マレーシアの旅 3
 キャメロンハイランドからマラッカへ

2006年11月3日(金)-3日目

 マレーシアのキャメロンハイランドの続きを書いている。シャボテン公園の名がついてはいるが、実際は鉢植えを販売しているカクタスバレーに行った。シャボテンもさることならが、ポインセチアの大木が珍しかった。東京周辺では、クリスマス頃の鉢植えしか見たことがない。スカーフを被ったマレーシア人がたくさん来ていた。そうか、今日は金曜日でイスラム教の休日。

ポインセチア マレーシア人 ジャングルでの足湯
大木のポインセチア スカーフを被ったマレーシアの人達 ジャングルでの足湯

 マレー料理の昼食後に、高原とお別れ。シダやヤシが生い茂る薄暗いジャングル沿いの道をバスは走った。ジャングルの高床式の家で生活している現地人を見かけた。彼らは政府の保護を受けているので、都会に住まずとも今の環境で生活できるらしい。

 スンガイカラという所で、温泉の足湯につかった。日本での足湯は、寒い時や歩き疲れた時に効果があるが、今日はほとんど歩いていないし、南国で寒いはずがない。「話のタネね〜」など言いながら、ヤシの木の下に湧く南国の足湯に22本の足を入れた。

 クアラルンプールまでは高速道路である。途中でサービスエリアに寄ったが、周辺もトイレも清潔できれいだった。

 薄暗くなった頃に、マレーシアの首都・クアラルンプールに着いた。1991年夏に家族4人で訪れているが、なにしろ10数年も前のことだ。一見して大都会に変貌していることがわかる。夕食は海鮮料理。
<クアラルンプールのグランドシーズンホテル泊>

11月4日(土)―4日目

モノレール

 朝5時頃に、イスラム教の祈りアザーンが聞こえた。マレーシアは多民族国家だが、国教はイスラム教だ。

 出発までに時間があったので、付近を散歩した。ホテルのすぐ側をモノレール(左)が走っている。停留所も近い。出勤するサラリーマンの姿はいずこも同じ。

 8時半に出発したバスは、東南に250q離れたマラッカへ向かった。2時間半ほどの行程である。バスの中でのガイドの説明が、メモ帳に残っている。


○ イスラム教の正月・10月24日、キリスト教のクリスマス、仏教の正月、ヒンズー教の正月・8月は、いずれも祝日。マレーシアのテレビは英語・中国語(広東語・北京語)・マレー語・ヒンズー語がある。学校も同様。このようにどの民族をも尊重している。民族の争いがないことも、経済成長の一因かもしれない。

スクールバス○小学校1年から英語を習うので、ほとんどの人は英語もわかる。息子の大学のゼミに、マレーシア人の女子留学生がいた。「おれたちが苦労しているのに、彼女は辞書も引かないんだよ」と息子が羨ましがっていた。マレー語の表記は英語と似ている。スクールバス(左)には、BAS  SEKOLAHと書いてあった。

○車検がない。車のナンバーについているSのマークはシンガポールを表す。シンガポールは物の値段が高いから、マラッカまで買い物にくるそうだ。

○ 軍隊は志願制

○ 6・3・2が義務教育。日本の義務教育より長い。

○ マレー系のユース・マディ君はイスラム教徒なので、豚肉も食べないし酒も飲まないと、本人は言っている。酒を飲んだことがわかると罰金をとられる。

マラッカは10数年前に訪れたときと、印象は変わらない。マラッカ海峡に面しているマラッカは、東西貿易の拠点だった。ポルトガル・オランダ・イギリスなど当時の列強の影響を色濃く残す歴史都市でもある。古都だから、クアラルンプールのような劇的な変化はないのかもしれない。

オランダ広場

 まずマラッカ観光の中心であるオランダ広場付近(左)を歩いた。1641年建築の旧オランダ総督の住居があることから、オランダ広場の名がある。

 総督邸の壁の色は濃いピンク色だ。南国の太陽、ショッキングピンクの壁、観光客目当ての色とりどりの花で飾られた三輪車の群れ。色彩の洪水と雑踏は東南アジアに共通している。これはこれで旅情がそそられる。

 総督の住居は博物館になっているが、見物の時間はない。土産物屋に寄る時間はあっても博物館に寄る時間がないのが、安いツアーの特徴だ。(2008年1月23日  記)

感想・要望をどうぞ→
マレーシアの旅1へ
次(マラッカと夜のクアラルンプール)へ
ホームへ