ミャンマーの旅6 2008年2月23日(土)-6日目 マンダレーのシュエナンドー寺院に続く観光は、クドードオ・パゴダ。真っ白い仏塔が729並んでいるだけでも壮観だが、それぞれの仏塔に経典を刻んだ石版が納められているという。これほどの経典があるだけでも、世界遺産の価値はあると思うが、世界遺産ではない。いずれにしろ、ミャンマーには世界遺産が1ヵ所もないのだ。軍事政権が申請しないからではないだろうか。 ホテルで2時間ほど休憩後、トラックバス3台に分乗してマンダレーヒルに向かった。トラックバスを降りたところにエスカレーターがあり、ここから裸足にならなければならない。ヒルというから、ただの丘かと思ったが、参道や入口を守るライオンまでいる。 232bの丘にはマンダレーで一番古いスタンピ・パゴダが建っている。同じような寺院だから、見学はほどほどにして、テラスからの眺望を楽しんだ。今日見た王宮や白い仏塔のあるクドードオ・パゴダや泊まっているホテルが見えた。
日没を目的に集まっている大勢の観光客に交じって、若い僧侶がいた。ツアー同行者のドイツ人のBさんは、名古屋の大学で英文学を教えている。若い人を見るとつい話しかけたくなるらしく、若い僧と話していたので、私も話の輪に入った。この青年僧は12歳で親元を離れて、17歳の今日まで手紙でしか両親と接触していないそうだ。「こんな息子がいたら」と思うような好青年で、英語やドイツ語も勉強している。彼の場合は、一時的な修業とは違い真の僧侶を目指している。 6時ころ、眼下のイラワジ川を染めながら、日は沈んでいった。ビルマの竪琴の演奏と操り人形劇を見ながらの夕食だった。<マンダレーのマンダレーヒルリゾート泊> 2月24日(日)−7日目 ホテルを出てしばらく走ると、イラワジ川(ミャンマーではエーヤーワディ川)の船着き場に着いた。イラワジ川は、チベットが源流のミャンマーでいちばん長い川だ。その川を大きな船で10キロほど遡った。荷物を運んでいるのか遊んでいるのか、数人が乗っている大きな筏に出会った。川に浸かっている水牛の群れも見かけた。ここではゆったりとした時間が流れている。 1時間ほどで下船。船が接岸するや、土産物の売り子が群がってきた。船着き場のすぐ側にあるミングオン・パゴダへ。ボードーパヤー王が世界最大の仏塔を造ろうとしたが、完成する前に急死したので未完成のまま。未完のパゴダでも、中に入るには裸足にならねばならない。手入れされてない階段なので、足裏マッサージがきつすぎて痛い。でも頂上は絶景。眼下にイラワジ川、遠くにマンダレーヒルが見えた。
次はミングオンの鐘を見に行った。ミングオンパゴダに設置するために、ボードーパヤー王が作らせた鐘。外径が5b、90トンもの重さがあり、ヒビが入っていない鐘としては世界最高だという。日本人にとって、鐘は突くもので、その前で祈ったりしないが、この鐘の下に入り込む形で祈っている人がいた。 再びクルーズ船でマンダレーへ上陸後、バスでサガインという古都に向かった。途中、イラワジ川に架かるインワ橋を渡った。1934年にイギリス軍が作った橋だが、日本軍が使えないようにと撤退時に爆破したという。1954年に修復した。 サガインのカウンムードー・パゴダへ。「またパゴダか」と言いたくなるが、これまで見たパゴダと形が違う。お椀をふせたような真っ白なパゴダだ。パゴダの回りには812本の石柱が並んでいる。そのうち120本の石柱にはナッツ神の像が描かれている。ナッツ神はミャンマーに古くからある民族信仰の神。 昼食後、トラックバスでサガインヒルへ。ここには日本人慰霊碑がたくさん建っている。遺族の名にカッコで戦死者との続柄が書いてあった。父・母・姉・弟の中に、妻という字もあった。「妻たちは戦後の混乱期をどうやって切り抜けたのだろう」と、想像するだけで胸に迫るものがあった。半分ぐらいの方が日本から線香を持参していたが、私には墓参りの習慣がないので、思いつかなかった。皆さんが分けてくれたので、「ごくろうさまでした。若い奥様やお子さんやご両親を残して無念だったでしょう。日本は発展しましたよ」と手を合わせてきた。
慰霊碑にはどこで戦ったなどの説明はないのだが、ここから近いメイッティーラは、日本軍と連合軍の間で激戦があった所。いちばん犠牲者が多かった地で、おびただしい数の死傷者が出たという。2番目に犠牲者が多かったのは、2日目に寄ったセタウン(シッタウン)だ。 慰霊碑の近くの日本人パゴダには、戦死者の名前が、数千、数万とも知れないほど細かく書いてあった。戦死者のほとんどが野ざらしで置き去りにされ、遺骨が収集された例は少ないそうだ。骨も土に消えてしまったと聞いている。小説「ビルマの竪琴」の水島上等兵は、野ざらしの遺骨を供養するために、ひとりでビルマに残る。 17時45分(マンダレー発)→18時10分(バガン着) これで何度目かのプロペラ機だが、いずれも定刻に出発し揺れも少ない。乗り込んでから飛び立つまでの時間も少ない。なかなか快適だ。 夕食は、あやつり人形劇を見ながら、バガン地方の郷土料理(マメご飯・ビーフカレー・野菜炒め・魚の煮込み・団子) <バガンのルビートルーホテル泊> (2009年9月2日 記) |