モロッコの旅 2
 ラバトからタンジェへ

2006年2月17日(金)−2日目 

ムハンマド5世廟

 モロッコの首都・ラバトの続きを書いている。王宮の次は、ムハンマド5世廟とハッサンの塔を見学。ムハンマド5世廟は、フランスから独立した時の王・ムハンマド5世の霊廟である。カサブランカの空港にも彼の名がついている。独立の英雄として崇められているのだろう。緑の屋根と白い壁の外観(左写真は絵はがき)は、アラビア建築の贅をつくしたものだ。内部天井の幾何学模様も、ため息が出るほど美しい。ムハンマド5世の白い石棺が廟の中央に置いてあった。

 三世代の家族今日は金曜日でイスラム教の安息日にあたるからか、大勢の人がお詣りに来ていた。成人女性は、スカーフと長い衣服をまとっているが、カラフルな色合いでセンスが良い。黒ずくめの服装は、ほとんど見なかった。3世代一緒の家族連れ(右)が記念写真を撮っていたので、アイコンタクトで許可をもらい、撮らせてもらった。以後、撮影に応じてくれた人は何人もいた。イスラムの人は写真を嫌がると聞いていたが、一概には言えない。

ハッサンの塔 霊廟と同じ敷地にあるハッサンの塔(左)は、88bになるはずだったが、44bで工事を中断してしまった。未完とはいえ、スペインのヒラルダの塔(97b)、モロッコ・マラケシュのクトウビア(77b)に次ぐ3番目に高いミナレットだ。どこの国のガイドも、何かにつけ「高い」「大きい」「古い」を自慢するけれど、「だからナンなんだ!」と思うものも多い。

次に向かったのは、大西洋に面しているウダイヤのカスバ(左下)。12世紀には、すでに城塞が作られた。アラビア語のカスバはで、城砦とか城壁で囲まれた区域を言う。ウダイヤの名は、18世紀に、気性の荒いウダイヤ族の軍隊が駐屯したことによる。

私が勝手に思い描いているモロッコは、赤茶色の城塞の中にひっそりと息づいている大きな瞳の謎めいた女性・「カスバの女」である。謎めいた女性には会えなかったが、到着早々の赤茶色のカスバに、かすかな胸の高鳴りを覚えた。後に「カスバ街道」を通り抜ける日が来るとは、このときは知らなかった

ウダイヤのカスバ ホテルでビュッフェ形式の夕食後、日本出発後初めてベッドに横たわることが出来た。<ラバトのファラホテル泊>

2月18日(土)-3日目

今日は、ラバトから大西洋岸をタンジェまで北上する。モロッコは砂漠の国だと思いがちだが、大西洋に面しているこのあたりは、樹木や畑が多く緑が豊か。名も知らないが黄色い花が、一面に咲いていた。

 コルクの森やユーカリの並木も車窓から見える。コルクはポルトガルでもよく見かけたから、気候が似ているのだろう。コルクは、木を植えてから27年も経って表皮を剥がし、その後は9年ごとに剥がすという。

 ユーカリというと、その葉をコアラが食べるという認識しかなかったが、モロッコでは、串焼き・パン焼き・ハマム(サウナの公衆浴場)の燃料に使うという。ガスで焼くより、パンや串焼きの味はよく、ハマムの蒸気も身体に優しいそうだ。

ミントティーヘラクレスの洞穴

サトウキビの畑もある。モロッコの菓子やミントティー(右)は、私には甘すぎるが、モロッコ人は甘いものが好きだ。それだけサトウキビの需要も多いのだろう。

 ビニールハウスでは、バナナやイチゴを作っていた。特に燃料を使わなくても、バナナが出来るところをみると、緯度は日本と同じようなものだが、ずっと暖かいようだ。

 昼頃、ヘラクレスの洞穴(左)に着いた。たいそうな名前がついているが、単に石臼に使う石を掘った跡と波の浸食によってできた洞穴である。青い大西洋と白い波しぶきが、黒い額縁の間から見えて、印象深い景観を作りだしている。

 アフリカ大陸を左右逆にした形に似ているとガイドは説明したが、私には、エジプトの王妃ネフェルタリの像にそっくりに見える。ギリシャ神話によれば、ヘラクレスが12の偉業をなしとげた後に、ここで休憩したという。

 次は、スパルテル岬(左)のレストランで昼食。スズキ、イワシ、エビのフライが出たが、海に近いだけあり、おいしかった。

 レストラン前に灯台が建っている。灯台の右が地中海、左が大西洋との説明を受けた。海に線が引いてあるわけじゃなし、水の色が違うわけじゃなし、どうやって区別するのだろう。どうでもいいことが気になって仕方ないが、地中海と大西洋の境をこの目で見たのは初めてだから、よしとしよう。

スパルテル岬と灯台 3時頃に、タンジェモロッコの旅1の地図参照)に到着。タンジェとスペインのタリファは、ジブラルタル海峡をはさんで、高速船でわずか30分の距離にある。この日は、晴れ上がっていたので(左)、肉眼でもタリファが見えた。近い!有名なパリダカールもここからアフリカに入る。ヨーロッパ人には、タンジェがアフリカ大陸への海の玄関だ。


 スペインのイスラム文化は、モロッコのムスリムによってもたらされたという。私が最初に接したイスラム文化は、スペインだった。源流であるモロッコに触れたみたい思いは前からあったが、その玄関口がタンジェと聞き、少々感慨深い。レコンキスタ(スペインのキリスト教徒による国土回復運動)でグラナダが陥落した時、スペインのイスラム教徒が逃げてきた地もタンジェだった。モロッコからスペインへ、スペインからモロッコへ。タンジェは、ムスリムの往来を見つめてきた町だといえる。

タンジェのモスクと教会港に接しているメディナを観光。メディア内には、グランモスクや小さな広場があったが、小さな安宿が並んでいたことだけが記憶にある。こんなホテルに泊まって、現地人のざわめきを感じれば、旅の印象も違っただろう。

 チェックイン後、ホテルの付近を散策。モスクもあったが、キリスト教会もあり、伸びやかな明るさを感じる街だった。 左写真、モスクの後方には、キリスト教会の尖塔も見える。            
<タンジェのインターコンチネンタルホテル 泊>(2007年1月2日 記)






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