モロッコの旅 5
サハラ砂漠の入口へ

2006年2月22日(水)―7日目

 今日も雨。モロッコでこんなに雨に降られるとは予想していなかっただけに、仲間からもつい愚痴が出る。

大雪

 フェズで降っていた雨は、高度をあげるにつれ雪になった。出発して1時間20分後、イフレンという町に着いたときは、積雪が30aになっていた(左)。イフレンは、フランス人が保養地として開発しただけあり、傾斜のついた瀟洒な家並みはヨーロッパの雰囲気だ。標高が1650b、緯度は日本の中部山岳地帯とさして変わらない。2月に雪が降るのは当たり前なのだが、私の勝手な思い込みもあり、モロッコの雪にはびっくりしてしまった。

 イフレンから少しバスを進めたところで、通行止め。1時間半経っても状況が変わらないので、まずイフレンに戻り遅い昼食。そしてフェズに戻ることになった。フェズのホテルが5つ星だから良いようなものの、変なホテルだったら、憂鬱になるところだ。結局フェズに4泊したことになる。<フェズのクラウンパレス泊>

2月23日(木)―8日目

 雪による交通止めがなければ、昨日は、エルフードというサハラ砂漠に近い所に泊まるはずだった。1日遅れで、目的地を目指す。セルフー、ブールマンという町を通った。ここまでは昨日とは別の道だ。ブールマンを過ぎてからイフレンからの道と合流。

エアシ山

ミデルトという町に近づいた頃、急に青空が見えてきた。ここできのう食べ損なった鱒料理の昼食。ミデルトは標高1480bの町。いたるところから、富士山とほぼ同じ標高エアシ山(3737b)(左)が見えて美しい。

 途中、1907メートルの峠を通過したが、積雪はなかった。この峠を越えられなければ、また予定が狂ってしまう。乾燥地帯なので、雨や雪が降らない地域に入ってきたのかもしれない。

 サハラ砂漠の最前線基地であるエルラシディアのホテルでトイレ休憩後、リサニに向かった。リサニには、8〜14世紀にかけて、ベルベル人最初の独立王国シジルマッサがあった。キャラバン隊が立ち寄る町として繁栄したそうだ。

リサニ門 現在のリサニは、過去の栄光から忘れられた町だが、ムーレイ・アリシャフ廟があるおかげで、現国王も毎年訪れる。ムーレイ・アリシャフは、現王朝であるアラウィー朝最初の王。左写真はリサニ門。

 ここの女性達は、カメラを非常に警戒し、私達を見ると足早に立ち去る。「イスラムの女性は写真に撮られることを嫌がります」とガイドブックには書いてあるが、喜んで被写体になってくれる場合が多い。しかし、こういう地方もあるから、気をつけねばならない。

 リサニには、ブラックアフリカの人がたくさんいた。アルジェリアのサハラ砂漠に近いので、入り込んで来た人達だろうか。今まで訪れた地域には、色の黒いブラックアフリカ人は、いなかった。

通行止めで1日無駄にしているので、見学ヶ所が減っても仕方ないところだが、運転手が頑張ったためか、元々ゆったりコースだったからか、省かれたのは砂丘の夕日見学だけだった。

 ホテルで、添乗員Oさんが茹でた素麺が出た。私は「郷にいれば・・」の部類だが、元々素麺が好きなこともあり、砂漠での素麺はことのほか美味しかった。Oさんは、カンボジアに行ったときの添乗員だった。そのときは、正月休みだったので、お雑煮もどきとお屠蘇が出た。E社の添乗員は、並大抵の体力では勤まらない。 <エルフードのエル・アティ泊>

2月24日(金)-9日目

 朝5時にホテルを出発。1時間ほど4WD車に乗り、サハラ砂漠のメルズーカ砂丘に到着した。車から降りて、歩いて頂上をめざした。ラクダに乗った人も数人いたが、歩けない距離ではないので、ラクダに乗ってみたかったのだろう。

日の出を待つ ラクダ乗り ベルベル人
月の砂漠 サハラ砂漠をラクダで行く・・ ラクダ遣いのベルベル人

 砂丘の頂上に着いたときは、細い月が暗い空に輝いていた。砂丘の際が次第に明るさを増して、7時ころ、まぶしい太陽が砂丘の上に現れた。誰からともなく歓声があがり、拍手が鳴り響いた。この数日、天気に恵まれなかったこともあり、見慣れている太陽が嬉しかった。もちろんサハラ砂漠での日の出という特別な思いがある。


化石日の出見学後、ベルベル人のテントでミントティーをご馳走になった。食事もせずに朝から動いていたので、美味しかった。
 
テントの周辺は、太古は海だったらしい。巻き貝やアンモナイトの化石が地面にごろごろしている。化石好きの人にはたまらないだろう。黙って持ち去ってもお咎めないような気がするが、売店(左)で売っていた。(2007年2月8日 記)


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