ミャンマーの旅7
 バガン遺跡

2008年2月25日(日)-8日目

ブーゲンビリアここバガンミャンマーの旅1の地図参照)のホテルは、ブーゲンビリアのトンネル(左)に囲まれ情緒たっぷりの所にある。ところが、宿泊人数が多くなると給湯タンクが間に合わないらしく、昨夜の風呂は水風呂だった。湯が出なかったホテルはこれで2度目。ツアー代金からすると、それなりのお金は払っているはずだが、文句を言ってもどうなるわけでもない。

今日はミャンマー観光のハイライトであるバガン遺跡を見学する。私たちのツアーは11日間だが、5日間の短いツアーでも、必ず訪れる地がバガン。カンボジアのアンコールワット・インドネシアのボロブドールと共に、3大仏教遺跡と言われる。

バガンは、1044年にビルマ最初の王朝が開かれた地。ビルマ族による最初の王朝だ。ビルマ族が今のミャンマーの地に移ってきたのはそう古いことではなく、11世紀のこの時である。現在のミャンマーの基礎が出来上がったのが、バガンと言える。初代のアノーヤター王が、上座部仏教を国教として取り入れた。仏教の歴史も11世紀で、そう古いことではない。

上座部仏教という聞き慣れない言葉はなんだろう。私達は、中国・韓国・日本に伝来したのは大乗仏教、セイロン・ビルマ・タイに伝来したのは小乗仏教だと習った。違いはわからないが、「大がつくから日本の仏教が本格的なんだわ」と勝手に思っていた。ところがそれは間違いだった。

仏教の本来の教えは、10の戒めと270の戒律を守った者だけが救済されるというものだ。しかし、仏陀没後100年で仏教の大衆化運動が起こり、大衆化を目指す改革派は、優れた乗り物(大乗仏教)と名乗り、チベット・中国などに伝えた。

一方、釈迦の教えを忠実に守ろうとする保守派は、厳しい修行と禁欲で選りすぐれた者だけが救済されるという意味で上座部仏教という。小乗仏教というのは、大乗仏教側が勝手に呼んだ蔑称である。

バガンの話に戻る。イラワジ川東岸のおよそ40㎢に数千もの仏塔や寺院が建っている。王朝を開いてからフビライハーンの侵攻を受けるまでの250年間で、数千もが建造されたというから驚く。

金ピカや白塗りのパゴダに少々辟易していたが、赤茶けた平原に建つ仏塔群は文句なく美しい。数千の中のほんの一部だが、代表的なパゴダを一日かけて見て回った。

窮屈そうな仏像 五層のピラミッドのシュエサンドーパゴダ パゴダの上からの眺め
窮屈そうなマヌーハ寺院の仏像 五層のピラミッドのシュエサンドウ・パゴダ 歓声をあげた上からの眺め

マヌーハ寺院へ。モン族との戦いに勝ったバガン王朝の初代王は、上座部仏教の経典とモン族の王・マヌーハを捕虜として連れてきた。その囚われのマヌーハが建立した寺院。3体の仏像と1体の寝仏は、建物ぎりぎりに押し込められて窮屈そうだ。囚われの身を示すために、わざわざ窮屈な空間に置いたと言われる。

 こんな窮屈そうな仏像を初めて目にした私が、思わず「あら!まあ!」と声に出したとたん、カインさんが笑い出した。「ガイドを始めた頃は、あら!まあ!の意味がわからなかったんです。日本語の教科書には書いてないし、なんだろうと思いました」。そうだろうなあ、この場合の「あら!まあ!」は、なんと表現すれば良いのやら。

次はシュエサンドー・パゴダ。1057年に初代の王により建立された5層のピラミッド型のパゴダ。シュエは金、サンドーは聖髪、聖髪が入った黄金の仏塔という意味だろうか。今は茶色のレンガがむき出しだが、作られた頃は黄金に輝いていたのだろう。

急な階段を上り詰めると、みんながが「ワー」と歓声をあげた。大平原に大小の仏塔が果てしなく連なっている。現代の建物が一切ない。ミャンマー人憧れの地だということも頷ける。

シュエズイーゴン・パゴダ タマリンドウの実 ティーローミーロー寺院
シュエズイーゴン・パゴダは代表的な仏塔 タマリンドウの実 ティーローミンロー寺院

シュエズイーゴン・パゴダは、バガンの仏塔にしては珍しく金色で、訪れたときも修復が始まっていた。後で訪れるアーナンダー寺院と並びバガンを代表する仏塔。大きな仏塔の4隅に小さな仏塔がある。

