日本史ウオーキング

  11. 大仙古墳−仁徳天皇陵−(古墳時代)


 小学生の時に仁徳天皇陵の写真(左は絵はがき)を見て以来、本物を見たいと思い続けていたが、なぜかチャンスがなく、長年の願いがかなったのは、2004年の9月だった。

 この前方後円墳は、世界3大古墳のひとつと言われる。他の2つ、エジプト・クフ王のピラミッドと中国・秦の始皇帝陵は見ているのだから、遅きに失した感はある。

 7時ちょっと前の「ひかり号」で新横浜を出発し、大阪府堺市のJR百舌鳥駅に着いたのは10時半頃。こんなに短時間で着くならもっと早く来れば良かった。百舌鳥駅(右)は、日本でいちばん大きい古墳に近い駅だから、大きい駅だと勝手に思いこんでいたが、ロッカーもない小さな駅だった。

 仁徳天皇陵は、駅から5分ほど歩いた所にある。宮内庁管轄の他の陵と同じく、鳥居と柵が前面にあり(右)、ここからは単なる森にしか見えない。

 全景が見渡せる展望台でもあるかと思ったが、それは私の無知以外の何ものでもなかった。JR阪和線すら、低い場所を通っている。高見の見物ができるわけはないのだ。恐れ多くも、天皇陵の上からの見物など、もっての他だった。

 看板には、「仁徳天皇 百舌鳥耳原中陵」と、宮内庁の名で記されている(左)。

 ところが、学者の間では仁徳天皇が葬られている可能性は、古墳造営の時期からみてあり得ない」が常識になっている。常識がまかり通らない雰囲気が、日本にあるということだ。ただし、ほとんどの教科書では、写真の説明は大仙古墳(伝仁徳天皇陵)となっている。

 近所にお住まいの考古学者も、「この古墳の副葬品と仁徳天皇では、時代があいません。天皇陵の発掘は許可が下りませんが、陪塚が発掘できるので、時代が推定出来るのです」と説明してくれた。「では誰が埋葬されているのですか」と聞いてみた。「まだ、はっきしりしていませんが、仁徳天皇でないことは確かです」という事だった。天皇陵発掘が許される日は、来るのだろうか。

 説明してくれたガイドに、「仁徳天皇陵ではないと言われていますが・・」とつっこみを入れたかったが、一生懸命ボランティアで説明してくれる人を憤慨させる気はない。黙って聞いていた。

 誰が埋葬されているとしても、古墳時代に、かくも美しい形をした巨大な古墳が造営されたことは事実なのだ。アスカの地上絵が謎であるように、空から指示したとしか思えない前方後円墳の作り方も、私には謎だ。当時の土木技術は、相当高かったに違いない。

 堀が三重になっていることは、現地で説明を聞くまでわからなかった。実際に見ることが出来る堀は、外堀だけ。いちばん中側にある内堀の幅は70b、くびれているところは120bもあるという。総面積は47800u。甲子園球場が12個も入る。3大古墳だけのことはある。大林組の試算では、古墳の完成には、1日1000人が働いて、15年8ヶ月かかる。クフ王のピラミッドは23年、始皇帝陵は35年。

 古墳を一周できる歩道がある。大きさを実感するには、歩くしかないので、気の進まないKちゃんを促して回ってみた。2850bはたいした距離ではないが、「あら!こんな所にラブホテルがある」など言いながら歩いたら、40分ぐらいかかった。

 正面こそきれいに整備してあるが、他の場所は人家が迫っているし、侵入しようと思えば簡単に入り込めそうだ。御陵近くの三国ヶ丘中学で数十年前に教師をしていた友人の話では、「当時は、生徒が中に入って遊んでいたのよ」。今はどうなのだろう。

仁徳陵が、百舌鳥耳原中陵(もずみみはらなかのみささぎ)と言われるのは、この辺りが百舌鳥野と呼ばれていたからだ。

 百舌鳥野を中心に、南北4.5q、東西4qの台地に分布する古墳を百舌鳥古墳群という。かつては100以上の古墳があったが、堺市で出している「百舌鳥古墳群めぐり」のパンフによれば、現存するのは55。すべて4世紀後半から6世紀前半の築造である。


 左地図は「百舌鳥古墳群めぐり」の一部である。赤い数字が、55の古墳を示している。

 天皇陵と指定されているのは1の反正陵、4の仁徳陵、25履中陵の3つ反正は18代、仁徳は16代、履中は17代である。

 
私やKちゃんが育った東北には古墳群などないので、狭い範囲にたくさんの古墳が集まっていることに驚いてしまった。しかし、近畿地方には、古市古墳群はじめ、ほかにも古墳群があることを、今回の旅で知った。

 日本の古墳の大きさベスト10は、@は仁徳陵(堺) Aは応神天皇陵(羽曳野)Bは履中陵(堺) Cは造山古墳(岡山) Dは河内大塚古墳(羽曳野) Eは見瀬丸山古墳(橿原) Fは景行陵(天理) Gは仲津山古墳(藤井寺)
Gはニサンザイ古墳(堺) Iは作山古墳(総社)となっている。

 Gが2つあるのは全長が同じ290bだから。この地図では省いたが、右下にニサンザイ古墳がある。百舌鳥古墳群には、大きさベスト10のうち3つも入っている。聖徳太子が、薄葬令を出したので、大きな古墳はすべて聖徳太子以前のもの。

 私たちは先を急ぐ旅だったので、仁徳陵しか見なかったが、1日あれば百舌鳥古墳群のすべてを回ることはできそうだ。古市古墳群にも行ってみたい。ちょっと囓り出すと、また疑問が出てくる。こうした繰り返しで、日本史ウオーキングは、いつになったら現代までたどりつけるか心細い限りだが、そのために「元気でいようね」と、友達と言い合っている。(2006年9月8日 記)

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