モロッコの旅 4 2006年2月20日(月)−5日目 迷宮都市・フェズのメディナの続きを書いている。ここのメディナの面白いところは、モスク・廟・メドレセといったいわば神聖な建物と、野菜・金細工・香辛料を売る市場が、同居していることである。 ムーレイ・イドリス廟は9世紀にフェズのメディナを建造したイドリス2世の墓であるが、ここも香辛料のにおいが鼻をつく場所にある。ブー・イナニア・メドレセ(左)という神学校も、アンダルース・モスクという861年の建設のモスクも、ロバの通る道そばにある。 メディナの最後は民家訪問(左)。民家訪問といってもハミドさんという家でミントティーを飲むだけのことだ。ハミドさんの家には、どこの旅行会社も寄るらしい。別の会社のツアーに参加した人が私の写真を見て「私もこの人の家に行ったわ」と言っていた。同じセーターを着ていたのですぐ気づいたらしい。 2月21日(火)―6日目 ここは、BC40年頃から3世紀末まで、ローマ帝国の属領だった。オリーブの精油所、公共トイレ、公会堂、神殿、カラカラ帝の凱旋門、モザイクの床など見学。これまでの旅でローマ遺跡をたくさん見たこともあり、さほど感動しないが、ここも世界遺産。 次はメクネス(モロッコの旅1の地図参照)観光。メクネスは、大のフランスびいきだった、アラウィー朝のムーレイ・イスマイルの55年間の首都。ここも世界遺産。フランスのルイ14世と張り合うように、豪華な建物を作ったと言われる。今でこそフランスとモロッコの国力はかなり差があるが、当時は張り合う力があったのだろう。 権力者の廟だけあり、ムーレイ・イスマイル廟(左)は非常に立派だった。イスマイル、第1夫人、子どもの石棺が置いてある。壁から天井にかけてのモザイクや彩色彫刻には目を見張る。 メクネスのマンスール門も必見。イスラム教に改宗したマンスールが設計した。門の柱はイタリア産の大理石とヴォルビリス遺跡の石柱を使っている。 |