カインさんは旅のはじめから、私たちによく質問をする。そのたびに「正解者にはタマリンドーをご馳走します」と言っていたが、ここの境内にはタマリンドーの大きな木が茂っていた。ずいぶん待たされたタマリンドーに、やっとありつけた。タマリンドーの実をすりつぶして固めたお菓子は、甘酸っぱくておいしかった。

 ティーローミンロー寺院は、1211年に8代目の王が建立した2層の赤煉瓦作り。表情の違う4体の仏像があった。ミャンマーの仏像の表情は、日本の仏像とは大違い。日本の場合はよく言えば静謐な感じがするが、悪く言うと無表情だ。ミャンマーの仏像は、笑っていたり怒っていたりと表情が豊かで楽しい。

アーナンダー寺院次はバガンでいちばん有名なアーナンダー寺院へ。3代の王が建立した、バガンでいちばん美しいと言われる。東西南北に1体ずつの仏像がある。南北の仏像はオリジナル。あまりにたくさんの仏塔や寺院を巡ったので名前は忘れてしまったが、これだけは忘れない。「あーなんだあ、こうんなだあ、そうなんだあ」とみんなで言い合っていた。

 世界の有名な建物を集めた「東武ワールドスクエア」にも、アーナンダー寺院のミニチュアがあることを、ミャンマー人のカインさんが教えてくれた。私は作り物のミニチュアなど好きでないけれど、いつか行ってみよう。

 昼食後ホテルに戻り1時間半ほど休憩。日中の暑さを避けるためらしいが、2月の時期は、ベストシーズンかもしれない。旅の間中、暑すぎて困ることは一度もなかった。むしろインレー湖周辺は寒いぐらいだった。

3時に出発してタビニュ寺院へ。バガンではもっとも高い65㍍。白っぽい外観も非常に美しい。白いペンキで塗り直していないところが、日本人の美意識にはぴったりだ。

この寺院の隣の僧院にある日本人慰霊碑に立ち寄って、線香をあげた。

どこかユーモラスなダマヤンジー寺院の仏像。 パゴダが林立する平原を馬車で散策。 首都ヤンゴンから遊びにきている女性達はあか抜けしている。

次はダマヤンジー寺院。5代目の王が建立。自分が即位したいために父と兄を殺害、罪の意識にさいなまれこの寺院を建立した。彼も殺されてしまったので、未完のままだという。どこの国にも似たような話がある。未完にしては細工も細かくて、寺院の形も変わっていて印象に残った。

 プーパヤーパゴダは、イラワジ川を船で来た人の目印になったというだけあり、円筒形の目立つ仏塔だ。今あるのは修復されたもので、台座も新しい。眼下には、イラワジ川が悠々と流れていた。

これまではバス移動だったが、自動車道路がされていない所もある。パゴダが林立する平原を馬車の上から眺めた。現代の建物は一切なく、ここほど古都と呼ぶに相応しい所はないように思う。ビシッと鞭に打たれながら、馬はとぼとぼ歩く。爺さん婆さんの馬かもしれないと思うと、いたたまれない。

お気に入り写真ピャッタッジーパゴダの上で、日没を待った。他にも夕日がきれいな寺院はありそうなものだが、なぜかここにはたくさんの人が集まっていた。

 あか抜けした若い女の子が集団でいたので話しかけたら、首都のヤンゴンから遊びに来たという。全員が独身の26歳。これまで回ってきた所には、10代のお母さんがいたから、いずこの国も都会は晩婚のようだ。

日没を待っている1時間で、お気に入り写真(左)が撮れた。物思いにふける僧侶が仏塔を背にたたずんでいる。そこに斜光線が射している。みんなに褒められた。

最後にライトアップされてアロドピエパゴダに寄った。願いがかなうパゴダとか。地元の人も大勢参拝していた。

ミャンマーの人はどのぐらいの頻度でお詣りするのだろうか。これだけ仏塔や寺院があるのに、どこでも熱心に祈る人がいる。日本人のようにちょっと頭を下げるだけではない。イスラム教の祈りに似ていて、額を床につけて熱心になにやらお願いしている。娯楽や遊びに行く場所として寺院があるような気もするが、私達にくらべはるかに生活に入り込んでいることは確かだ。
<バガンのルビートルーホテル泊>    (2009年9月16日 記)


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