日本史ウオーキング

 21. 天平文化(奈良時代)

行基像 奈良時代は、天平・天平感宝・天平勝宝・天平宝宇・天平神護と、天平と名の付く年号が多い。それもあって、奈良時代の文化を天平文化と呼んでいる。

 近鉄奈良の駅前では、いつも「行基」像(左)が迎えてくれる。奈良時代の僧行基(668〜749)は、諸国を歩き回って仏教を広めた以外に、貧民救済・治水工事・橋をかけるなどの社会事業もおこなった。最初は僧尼令違反で弾圧されたが、のちに大仏造営の勧進に起用され大僧正の位を授けられた。奈良と言えば大仏、大仏と言えば行基ということなのだろう。

 「天平という時代は、天皇の力が絶大で政治も安定。唐の影響を受けた仏教文化が花開いた。遠くギリシャやペルシャの文化も伝来して国際色豊かだった」と、私はいっとき本気で思いこんでいた。

 天下太平を思わせる「天平」というネーミングと、「あをによし 寧楽(なら)の京師(みやこ)は 咲く花の 薫ふがごとく今盛りなり」(万葉集-巻3-朱雀門復元小野老)の歌が、刷り込まれているからだと思う。

 実際に、平城宮の朱雀門(左)・大極殿や大寺院は、瓦と朱色の柱で彩られて華やかだったようだ。

 しかし、実際の奈良時代は、長屋王の変・天然痘の流行で藤原4兄弟の死去・藤原広嗣の乱・橘奈良麻呂の乱・恵美押勝の乱・道鏡の変など政変が次々起こり、天平の世にはほど遠かった。聖武天皇が、3度も遷都したのは、そういった背景がある。

 しかも、小野老と同じく万葉歌人の山上憶良は貧窮問答歌で「・・人間に生まれ人並みに耕しているのに、綿もなく破れたぼろを肩にかけ、つぶれかかった家の中の地べたに藁をしき・・。かまどには火の気がなく、飯を蒸すこしきには蜘蛛が巣をかけている・・」といった農民の悲惨な現実を詠んでいる。天平の甍がそびえていたのはごく一部にすぎない。

 そうは言っても、現在、私たちが目にする天平文化は、文学・建築・仏像・工芸と、どれをとりあげても実に素晴らしい。「よくぞ、神話や和歌や建築や仏像を、こんなにたくさん残してくれましたね。日本人の心のふるさとになっていますよ」と、誰にともなくお礼を言いたくなる。

 「古事記」と「日本書紀」も作られた。信憑性はともかく、この時代に、神話や歴史を後世に残そうという気運が高まったことは事実だ。国ごとの地理や産物や伝説を記した「風土記」もまとめられた。いまだに多くの人が親しんでいる「万葉集」も、この時代の和歌集である。「離島に1冊本を持っていくとしたら」の問いに、「万葉集」と答える人がいるほどだ。

 奈良時代の主な寺院は、飛鳥から奈良に移した興福寺・元興寺・薬師寺。奈良時代に作られた長谷寺・大安寺・薬師寺東塔・興福寺五重塔・法隆寺夢殿・国分寺・国分尼寺・東大寺・法華寺・新薬師寺・唐招提寺・春日神社・秋篠寺などなど。

 主な像は、法隆寺五重塔塑像・法隆寺中門仁王像、興福寺の十大弟子と八部衆像(阿修羅など)、薬師寺の十二神将、唐招提寺の鑑真和上像、東大寺法華堂(三月堂)に納められている不空羂索観音・金剛力士像・四天王像・日光菩薩・月光菩薩・執金剛神像・梵天像・帝釈天像、そして東大寺金堂の大仏などなど。

 2005年3月と12月の2回の奈良ウオーキングで、これらの社寺全部をクリアするつもりだった。でも、私達が「どうしてかしら」など話していると、口をはさんでくる専門家や歴史好きなオジサンが必ずいる。彼らと話していると、すぐ時間が経ってしまう。それやこれやで、時間不足。有名な社寺全部を回るなど到底できず、持ち越している寺院がいくつかある。

