北スペインの旅2 
 ロマネスクの教会とパンプローナ

2010年8月22日(日)-3日目

今日は、ピレネー山脈の麓に点在する12世紀に建てられたロマネスク様式の教会をめぐる。バルエラ村の聖フェリウ教会・バル村の聖エウラリア教会・ボイ村の聖ホアン教会・タウール村の聖クレメンテ教会・タウール村の聖マリア教会の5ヵ所である。

教会堂の大きさや重要度によってカテドラル(大聖堂)・イグレシア(教会)・エルミータ(礼拝堂)に大別されると説明を受けたが、見ただけではイグレシアなのかエルミータなのか分からない。

聖フェリウ教会 聖エウラリア教会の塔からの眺め 聖ホアン教会

バルエラ村の聖フェリウ教会 


バル村の聖エウラリア教会の塔からの眺め
 

ボイ村の聖ホアン教会 

聖クレメンテ教会 聖クレメンテ教会からの眺め 聖マリア教会

タウール村の聖クレメンテ教会


聖クレメンテ教会からの眺め 


聖マリア教会 

5つのどれも、古色をおびた石造りでこじんまりといしている。ピレネーの山、野の花、農道、川にしっとりとおさまっている。12世紀ころの村人の熱い信仰心が伝わってくるような気がする。ゴシックやバロックのけばけばしさに違和感を持つ人も、こんな教会なら好きだなあと思う人も大勢いるだろう。でも内部はそっけない。バルセロナで見たカタルーニャ美術館に持ち去られたからだ。中には複製を置いてある所もあるが、痛々しい。

鐘楼を持つ教会は2つあり、私はそのどれにも登ってみた。急な階段を上ると視界がぱっと開ける。山懐に守られている村の様子がよく分かる。もっともバル村・ボイ村・タウール村の3つの教会は、イスラム勢力の侵攻に備える要塞でもあった。もっと緊迫した雰囲気だったのかもしれない。

老人いちばん印象に残ったのは、最初に行った聖フェリウ教会。本来はミサをしない教会なのだが、日曜のミサをやっていた。ミサが終わるのも待っていた私の前に、やっと歩けるような老夫婦(左)がお互いにいたわり合いながら中に入っていった。なんとしてもミサに出たいと思っているに違いない。でもミサの参加者に、若者はひとりもいなかった。

きのうと同じパラドールに戻り、ビエラの街を散策した。アランの谷の中心地なので、商店も連なっている。                      <ビエラのパラドール泊>

8月23日(月)-4日目

途中までは一昨日と同じ道を戻ったので、また5230bのトンネルを抜けた。昼食までは、モンポレス峠などピレネー山脈の雄大な景色が広がっていた。

ハカの城塞ハカという町で昼食後、ハカの旧市街を歩いて散策した。巡礼の道はたくさんあるが、ハカはソンポルト峠を抜けるスペインでは最初の巡礼の町。4日目にして初めて巡礼の道沿いの町に来た。

ハカはローマ時代からの歴史がある古い町。8世紀にはイスラム軍を撤退させた。1054年からはアラゴン王国の首都。

 バスに戻る途中で城塞らしい壁を(左)見たが、星形の城だという。函館の五稜郭はヨーロッパの城を参考にしたと聞いているが、実際に見たのは初めてだ。もっとも上から眺める時間はないので、実際には五角形を見ていない。

ハカの町にきたら巡礼者の姿を見かけるようになった。大きなリュックにホタテ貝をつけ杖を持っているのですぐ分かる。

ハカから今日の宿泊地パンプローナに向かう道すがら、添乗員が「左の方向にハビエル城があります。ザビエルが生まれた所です」と説明した。日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルは、日本ではいちばん有名な聖人だと思う。司馬遼太郎の「街道を行く」の「南蛮の道」でザビエルの生まれ故郷訪問を読んだことがある。行ってみたかったが、旅程には入っていなかった。

5時頃にパンプローナに着いた。今回の旅で聞いたことのある地名は、バルセロナとサンチャゴとこのパンプローナだけだった。他の町は馴染みがなかっただけに、パンプローナに着いたときは嬉しかった。パンプローナは9〜16世紀にナバラ王国の首都として栄え、今もナバラ州の州都。

   

市庁舎のバルコニーからの宣言で祭りが始まる 

牛追いのポスター 

牛が駆け抜ける終点の闘牛場 


7月6日から14日まで9日間にわたって聖フェルミン(ナバラの守護聖人)祭が開かれることで有名だ。7月6日、市庁舎のバルコニーからの市長の宣言で祭りが始まる。白い上着と白いズボンに赤いベルトと赤いスカーフをした人たちで一杯になるという。

 イベントのハイライトは、エンシェロ(牛追い)だ。囲い場から闘牛場までの850bぐらいの道を、牛が駆け抜ける。テレビで見たのだが、男達は牛を追いかけるというより、前を走って牛を挑発している。時々牛の角に刺されて死者も出るという。何を好き好んでそんな行為をするのかと思うが、日本でも諏訪大社の御柱祭りや岸和田の「だんじり祭り」で時々死者が出る。古今東西、祭りに参加する人たちは血が騒ぐのだろう。

ホテル 等身像 胸像
 
ヘミングウェイが滞在していた
ペルラホテル
 
ヘミングウェイが通っていたカフェには
等身像がある

闘牛場の前には胸像がある 

闘牛は2012年から廃止になることが、国会で決まった。パンプローナでもこの祭りの時しか闘牛が行われないと聞いた。2012年以降はどうするのだろう。牛追い祭りを有名にしたのは、ヘミングウェイの小説「日はまた昇る」による。私は読んでないが、これから読んでみるつもりだ。闘牛場の前にはヘミングウェイの像があり、彼が滞在したペルラホテルや、よく通ったカフェ・イルナもまだ残っている。パンプローナは、ヘミングウェイさまさまだ。 (2012年5月16日 記)

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