マレーシアの旅 2
オランウータンとキャメロンハイランド

2006年11月2日-2日目

飲茶の昼食後、バスで本土へ渡った。全長13.5キロの橋で結ばれているので、ペナンは島でありながら、陸続き。イタリアのシチリア島には、橋も海底トンネルもないことを聞いたばかりなので、立派な橋には尚のこと驚いた。マレーシア経済発展のバロメータでもある。もっともこの橋は、1985年に韓国の力で架けられた。

本土へ入ると、道路の両側に油ヤシの林が続いていた。ヤシの木は棄てる部分がない。実は化粧品・石鹸・ディーゼルエンジンの原料になるので、輸出している。木部は家具などの材料に、葉は屋根を葺くのに使われる。

ブキット・メラ・レイクタウンへ着いた。湖に浮かぶ島に、オランウータンを保護する施設がある。紙おむつをしたオランウータンがいて、おかしいやら、不思議やら。この正月に10チャンで放映した環境破壊の特番を見ていて理由がわかった。ボルネオの熱帯雨林の森林が伐採され、母子が離ればなれになる悲劇を放映していた。孤児になった赤ちゃんを保護する施設だったのだ。赤ちゃんオランウータンが「森の番人」として、ボルネオに帰れる日はあるのだろうか。

この施設を見学中に、突然スコールに見舞われた。南の国でスコールがないと物足りないものだ。オランウータンが人間と同じ動作をするたびに「カワイイ〜」など年甲斐もなくはしゃいでいるうちに、ウソのように晴れあがった。

この後、中国系のフランキーさんから、マレー系のユース・マディさんにガイドが交代した。

夕方、今日の宿泊地のキャメロンハイランドに到着。ここには定年退職した日本人が、数百人もロングステイしているという。生活費は安い。1500bの高地なので夏は涼しく冬は暖かい。ちなみに、1年中、最高気温は21〜23度、最低は14〜15度と快適だ。近隣の国にも気楽に遊びに行ける。クアラルンプールまでバスも出ている。いざとなると日本に近いから、すぐ帰れる。ガイドが良いことばかり言うのは、彼が属している旅行会社が斡旋しているからだ。

夫がテニスコートで知り合った人も、キャメロンハイランドで数ヶ月を過ごすという。「朝晩はテニスが出来るほど涼しいし、無料のコートもあるから遊びに来ないか」と、誘われた。パソコンを持っていくので、日本に疎くなることもないそうだ。

夕食は、寄せ鍋みたいなスチームボード。<キャメロンハイランド エクアトリアルヒルリゾート泊>

11月3日(金)−3日目

 午前中はキャメロンハイランドの観光。山あいにあるホテルの周辺には、野菜やイチゴのビニールハウスがたくさんある。日本では寒さ除けのためにビニールハウスで覆う場合が多いが、ここでは強い太陽の光から護るためのハウスだ。

いろいろな物を揚げている。美味しそう! 野菜を量り売りしている。愛想が良い。 段々畑になっている紅茶畑は壮観だ

 まず朝市に行った。バナナを揚げたものや新鮮な果物や野菜など、おいしそうなものが並び、呼び込みも賑やかだ。「干したイチゴが評判いいですよ」と、ガイドのユース・マディ君が言うので買った。乾燥マンゴーは珍しくないが、乾燥イチゴは他では見かけない。

 植民地時代からの紅茶畑も多い。日本の茶畑と似ていないこともないが、山の上まで段々畑になっていて壮観だ。今は主にインド人が栽培しているそうだ。香料など入っていない紅茶は、素朴でおいしかった。(2008年1月16日記)

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