ミャンマーの旅2 2008年2月19日(火)-2日目 寝釈迦仏見学後、次の目的地チャイティーヨー(ミャンマーの旅1の地図参照)に向かう途中、セタウン川(左)に架かる橋を通過した。この辺りは日本とイギリスとの戦闘が激しかったところで、橋も日本軍が架けた。中部のメイッティーラに次いで日本軍の犠牲が多かった場所だ。日本とイギリスとの戦場はビルマだったことを、あらためて思う。 泳げない人は岸に残ったおかげで助かり、泳いで渡った人は途中で襲撃されたという。泳げる人が亡くなって、泳げない人が生き残ったのだから皮肉なものだ。今も、元日本兵がセタウン村で暮らしているそうだ。相当なご高齢だろう。 チャイティーヨーの麓にあるホテルのレストランで昼食。とうもろこしのスープ・チャーハン・白菜いため・ジャガイモと豚肉の炒め・豆腐と魚のフライ・海草サラダ・スイカ。今後もこのような中華もどき食事が多かった。油っぽいけれど、日本人には食べやすい味だ。
トラックバスは、トラックの荷台に簡単な板の長いすがあるだけ。舗装していないガタガタ道を40分も走る。ジェットコースターのようだという表現が大げさでないほど、アップダウンが激しかった。 ジェットコースターバスを降りると、今度は歩き。5〜6人の仲間は駕籠に乗った。4人のミャンマー人が担架みたいな駕籠をかついで登ってくれる。乗った人は「これで10ドルだから安いもんよ」と喜んでいた。 40分ぐらい平気だと思い歩き始めたが、思ったより疲れた。きつい傾斜が延々と続くので、腰をおろすチャンスがない。フーフー言いながらも40分の道のりを30分で登ってしまった。脱落者を待っている駕籠かつぎ屋が、途中までつきまとってくる。「どうせ乗るんなら、最初から乗るってば〜」と悪態をつきながら、彼らをあきらめさせた。 いよいよ「落ちそうで落ちないチャイティーヨー」の見学。チャイはパゴダ、ティーは修行僧、ヨーは頭の上という意味。ガイドブックでゴールデンロックの写真を見慣れていたので、遠くに見えたときは嬉しかった。苦労してたどり着いただけに尚更だ。 寝釈迦仏の時もそうだったが、ミャンマーでは寺院やパゴダ見学は必ず裸足。日本の場合だと、寺院内部に上がるときだけ靴を脱ぎ、靴下は履いたままでいいが、ミャンマーでは境内から裸足で歩かねばならない。足裏が痛いが、足裏マッサージと思えばいい。 チャイティーヨーは、大きな岩の端っこに、胴回り24bのゆがんだ球形の岩が傾いた形で鎮座している。写真でお分かりのように、非常に不安定だ。落ちそうだが、実際には1度も落ちていない。球形の岩すべてに金箔が貼ってあり、きれいに保つために5年に1度は足場を組みゴザで覆いをして修理する。修理中に訪れた場合は、ゴザしか見えないそうだ。 落ちそうで落ちないのは、釈迦の聖髪が入っているからと信じられている。伝説では、BC581年に釈迦がここを訪れて、6人の僧に自分の髪の毛を与えた。
今まで落ちないからとて、これからも落ちないという保証はない。大岩が見学者や祈っている人の上に落ちてきたら、だれが責任をとってくれるのだろう。釈迦の聖髪のせいにもできない。 この聖なる岩に接近できるのは男性だけだ。女性は触ることもできず、金箔を貼ることも許されない。ここ以外にも、女人禁制の寺院が数ヵ所あった。日本にもかつて女人禁制の山や寺があったことを考えると、仏教も男女平等にはほど遠い。 広場で何10人もの小僧が、サッカーや鬼ごっこをして遊んでいた(左)。外見こそ、えんじ色の袈裟と坊主頭だが、ふつうの小中学生となんら変わりなく無邪気。カインさんは「今は試験が終わったばかりで終業式前なので、一時的に仏門に入る子ども達が多い」と説明してくれた。 パゴダに近いホテルに泊まったので、夕食後にライトアップされたパゴダを見に行った。夜でも熱心に祈る人が岩の回りを囲んでいた。このライトアップを見物したのは、私と夫と1人参加の男性3人だけ。 |