メキシコの旅4
 ラ・ベンタ遺跡公園とパレンケ遺跡

2012年3月19日(月)-6日目

他の仲間は、予定通りビジャエルモッサのホテルに泊まった。現地ガイドもいるし、英語が達者でリーダーシップのある方がいたので、事なきをえたようだ。

結局、朝7時の便でメキシコシティを発ち、ビジャエルモッサメキシコの旅1の地図参照、以下の地名もこの地図参照)の空港に着いたのは8時半頃。小さい空港なので手続きがすぐ終わり、ラ・ベンタ遺跡公園にかけつけたのは9時頃。ホテルを8時半に出た仲間は、この遺跡に着いたばかり。ハプニングがあったにしては、観光にはほとんど影響なく、添乗員はすぐに本来の仕事に戻った。50歳のベテラン添乗員だったことも幸いした。

でも私たちは、なんとなく居心地が悪く、ひとりひとりに謝った。なんにも悪いことをしていないのに、悪いのはメキシコ航空なのに、万一、もっと飛行機が遅れたりすれば、冷たい視線を向けられたと思う。

ラ・ベンタ遺跡公園は、ジャングルの中にある野外博物館だ。オルメカ文明の中心地ラ・ベンタ遺跡から出土した33の石碑と石像を、展示してある。いろいろな文明が出てくるのでややこしいが、BC1200年からBC400年にかけてのオルメカ文明は、メキシコ文明の源流と言われる。特に大きな石で造られた人頭像は興味深い。なぜこんな大きい人頭像をいくつも作ったのか。

 
ジャングル探検をしているような
野外博物館めぐり

こうした巨石の人頭像が
たくさんある
 
 
空を見上げる猿の石像
意味があるのだろうか

その後バスでチアパス州のパレンケへ。メキシコのピラミッドといえば、テオティワカンの太陽のピラミッドと月のピラミッドが有名だが、メキシコにはほかにも無数のピラミッドがある。ここパレンケ遺跡で、ピラミッドに初めて上った。

旅行前は上るのはともかく、下りるのが怖そうだな、下から見ているだけで充分だと思っていた。おまけに昨夜の睡眠時間はごくわずか。でもピラミッドを前にすると、やはり上りたくなる。それに、頂上からは遺跡全体を見渡すことができる。この快感をいったん味わってしまうと、上らないわけにはいかなくなる。

結局、このパレンケを手始めに、この後、上ることが許されているピラミッドには全部上った。もともと駅の階段は歩くようにしているので息切れはしないが、規則的な階段ではないから、下りるときは緊張を強いられる。直滑降ではなく斜滑降スタイルが安全だと思う。

パレンケはマヤ古典期後期を代表する遺跡。18世紀にスペイン人が発見した。旅行者にもっとも人気があるそうだ。7世紀に統治したハカル王とその息子の時代が最盛期。

 
太陽の神殿からの碑文の神殿や
頭蓋骨の神殿が見える

 
碑文の神殿の隣にある
頭蓋骨の神殿


マヤアーチと呼ばれる
回廊が残っている

 

葉の十字架の神殿
朽ちそうな石段 


名前を知らない黄色い花が
遺跡を彩っていた 

 
マヤ人たちの物売り
明るくてたくましい


でも最盛期は長続きせず、いつの間にかジャングルになっていた。だから謎が多く、宮殿・碑文の神殿・頭蓋骨の神殿・太陽の神殿・葉の十字架の神殿・十字架の神殿の名前もスペイン人が勝手につけたにすぎない。

碑文の神殿は、地下でハカル王の墓が発見されたことで必見だ。マヤのピラミッドは神殿の台座と考えられていたが、この墓が発見されたことで、単なる台座ではないことが分かってきた。<パレンケのミッション・パレンケ泊>

3月20日(火)−7日目

朝早くパレンケを発ち、カンペチェ州のカラクムル遺跡に向かった。1931年に発見されたマヤ遺跡最大規模。発掘されたのはまだ2〜3%だという。最大規模の割には知名度が低く、日本の旅行会社のツアーではあまり訪れない。観光地として整備されていないので、大型バスが横付けできない。途中でマイクロバスに乗り換え、そのあとは密林の小道を歩いた。

 
ステラ(石碑)が
神殿前にある

 
ピラミッドの頂上からは密林の
中に他の神殿が見える

 
いざ上る前に
撮影


道が途切れると大きなピラミッドが現れた。ステラ(石碑)がピラミッドの前に並んでいるのは、ここだけだった。ピラミッドの頂上に上ると、密林に他のピラミッドが見える。それが果てると青い空。後で考えると、このカラクムル遺跡がいちばんよかった。土産物屋もないし、観光客も私たち以外は数人のみ。自然保護区なので野鳥のさえずりも聞こえる。遺跡を独り占めする心地よさを味わった。 (2013年5月2日 記)

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