ミャンマーの旅8
 ホッパ山とヤンゴン

2008年2月26日(火)-9日目

まだバガンにいる。希望者だけ、昨日の日没に続き日の出見学。日本にいれば早起きしないのに、旅先で張り切るのはいつものことだ。高齢者が多いからか、参加したのは半分もいなかったように思う。

今回の参加者は、「リハビリのために旅をしているんです」と話す中年のお医者さん以外は、みな高齢者。80歳過ぎの方、70歳代後半の方がたくさんいらした。「100ヶ国以上訪ねたと」いう人も5〜6人。聞いたことのない国に行っている人が多い。もう行き尽くしてしまってミャンマーに来たのか、ミャンマーなら時差が少なくて楽だから来たのか。

バガンの日の出まだ真っ暗なミンゲンゴンパゴダに到着。懐中電灯を照らしながら、やはり裸足でおそるおそる階段を上った。待つこと1時間。曇り空で日の出はあきらめたころの6時40分。朝靄の中に神々しい太陽が昇ってきた(左)。

 モネの「日の出」も、海と平原の違いこそあれ、こんな風だったのではないだろうか。仏塔が浮かぶ平原に昇ってきた太陽は、忘れられそうにない。私達があきらめて下りようとしていたのに、カインさんは「大丈夫。これから出るから」と悠然と座っていた。現地ガイドの言うことは正しかった。

 ホテルに戻って朝食後、バガンの南東50キロにあるポッパ山へ向かった。ポッパ山に行くまでの両側は、砂糖ヤシが茂る南国独特の風景。10時ころ、ポッパ山の麓に着いた。ポッパ山はミャンマーの土着宗教であるナッツ信仰の聖地。いろいろなナッツ神37体があるところで説明を受けたが、ナッツ信仰がピンとこないのでろくに聞いていなかった。

ホッパ山のサル ホッパ山の寺院 小学校の鐘
放し飼いのサルが少しコワイ。 ホッパ山の寺院。 ホッパ山麓にある小学校の鐘。

ポッパ山の頂上に行くには700段以上の階段を上らねばならない。ミャンマー観光は足が丈夫でないとつまらない。700段は休みながら登ればなんということはないが、サルのおしっこなどで汚れている石段を裸足で登ることが嫌だ。サルが放し飼いで、人間サマに遠慮しないので、可愛いのを通り越して少しコワイ。

頂上は737b。ここは小ポッパ山で、1518bの大ポッパ山が見えた。

山を下りたところに小学校があった。ちょうど休み時間だったので、先生に断って写真を撮らせてもらった。日本の昔の分校を彷彿とさせる平屋で、始業を知らせる鐘が下がっていた。

帰路、砂糖ヤシの小さな家内工場に寄った。ヤシの木に登って、樹液がたまったバケツを下ろしてくれた。煮詰めたものが砂糖になる。日本のサトウキビからできた黒砂糖に似ている素朴な味だ。

同じ場所で、ピーナツの油を絞っていた。牛がぐるぐる回って、臼に入れたピーナツを棒で押しつぶしている。ミャンマーには、こうした動物の助けを借りた手仕事がまだ残っている。ポッパ山付近は、ピーナツの産地でもある。

砂糖ヤシ ピーナツ油絞り ピーナツ売り
砂糖ヤシの樹液の入ったバケツを下ろしている。 ピーナツの油を牛の力でしぼっている。 ピーナツ売り

16時25分(バガン発)→17時25分(ヤンゴン着)。8日ぶりにヤンゴンに戻ってきた。
                                     <ヤンゴンのニッコーローヤルレイクホテル泊>

2月27日(水)-10日目

ヤンゴンは、私たちが地理を勉強した頃は、ラングーンと呼んでいた。ミャンマーもビルマと呼んでいた。軍事政権が、国名の英語表記をミャンマーに変えたのは1989年。アウンサンスーチーさんを自宅軟禁したのもこの年だ。解放されたことも数回あったが、いまなお軟禁されている。誰からともなく「スーチーさんの家が見たい」と話が出たが、近くの道路を通ることさえ禁止されている。

