キプロス島とマルタ島の旅3
 パフォスとリマソール

2014年3月1日(土)-4日目

パフォスキプロスとマルタの旅1の地図参照)はキプロス島の西端にある町。キプロスで空港があるのは、ラルナカとここだけ。ほとんどの客がリゾート目的だが、歴史遺産にも恵まれている。

まずディオニソスの館のモザイク画を見に行った。ディオニソスの館は1962年に農夫が発見した。2〜3世紀のワイン農家の2000uもある大邸宅。モザイク画がある邸は貴族の館が多いが、ここは農民の家だ。ワインで財をなしたのだろう。ディオニソスのモザイク画が残っていたので、後の人がディオニソスの館と名付けた。

ディオニソスは、ギリシャ神話12神のひとつで豊穣とブドウ酒と酩酊の神。ローマ神話ではバッカスと呼ばれる。ワイン農家に描かれるにはぴったりの神様だ。

モザイク画 モザイク画 モザイク画
 
ディオニソス神話のモザイク


 
ディオニソス神話のモザイク

 
ディオニソス神話のモザイク


同じ敷地にあるアイオンの館、セテウスの館などには覆いがついてない。予算がないのかなあと心配になる。地中海周辺にはおびただしいモザイクが残っているので、私たちが考えるほど貴重ではないのかもしれない。

パフォス城モザイク画のあとは、パフォス城(左)である。13世紀初めに建築されたビザンチン様式の城。崩壊と改装を繰り返したあげく廃墟。イギリスに支配されていた時には、塩の倉庫になっていたそうだ。海辺にあるので上からの景色はいい。

ここの駐車場にはISUZUとMITUBISHIとSUZUKIの日本車が3台ならんでいた。キプロスに入ってすぐ気づいたのだが、日本車をよく見かける。日本と同じ右ハンドルだから輸入しやすいのだろう。右ハンドルは、イギリスの植民地だった頃の名残だ。


王族の墓パフォス城から北4キロにある王族の墓に行った。BC3世紀の頃の墓が100以上ある。発掘されているのは11だけだが、誰の墓かは分かってない。いくつかの墓に入ってみたが、ドーリア式の柱がついている。よほど権力があったのだろう。墓の遠景に、地中海が見える(左)

このときの昼食はイカや海老の唐揚げやカニのクリームコロッケなどのシーフード。材料が新鮮だし日本と同じような味付けだったので完食した。

きのう高い所から見たアフロディーテ(ビーナス)誕生の海岸まで下りて行った。母なる地母神ガイアが、復讐のために、夫の性器を息子に切り取らせて海に捨てた。そこから出た泡からアフロディーテが誕生したという。

ビーナス誕生の海岸ビーナスの誕生といえば、ボッティチェリの貝殻の上に立つ裸身のビーナス像を思い出す。あの崇高な絵からは想像もつかないが、男性器の泡から生まれたと聞くと、正直言って気持ち悪い。今日の海は晴れてはいるが、波が高く、あの絵のような優美な海ではなかった(左)。

ビーナス海岸から東にあるクラリオン遺跡に向かう途中で、イギリス主権地域エピスコを通った。キプロスには他にもイギリス軍の基地がある。キプロスがイギリスから独立後も、イギリスは一部の土地を放さなかった。アメリカが沖縄に基地を置いているのとはわけがちがう。イギリスが主権を持っていて、消防署、裁判所などの施設もあるという。イギリス人が8500人、キプロス人が1600人住んでいる。

キプロスはなんという複雑な島だろう。トルコとギリシャとイギリスの思惑が見え隠れする。

クラリオン遺跡のアポロン神殿に寄った。アポロンは、BC8世紀から4世紀までクラリオンの守護神として信仰されていた。参道や祭壇や浴場跡も残っている広い遺跡だ。途中から曇り空が青空に変わった。復元されている神殿も、青空のもとで撮ってこそ映える。

クラリオンの古代遺跡は、ギリシャのペロポネソス半島のアカイヤ人が入植してキプロスに建てた10の王国のひとつ。ユストリオスの家はBC2世紀の邸宅。4世紀の大地震後に作られた公衆浴場跡はサウナの跡までよく残っている。休憩室にはおなじみのモザイク。

隣接して半円形劇場もある。BC2世紀にはギリシャ式円形劇場だったが、地震で崩壊後ローマ式半円形に改装した。座席は1700ほどと小ぶりだが、今も使われている。座席からは緑のブドウ畑や青いエーゲ海が見えた。白っぽい建物は、イギリスの基地だ。劇がつまらなくなったら、景色を眺めていた人もいたかもしれない。

アポロン神殿 円形劇場 イギリスの基地
 
クラリオン遺跡の
アポロン神殿
 
クラリオン遺跡の
円形劇場

 
円形劇場から見える
地中海とイギリスの基地


夕方、リマソール(レメソス)キプロスとマルタの旅1の地図参照)のホテルに入った。ドバイで積み残されたスーツケースは無事に着いていた。「エミレーツ航空からおわびの言葉もない」とあきれていたが、なにはともあれ、2人は着たきり雀から解放された。

ホテルのロビーにはカーニバルの人形が飾られ、仮装した人もちらほらいる。カーニバル会場とホテルはかなり離れているし、マルタでもカーニバルを見る予定なので、ここでの見物はパス。

ホテルマンが「小学生と親がカーニバルのパーティーをするので見たらどうか」と勧めてくれた。ロビーでやるのではない。パーティー会場に押し掛けていいものか迷ったが、まずは行ってみた。入口に行くと、受付にいた先生方が大歓迎。「中に入って」と押し出されんばかりだ。私たちはふたりとも一眼レフの大きなカメラを持っているせいか「写真を撮ってこのアドレスに送って。学校新聞を作るから」と頼まれてしまった。

 
パーティー会場にいた先生方
美人揃いだ
 
会場はカーニバルの
飾りつけ

 
仮装のワンピースを着ている
女の子


日本の小学校なら、飛び入りの外国人を会場に入れることはない、ましてや肖像権をかさにネット掲載は禁止になるが、キプロスは違う。パーティーは終わりかけていたが、仮装した子どもたちを10枚ぐらい写した。学校の名前はセントメリー。キリスト教系の豊かな子どもが通う学校かもしれない。

頼まれごとは出来るだけ早く処理をしないと落ち着かない夫は、まだスーツケースの整理も終わってないのに、写真を送った。送って5分も経たずに、お礼のメールがあったのでびっくり。それから数回のメールを交わした。おかげで、キプロスのリマソールという町は忘れがたい場所になった。<リマソールのアジャクス泊> (2015年4月2日 記)

                                     
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