モロッコの旅 3回 2006年2月19日(土)−4日目 モロッコのツアーは10日間が多いが、参加したツアーは14日間なので、日本人があまり行かない所も回る。昨日のタンジェもそうだが、今日のティトゥアンとシャウエンもそんな所だ。 見どころは、1997年に世界遺産になった旧市街(メディナ)。1492年のグラナダ陥落にともない、イベリア半島から逃げてきたイスラム教徒とユダヤ教徒によって作られたメディナだ。あのアルハンブラ宮殿作り上げた人達の子孫が、逃げてきた所だと思うと感慨深い。 オクラ門から入り、50分ほど散策した。食料品のスークには、果物・野菜・魚・チーズ・肉類が豊富に並び(左)、食生活の豊かさを感じる。 1時間半ほどバスに乗り、次の訪問地シャウエンに着いた。ここまでの車窓には麦畑や果物畑が広がり、モロッコが農業国だと実感する。 リフ山脈の裾野にはりついたよう町なので、階段や坂が多い。ここにも王宮(左)とメラーと呼ばれるユダヤ人街がある。どこのユダヤ人街も王宮のそばにあり、保護されている。ユダヤ教徒は、酒を売る、売春をする、金を貸すなどイスラム教徒が嫌がる商売をしていたので、両者が衝突することを避けるためだという。 モロッコ観光のハイライトであるフェズ観光の日だが、朝から雨が降っている。午後には雨は止んだのだが、真っ青な空にはほど遠い。 フェズには「古都」「混沌の都市」「迷宮の都市」などの形容詞がつく。イスラム教創始者ムハンマドの曾孫にあたるイドリス1世は、バクダッドのアッバース朝に反乱を企てるが失敗し、この地に亡命。才能豊かで勇敢だったイドリスは、現地のベルベル人にも絶大な信頼を得て、モロッコ初のイスラム王朝を、フェズ近郊に開いた。808年に息子のイドリス2世が、フェズに新しい都を建設。現在まで続くイスラム国家の始まりは、ここフェズだと言っていい。 フェズは旧旧市街、旧新市街、新市街に分かれている。まず旧新市街(フェズ・エル・ジェディド)の王宮へ。かつてのスルタン(君主)の居城だったが、今の国王もときどき滞在するそうだ。ラバトで書いたように、王宮はあちこちにある。現地ガイドのアブドウラさんに「全国にいくつ王宮があるの」と聞いたが、“I don’t know”だった。こんな無責任なガイドがいる国だということだ。 次は、旧旧市街のフェズ・エル・バリへ。ここを訪ねなければモロッコは語れないと言われる。「迷宮の」「混沌の」の形容詞にふさわしく、道幅が狭く曲がりくねっている。坂の途中にまた別の通路があり、平面というより立体の街なので、ひとりで歩くことなど出来やしない。蟻の巣のようでもあり、蜘蛛の巣のようでもある。 |