メキシコの旅3
 メキシコシティの観光

2012年3月18日(日)−5日目

クエルナバカをバスで出発し、メキシコシティに着いた。メキシコの首都メキシコシティメキシコの旅1の地図参照)は、スペインが侵略する前はアステカ帝国の中心地。当時は、湖に浮かぶテノチティトランという大都市だった。

「夢幻の世界とはこれか、と我々は口々に言った、高い塔、神殿、建物などが水中にそそり立ち、兵士の中には夢を見ているのではないかと目を疑う者もあった」と、スペイン軍の記録係は書いている。

征服者のコルテスは、湖を埋め立て、神殿や宮殿を破壊しつくした。その石材でスペイン風の街を作った。

自治大学の壁画まず、郊外にある国立自治大学に立ち寄った。大学の中央図書館と本館は、壁画で覆われているので観光スポットになっている。図書館の4つの壁面は、オルゴマンのモザイク壁画、本館にはシケイロスの立体壁画(左)。

すでに見てきたように、メキシコには壁画が多い。メキシコ革命時代(1910年から40年頃)に、文字が読めない人たちを鼓舞する意味で描かれたそうだ。

次は広場(ソカロ)へ。さすが首都のソカロだけあり混雑と騒音が半端ではない。インディアンの踊りもあれば、大声でさけぶ露天商。その雑踏を縫って大聖堂へ。メキシコに無数にある大聖堂の中心である。ところが、こんな大事な聖堂が地盤沈下して傾いているらしい。私は何も感じなかったが、湖を埋め立てたので、当たり前のような気もする。

大聖堂の裏にあるテンプルマヨールに行った。1979年に8トンもの石版像が見つかり、アステカ帝国の中央神殿だと分かった。私はその1979年に、メキシコシティを見学する計画を立てていた。ロスに行ったついでに足を延ばすつもりだったが、実現しなかった。もし行ったとしても、この遺跡は公開していなかったろう。

赤い色彩の神殿、生贄を載せたチャック・モールの石像、蛇頭像、祭壇などを目にすると、征服者たちが「夢でも見ているのではないか」とびっくしりした様子が目に浮かんでくる。アステカ帝国神殿の破壊が残念でならない。

アステカ帝国遺跡の背後には、スペイン時代の大聖堂や現在のモダンなビルが見える。テンプルマヨールは、メキシコシティの歴史が凝縮されたようなところだ。

テンプルマヨール テンプルマヨール テンプルマヨール
 
チャック・モールの石像


蛇頭像 

 
アステカの遺跡の背後には
スペイン時代や現在のビルが


国立宮殿次は国立宮殿(左)へ。アステカのモクテスマ2世が住んでいた場所に、スペインのコルテスが宮殿を建築した。経緯はともかく、3階建てのアーチがきれいだ。今は大統領府になっている。そのせいだと思うが、入場する前の検査が2度もあった。

みどころは、リベラの壁画。アステカ時代から現代までの歴史が壁画で分かる。これで3大巨匠の壁画は全部見たことになる。

昼食後に国立人類学博物館を見学。ここを見るには丸一日はかかると、ガイドブックに書いてあるが、ツアーの場合はせいぜい数時間。もっとも基礎知識がないのに、一日見て歩くのは疲れるから、目玉だけをガイドしてくれるのは、むしろありがたい。テオティワカン、マヤ、アステカの代表的な遺跡の優れものを展示をしている。遺跡にあってこそ価値があるだろうにと思わないでもないが、劣化を防ぐ意味では仕方ないのかもしれない。

 




 


 


太陽の石この博物館最大の目玉は「太陽の石」(左)。直径3.6mの円盤の中央は太陽神、その周りに複雑な文様が彫ってある。私にはチンプンカンプンだが、見る人が見ると、カレンダーになっている。この石の前で記念写真を撮る人が多いので、円盤そのものを撮るのが大変だった。

今日の宿泊は、ビジェルモッサというタバスコ州の州都。飛行機でも1時間半ほどかかる。出発は夜の9時35分だが、早めに空港のレストランで夕食をとり、手続きもすませた。

このとき、事件が起きた。荷物検査や身体検査をすませ、乗るばかりになっていたが、なんと私たち夫婦と添乗員のTさんは、搭乗直前に、ストップされた。待つこと10分。いざ乗ろうとしたら、女性の係官が「満席だから翌朝の便にしろ」ととんでもないことを言いだした。時計を見ると9時25分ころ。出発予定時刻の10分も前なのに「もう飛行機は飛び去った」とも言う。

この2つが嘘であることは、翌日仲間から聞いてはっきりしたが、いまだに、なぜこのようなことになったのか分からない。メキシコ航空に理由を説明してほしいと、旅行会社を通して言ってあるが、返事はこない。メキシコと言う国が、信用のおける国ではないことが分かる。今までに数えきれないほど飛行機に乗っているが、こんなことは初めてだ。

結局、航空会社と提携しているホリディインに宿泊。立派なホテルだったが翌朝の飛行機に乗る手続きなどにかかり、ホテルに入ったのは夜中の1時ころ。3時間ほどしか寝ていない。添乗員さんは、他のツアーの人たちのことも気にかかるし、大変だったと思うが、私たちもトンデモナイ目にあった。 <メキシコシティ ホリディイン泊>

                                                (2013年4月16日 記)
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