メキシコの旅7
 テオティワカン遺跡とオアハカ

3月23日(金)-10日目

今日はメキシコシティまで飛行機で移動。出発までの時間を利用して又ビーチに出てみた。輝いている海を背景に、ジョギングや散歩を楽しむ人たちをカメラに収めた。

カンクン発(11時)→メキシコシティ着(13時27分

5日目に見学したメキシコシティに戻ってきた。飛行機に乗り残されたイヤな思い出がよみがえる。

ケツアコアルト神殿昼食後、北50qにあるテオティワカン遺跡に向かった。ここには、有名な太陽のピラミッドと月のピラミッドがある。若いころは、メキシコのピラミッドといえばこの2つしか知らなかった。

テオティワカンは紀元前2世紀ごろに建設され、350年から650年が最盛期。遺跡の様子から想像すると、20万人以上が生活していた。でも8世紀頃滅亡。どこに消えてしまったのか今も分かってない。

有名な遺跡なのに謎が多い。まだ10%しか発掘がすんでないので、そのうち解明されるかもしれない。最盛期の7〜8世紀は日本では奈良時代。奈良時代の史料は多少残っているが、テオティワカンの史料はない。

まずケツアルコアトル神殿を見学。壁面がケツアルコアトル(羽毛のある蛇で水と農業の神)とトラロック(雨の女神)の彫刻で飾られている(左)。少しだけ赤や緑が残っていて、当時の豪華さが想像される。

この神殿の頂上に上ると、死者の道や月のピラミッドや太陽のピラミッドが遠くに見えた。20万人以上が生活していた大都市の片鱗を感じる。

太陽のピラミッドは高さ65m、底辺が225m。エジプトのクフ王、カフラー王のピラミッドに次ぐ世界で3番目の大きさだ。夏至の時に、ピラミッドの真東から太陽が昇るという天文の仕掛けもある。

出発前はこのピラミッドに上る自信がなかった。ガイドブックには、248段の急な階段とある。ふつうの階段なら大丈夫だが、石段がでこぼこしているに違いない。でも案ずるより産むが易し。途中に3か所の踊り場があるので、怖い思いをせずにすんだ。

月のピラミッドは高さ42m。底辺が150mと130mと太陽のピラミッドに比べ小ぶりだ。でも大きな宗教行事は、月のピラミッドで行われたらしい。

太陽のピラミッド   月のピラミッド
 
世界で3番目に大きい
太陽のピラミッド

 
太陽のピラミッドの上から見た
月のピラミッド


泊まったホテルのロビーに、歩くのさえ困難な太った女性がいた。もっとも肥満な人はこれまでもたくさんいたが、書くチャンスがなかった。どんな食生活をしたらあんなに太るものやら。メキシコの肥満度はアメリカと良い勝負。食べ物がアメリカ化されたからに違いない。<メキシコシティのガレリア・プラザ泊>

 

3月24日(土)-11日目

青空出発前にホテルの付近を散歩した。ユカタン半島には咲いていなかったジャカランタの花に再会。薄紫色のジャカランタの花にはうっとりする。紫の花が大好きなので、ジャカランタの花を見るたびに嬉しくなる。

メキシコシティからオアハカまでバスで移動。飛行機でも70分かかる距離をバスで移動するので、少しつらい。赤茶色の荒れ地(左)にサボテンが生えているだけの退屈な車窓だ。メキシコ名産のアボガドの畑を見たいと思ったが、畑らしきものはなかった。

途中のポイントといえば、メキシコの高峰トップ3のピ・デ・オリサバ(5610m)、ポポカテペトル(5465m)とイスタシワトル(5230m)が見えたことだ。5000mを超える山がメキシコにあることは知らなかった。

原住民の民芸品2時半ころオアハカメキシコの旅1の地図参照)に到着し、昼食後に散策。オアハカはオアハカ州の州都。この州は先住民人口の比率がいちばん高い。気をつけてみると、確かに先住民の顔つきの人が多い。先住民は、マヤ人、アステカ人、サポテコ人を言う。

自由時間にぶらついた街の露店や土産物屋には、カラフルな刺繍の衣装や織物など先住民の民芸品(左)が多かった。

サポテコ人であるベニート・ファレスの銅像もあった。ベニート・ファレスは、初の先住民大統領。その後は先住民出身の大統領は出ていない。12歳の時にオアハカの有力者に見いだされたという。

 頭蓋骨まずサントドミンゴ教会を見学。メキシコ風バロックの傑作だそうで、祭壇、礼拝堂など金箔、宝石が使われ豪華。どこの都市でも教会に行くのはなぜなのだろう。嫌なら自由旅行をすればいいと思うものの、その力がないからツアーに参加するしかない。

 教会の隣にあるオアハカ文化博物館へ。明日見ることになっているモンテ・アルバンやミトラの遺跡からの出土品が展示されている。金銀のアクセサリーやガラス細工など繊細なものが多い。なかでも翡翠がちりばめられた頭蓋骨(左)は見もの。

ホテルは市街地から少し離れた丘の上にある。庭にはジャカランタや赤い花が咲き、雰囲気の良いホテルだった。<オアハカのビクトリア泊>   
         (2013年6月16日 記)

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