ミャンマーの旅5
 マンダレー

2008年2月22日(金)-5日目

結婚式へーホー発(16時45分)→マンダレー空港着(17時10分)。飛行時間は30分にも満たないが、陸路を使うと何時間もかかるそうだ。

マンダレー市内のレストランで鍋料理の夕食。レストランの下の階で結婚式をしていた。男性は黒のスーツ、女性は白のウェディングドレス(左)。ミャンマーはアメリカナイズされていない国との印象を持ったばかりだったが、一概には言えないようだ。 
<マンダレーのマンダレーヒルリゾート泊>


2月23日(土)-6日

 マンダレーミャンマーの旅1の地図参照)は、ミャンマーのほぼ中心に位置する。1857年にミンドン王が建設し、1885年にイギリスに占領されるまで、ミャンマー最後の王朝が置かれたところである。今は、ヤンゴンに次ぐ第2の都市。ミンドン王の治世は短かったが、仏塔や寺院を精力的に建てた。今残っている建物は、ほとんどミンドン時代のもの。

お坊さんの町とも言われ、至る所で僧侶の姿を見かけた。それもそのはず、マンダレーには5万人もの僧侶がいる。全国には50万人いる。日本には何人ぐらいいるのだろう。

 ツアーのメンバーに、ビルマ戦跡の本を読んできた方が数人いた。その方達によると、マンダレーには日本軍の拠点がおかれ、インパール作戦にもここから出発したそうだ。日本軍が入った時にはすでに瓦礫の山で、古都の面影はなかったらしい。

 まず、市内のマハムニパゴダを見学。マンダレーで最大のパゴダ。4bの高さがあるマハムニ仏は、青銅製だが金箔が分厚く貼られている。私たちが見学しているときも、台座までのぼって金箔を貼っている人達が大勢いた。ここも女人禁制。

 次は、マンダレーの南11キロにあるアマラプラという古都に行った。マンダレーに移される前の都。ここの目的は、マハーガンダーヨンの僧院で托鉢風景を見ることだ。

 ミャンマー最大の最高位の僧院で、全国から修業に来ている。外国人の見学も歓迎しているとか、最高位の僧院にしては重々しさがなく、見学者にはありがたい。洗濯した袈裟を乾してある庭や、身体を洗っている僧たちの日常の生活や裏の部分も隠そうとしない。散らかったままの小僧達の部屋も見せてくれた。

 10時過ぎの鐘の合図とともに、各僧院から集まったお坊さんの列ができた。ご飯やおかずを寄進する人達は、かなり前から待っている。寄進者たちは小ぎれいな正装をしていて、寄進がイベントのようにも思えた。

 大きな食堂に集まった僧は、隣の人と会話を交わすでもなく、黙々と短時間で食事を終えてすぐ戻っていった。あっけないほど短い時間だ。お坊さんの食事は、朝の托鉢時と、この時の2回だけだという。午後は食べてはいけないのだ。

托鉢 寄進する人 食事
托鉢が始まるのを待っている。 正装して寄進する人たち。 一言もしゃべらず、短時間で食事を終えた。

 次に同じアマラプラにあるウー・ペイン橋に行った。アマラプラの前の都・インワの王宮からチーク材を運び、タウンタマン湖に全長1.2キロの橋をかけた。160年前の橋だが、今でも使われている。頭に大きな荷物を乗せた女性が通ったあとに、袈裟姿のお坊さんが若い女性とぴったりくっついて歩いたりしている。チーク材の橋と湖と渡る人々を見ているだけで心が安まるところだ。もっといたかったが、橋の途中までしか行く時間がなかった。

野菜を作っている河川敷 頭に乗せた女性 二人連れの僧
広い河川敷で野菜を作っている。 荷物を頭に乗せた女性。 女性と二人連れの僧。

 マンダレーに戻り旧王宮を見学。ミンドン王が建てた当時は見事なものだったというが、イギリスと日本との戦いで焼けてしまった。今あるのは復元されたもの。ミャンマーの経済力からしてこの程度のものしかできないのかもしれないが、外観は雑な作りで内部も殺風景だ。

 焼け残った城壁は、幅70bの水堀に囲まれて風格がある。敷地は、1辺が3キロもあるので非常に広い。当時の栄華はこの広さを聞くだけでよくわかる。

王宮全景 豪華な細工 スイカ売りの少年
監視塔からの王宮全景。 焼け残ったモノは豪華な細工だ。 王宮前にいたスイカ売りの少年


シュエナンドー寺院の小僧さん かつての監視塔からは、マンダレー市内やマンダレーヒルがよく見える。この塔の上で、どうみても日本人の熟年男性がいたので「こんにちは」と声をかけたら「やはり日本の方ですか。1ヶ月ほどミャンマーを回っているのですが、初めて日本人に会いましたよ。これから夜行列車でヤンゴンに行きます」と言う。元気なオジサンがいるものだ。

 昼食後はシュエナンドー寺院(左)へ。ミャンマーでは飽きるほどパゴダや寺院を見たのでひとつひとつは覚えていないが、ここの寺院だけは印象に残っている。珍しくチーク材で作られているうえ、屋根も外壁も内部も手の込んだ彫刻がほどこされている。ミャンマーで初めて芸術作品に出会ったような気がした

 「シュエ」と名前がつく寺院がたくさんある。シュエの意味は、「金」だそうだ。今のシュエナンドー寺院は金ぴかではなかったが、以前はここも金が施されていたのだろう。(2009年8月16日 記)
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