マレーシアの旅 4
 マラッカと夜のクアラルンプール

2006年11月4日-4日目

 マラッカのオランダ広場の続きを書いている。1753年建築のプロテスタント教会は、総督邸と同じくピンク壁。外観の派手さと対照的に、内部は簡素である。プロテスタント教会は、カトリック教会に比べ祭壇が地味だ。

 オランダ広場の一画から少し歩いて、サンチャゴ砦に行った。マラッカの領有をめぐる争いの中で、ポルトガルが1511年に築いた。朽ちかかった茶色っぽい石造りの門と、マラッカ海峡の青と空の青が絶妙だ。以前来たときは、私たちの家族しかいなくて話し声が木霊したが、今日は大混雑。特にスカーフを被った子ども達の団体が賑やかだ。学校の遠足だろうか。

プロテスタント教会 サンチャゴ砦 フランシスコ・ザビエル像
1753年建築のプロテスタント教会 1511年に築いたサンチャゴ砦 フランシスコ・ザビエル像

 サンチャゴ砦の背後の丘に、セントポール教会が建っている。ここにフランシスコ・ザビエルの白い像があった。日本にキリスト教を伝えたザビエルは、日本史の必須人物だが、日本にいた年月は意外と短い。1549年に鹿児島に上陸し、1551年には日本を離れている。

 翌1552年に中国の広東で亡くなった。遺体を広東からインドのゴアに搬送する途中、いっときここに安置した。マラッカはそれだけのご縁だが、教会内部の地下に墓と称するものがあり、金網の上からのぞくようになっている。金網だからコインを投げたくなるのか、たくさんのコインが散らばっていた。

ザビエルの墓 青雲亭で母子の祈り 海に突き出たモスク
ザビエルの墓をのぞき込む子ども達 中国寺院・青雲亭でのお祈り 海に突き出たモスク

  次はチャイナタウンにある青雲亭という中国寺院に行った。1646年完成のマレーシア最古の中国寺院..。建築材料はすべて中国から運んだというから、当時の華僑の経済力の大きさがわかる。お母さんに強制的に祈らされている子供の様子がかわいい。こうして祈る習慣が身につくのだろう。

ニョニャ料理(ニョニャはマラッカ生まれの中国人2世の女性を指す。マラッカ風中華料理)の昼食後、約40分かけてマラッカ海峡をクルーズした。海に浮かぶように作られたモスクがきれいに見えた。同じように海に突き出して作られたモスクを、モロッコのカサブランカで見たことがある。当然ながらそれよりずっと小規模だった。

 沈む夕日とモスクを一緒に見たかったが、民芸品や革製品の店を数軒回った後に、また2時間半かけて、クアラルンプールに戻った。

クアラルンプールの夜景

クアラルンプールで四川料理の夕食後は、自由時間だが、夜の街探索のオプショナルツアーに参加した。夫との旅なら勝手に歩き回るが、11人もいるのでとてもじゃないけど、見知らぬ街を夜に歩けない。

まず世界で4番目に高い421bのテレビ塔・KLタワーから夜景(左)を眺めた。KLはクアラルンプールの略。トロント、モスクワ、上海につぐ高さだという。展望台は1時間に360度回転する。ネオンに光る街並みがきれいだった。特にツインタワーは一段と目立つ。ちなみに東京タワーは333b。

 帰国後に聞いた話だが、新東京タワーが墨田区に出来る。2008年に着工、2011年に完成。高さは610bで、現在世界一のトロントのタワー553bを抜く。

チャイナタウンのコピーバッグ

次は、セントラルマーケットの南にあるチャイナタウンへ。買い物客や観光客でごった返していて、迷子になりそうだ。チャイナタウンというから中国の食材や衣料をど売っているのかと思ったが、ガイドが案内したのは、コピー製品を売る一画だった。日本のオバチャンは、コピー商品が好きに違いないと思いこんでいる節がある。

「本物みたいねえ」「上手にできているわねえ」の言葉が行き交ったものの、今更コピー商品はいらない。東南アジアや中国や韓国では堂々とコピー商品を売っている。取締が追いつかないというより、見逃しているとしか思えない。
<クアラルンプールのグランドシーズンホテル泊>
(2008年2月2日 記)

感想・要望をどうぞ→
マレーシアの旅1へ
次(バツー洞窟とクアラルンプール)へ
ホームへ