった。

 ヨルダン川の水は死海ヨルダン・シリア・レバノンの旅1の地図参照)に行き着く。海というより湖みたいなものだが、塩分があるので海と言うのだろ。予定ではここで泳ぐことになっている。海抜が低いので首都・アンマンより平均で7度ほど高いという。しかし、真冬の今は、暑さにはほど遠い。

 欧米人がデッキチェアに寝ころんでいたので「寒くない?」と聞いてみた。「海はもっと温かい」と励ますような答えが返ってきたが、私は震えながら水着に着替えた。たしかに、水の中は想像したより冷たくはなかった。しかし波が高い。

 ガイドブックには、浮かびながら悠然と新聞を読んでいる写真がよく載っている。ホテルのフロントでわざわざ新聞をもらってきたのだが、それどころではなかった。新聞は濡れてすぐ飛んでいってしまった、波が顔にかぶり、目や鼻に大量の塩水が入ってきた。普通の海水は3%だが、死海の塩分は30%。10倍の濃度だ。しょっぱいのなんの、気持ちが悪い。早々と陸に上がった。

 できれば泥パックもしたかったが、それどころではない。喉の奥のヒリヒリ感はいつまでも残った。シャワーも冷たい。夏でも温かいシャワーが出る日本のプールを思い出したが、がまんがまん。こんな経験は、誰もが出来るわけではないのだ。

 死海の水で浮揚している画面を「愛・地球博」のテレビ紹介で見たことがある。風も波もないはずだから、私のような辛い思いはしなくてすむはずだ。

 死海はイスラエルとヨルダンで二分している。イスラエルに渡航しにくくなった今は、ヨルダン死海売り出しのチャンスである。長期滞在する人も多いので、7つのホテルを建設中だ。死海はミネラルが豊富なので、皮膚病、リュウマチ、骨の疾患に効果があるという。あんなしょっぱい海水が皮膚病に効くなど、信じられないが、実際に効果があがっているのだろう。死海は、昨日今日に出現したわけではないのだから。

 エジプト人も臓器保存のために、バクテリアを殺す役目のある死海の塩や泥を輸入していた。当時のエドム・モアブ・アンモンの王国は、死海グッズで潤っていた。現在でも、ヨルダンの産業で死海グッズの占める割合は大きい。(2005年7月2日 記)
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