モロッコの旅 6
 カスバ街道

2006年2月24日(金)−9日目

カスバ街道のゲート サハラ砂漠の日の出見学後、ホテルに戻り朝食。その後バスで出発。

 2時間後「カスバ街道」のゲート(左は車内から撮影)を通過した。ここから今日の目的地ワルザザート(モロッコの旅1の地図参照)までカスバが点在するので、カスバ街道と呼ばれる。

 カスバは、壁に囲まれている要塞・砦・城郭で、4隅に見張り台がある。司令官など有力者の住まいでもあった。250ほどのカスバが残っているが、実際に使っているのは30%程度だという。

 カスバ街道は実に魅力的だ。金曜日で安息日のせいか、女性達がここかしこでおしゃべりに夢中だし、土のレンガで作られた茶色のカスバ、ナツメヤシの緑、アーモンドの花の3色セットも心地よい。飽きずに車窓から眺めていた。

アーモンドの花アーモンドの木 アーモンドの花(左右)は、白もあればピンクもあり、桃の花に似ている。桃源郷と言わずして、なんと言うのだろう。

トドラ渓谷で昼食。ヨーロッパのクライマーは、ここまで来て岩登りの練習をするという。切り立った岩壁には一切緑はない。300bもの岩壁がそびえ立っているので、渓谷を歩いている人が豆粒のように見えた。

 冬の旅は日暮れが早い。夕闇の中でアメリディールカスバを見学した。

 モロッコの紙幣・50DHのデザインに使われているそうだが、50DHは手にしたことがない。暗い中で目を凝らすほどでもないので、写真すら撮らなかった。でも紙幣になるぐらいだから、有名なカスバなのだろう。    
<ワルザザードのケンジ・アズゴール泊>


2月25日(土)-10日目

ティフルトートのカスバ

 8時にホテルを出発。すぐ側にあるタウリルトのカスバを見学した。1912年建設だから割と新しい。有力部族グラウィ家のカスバだったが、今は住んでいない。映画「シェルタリング・スカイ」の舞台になった。

 次はティフルトウートのカスバ(左)。ここもグラウィ家の住居として使われていたが、現在はホテルの別館にもなっている。「アラビアのロレンス」のロケに使われた。アラビアのロレンスのロケ地は、ヨルダンでも見たが、ここもそうだったのか。

 ワルザザート周辺は、何本もの映画のロケ地に使われた。その縁で、アトラス・コーポレーション・スタジオが作られた。スタジオ内部を見学する時間はなかったが、異色な世界を表現する舞台にはふさわしい。今でもハリウッド映画のロケが、年に1本はあるそうだ。

ロバでの川渡り

 ワルザザートの西33キロにあるアイト・ベン・ハッドウ村は、クサル(要塞化された村)のひとつである。カスバは主に有力者が住む城だが、クサルは複数の家族が住む村。城塞に囲まれた土のレンガ造りという外観は変わらない。

 保存状態が非常に良いので、1987年に世界遺産になった。世界遺産に登録されると、修復も土と藁をまぜた日干しレンガしか使えないそうだ。

 今はベルベル人の7家族だけが住み、他の家族は新市街に移ってしまった。電気もない生活だから、よくも7家族が残っていると思うぐらいだ。

 アイト・ベン・ハッドウの前には川が横たわっている。水が少なければ歩いて渡れるが、この日は増水していたのでロバに乗らねばならない(左)。茶色い川を背の低いロバに乗って渡るので、汚い水がはねてきそうだ。私はこの日、よりによって少し値の張る白いダウンコートを着ていたので、はねも気がかりだ。そのうえヨタヨタ驢馬に振り落とされそうで、大げさに言うと生きた心地がしなかった。

アイト・ベン・ハッドウからの眺め

 気をもんだとはいえ、絶対見る価値がある所だ。頂上からの景観(左)も素晴らしいし、なにより今日は晴天。青い空と白い山と茶色の世界がまぶしく見えた。

 クサルで生活している7家のひとつを訪問。もともとは、アラブ人の支配を拒んでの要塞だから、各家をつなぐ通路も迷路のようで、容易には侵入者が入り込めない。せまい土の階段を上り下りして、このお宅に着き、ミントティーとクッキーと焼きたてパンをご馳走になった。

 昼食後、マラケシュに向けて出発。モロッコは、4000b級の山が連なるアトラス山脈の北と南でまったく別の顔を持つ。北には混沌とした大都市、南には砂漠とオアシスがある。

今日は、アトラス山脈のティシュカ峠を通らねばならない。峠は2260bもあるので、3日前の雪による交通止めが一瞬かすめたが、大丈夫だった。

 白い山々の景観を左右に見せながら、急坂を下っていった。眼下の集落では、洗濯をしている女性をたくさん見かけた。ロープではなく、岩にくっつけて乾かしている。鮮やかな衣裳が多いので、遠目でもよく目立った。
(2007年2月21日 記)

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