東大寺の大仏 大仏殿の一部 二月堂の夕景 二月堂の裏道
東大寺の大仏ここは撮影自由。 大仏殿正面の高窓は開いている 東大寺二月堂の夕景 東大寺二月堂の裏道

阿修羅像 月光菩薩 執金剛神像 鑑真和上像
興福寺国宝館の阿修羅像チケットの半券コピー 東大寺三月堂の月光菩薩パンフレットのコピー。 東大寺三月堂の執金剛神像パンフレットのコピー。 唐招提寺の鑑真和上像唐招提寺に行かなかったので、上野に来たときの半券コピー。

 寺院訪問記をひとつひとつ書いていたら数頁になってしまうので、東大寺だけを取り上げる。何度も訪れている東大寺など今更見なくてもいいと思ったが、NちゃんもKちゃんも高校の修学旅行の時以来だという。それじゃ寄らずばなるまい。東大寺のみどころは、大仏殿ばかりではない。東大寺境内の見学だけで半日もかかってしまった。

 華厳宗大本山の東大寺は、743(天平15)年に聖武天皇が大仏建立の詔を発したことに始まる。752(天平勝宝4)年に盛大な開眼供養が行われた。たびたび戦乱にあい、今の建物や大仏は一部を除いて江戸時代のもの。

 何度も訪れている金堂(大仏殿)も、よく観察すると新発見がある。たとえば正面の高窓は開いている。1月1日と8月15日には、ライトアップされた大仏を外から参拝できるそうだ。

 大仏殿から右手の道にそれると、除夜の鐘で有名な鐘楼がある。そこを過ぎるとお水取りで賑わう二月堂。お水取りは3月1日から2週間。これが終わると春が来ると言われる。私たちが訪れたのは3月の彼岸の頃だったが、底冷えがして春には遠かった。私はここから見る奈良の街が大好きだ。特に、灯りがともった頃の夕景がいい。二月堂の裏道も人通りが少なく、築地塀にも風情がある。

 二月堂のすぐぞばに三月堂がある。16もの仏像が鎮座し、そのうち12が天平時代に作られた国宝だ。いつまでもお堂の中にいたいような静謐な時間が流れていた。日光月光菩薩の神秘的なお顔、四天王のそれぞれのお顔も表情豊かだ。

 三月堂の向かい側にある四月堂に行く人は少ないようだが、ここにも仏様がいて無料だ。気さくなお坊さんが、「上にあがりなさい」と、三月堂の仏像の説明までしてくれた。四月堂から眺める三月堂と二月堂は素晴らしいのでお奨め。

 四月堂の隣の開山堂は、東大寺を開山した良弁を祀ってある。内部は開放していないが(12月16日だけ拝観できる)、塀越しに椿が咲いていた。通りがかりの老婦人が「ああ、咲きましたねえ」と感慨深かげにつぶやいた。よくよく見ると、眞赤に白いものが交じっている椿だ。この白が、まるで糊をこぼしたように見えるので「糊こぼし」、あるいは原木が開山堂にあるので「良弁椿」と言われる。

 花より団子なのだが、この椿の名がつく上品な和菓子を何度も口にしたことがある。亡くなった従兄がお水取りの頃に、母に送ってくれたからだ。実際の花を見たのは、この時が初めてだったので「Yちゃんが送ってくれたのはこれだったのか」と、ことのほか感激してしまった。

 お水取りが始まる頃には、まだ「糊こぼし」は咲いていない。それで和紙で造花を作り、二月堂の本尊の仏前に飾るそうだ。その造花に似た和菓子を、お水取りの季節限定で「萬々堂通則」が販売している。

開山堂の「糊こぼし」 糊こぼし 和菓子の箱 和菓子屋
開山堂の垣根越しに咲いている「糊こぼし」 「糊こぼし」の花
和菓子「糊こぼし」が入っていた箱棄てるにはもったいないのでとってあった。 御菓子司「萬々堂通則」

 東大寺の境内は広い。大仏殿の裏手に回ると、聖武天皇の遺物を納めたという校倉造りの正倉院が林の中にひっそりと建っている。修学旅行ではここまで足を延ばさないので、KちゃんとNちゃんは、教科書で見慣れた建物の実物を見て喜んでいた。ほかに戒壇院も内部を見学できるが、今回のウオーキングでは時間はなかった。大仏殿の裏手まで行く観光客は少ないので、静寂なときを過ごしたい方にはお奨め。(2008年5月5日 記)

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