首都の呼び名が変わっただけでなく、首都そのものも2006年に中部のネーピードーへ移転。不便なので公務員のほとんどは単身赴任だという。もちろん、外国人は立ち入りが許されない。新首都以外にも立ち入りが禁止されている地域は主に北部にたくさんあり、遺骨収集もままならないそうだ。

 各地を回ってきて一度も危険な目にあうこともなければ、軍人が威張っている場面にも出会わなかったが、立ち入り禁止の地域があるのは、やはり軍事独裁政権のためだろう。

シュエダゴオンパゴダヤンゴン市内見物の最初は、シュエダゴオンパゴダ。もうパゴダは飽き飽きしているが、ミャンマー最大のパゴダを見ないことには話にならない。

 このパゴダの歴史は2500年前、釈迦が生まれた頃にさかのぼる。仏陀から8本の聖髪をもらった人が、この地に奉納したという言い伝えがある。ミャンマーに仏教が根付いたのは11世紀。なのに2500年も前の聖髪の話をされてもなあ。

まずエレベーターで入口へ。エレベーターを使うほど境内が広いということだ。大小60以上の仏塔・鐘・記念碑などがあり、ガイドブックには「これだけは必見!見どころスポット」の地図が載っている。

 入口付近の大きな菩提樹の下で、瞑想にふけっている男性がいた。菩提樹というと、釈迦がその下で悟りを開いたとされる。菩提樹はこれまで訪れた寺院でも茂っていたが、どこのも大きく枝を広げていた。

中心部には、高さ99.8bのまばゆい輝きの仏塔(左)が建っていた。使われている金箔は8688枚、塔の頂上には5451個のダイヤモンド、1383個のルビーなどの宝石がついている。説明されても、高くて見えやしない。本物の宝石なら、これを売って貧しい人のためや道路の整備や教育にお金を使ったらどうかと、思ってしまう。余計なお世話と言われそうだ。

平日の午前中だというのに、すごい人出。観光客というより、どうみてもヤンゴン市民が多い。太陽が照りつける中の豪華な仏塔にはいささか疲れるが、ミャンマー人の熱心な祈りの場に接するのも今日で終わりだと思うと、見学にも熱が入る。全体にはごった返しているのだが、祈りの場所は静謐だ。大声のおしゃべりが少ないからかもしれないし、裸足のせいかもしれない。

境内 曜日の祭壇 祈りの人たち
境内に座り込んでいる人もいる。 生まれた曜日の祭壇にお詣りする。 どの祭壇にも人がいっぱい。

 ミャンマー人は、生まれた曜日を大事にする。何日に生まれたより、何曜日に生まれたかが重要なのだ。曜日によって性格まで違うとか、結婚相手もまず曜日を調べるという話だ。知的なカインさんも曜日信仰は強いようだ。水曜だけが午前か午後で違うので8つあり、「8曜日」と言われる。

私は自分が生まれた曜日も子どもが生まれた曜日も知らないが、調べる簡単な方法を教えてもらった。それによると私が生まれたのは日曜日、夫は土曜日。寺院の境内には、曜日ごとに8つの祭壇がある。「あなたの祭壇にお詣りしてください」ということで、観光初日に、まず曜日を教えてくれた。

ちなみに、私が生まれた日曜日は、方位は北東、太陽を表す。動物はガルーダ。8つの動物は、ガルーダ(日)・トラ(月)・ライオン(火)・牙のある像(水の午前)・牙のない象(水の午後)・ネズミ(木)・モグラ(金)・ヘビか龍(土)

 日曜のガルーダは、ヒンズー教から伝わった鳥で力強いと言われている。インドネシアにガルーダ航空があるぐらいだ。私はガルーダだからいいが、ネズミやモグラやヘビだったら嫌だなあ。私は良い曜日に生まれたと自分では思っている。なにしろ地球になくてはならない太陽もついている。

ミャンマーはインドと接していることもあって、この国の仏教はヒンズー教の影響が強いそうだ。ヒンズーの神が仏教寺院に彫刻されていることもあれば、ヒンズーの神であるヘビが登場することもある。
                                                    (2009年10月2日 記)

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