ポーランド・チェコの旅 10
百塔の町・プラハ 前

2003年8月15日(金)
 
 午前中はプラハの市内観光。プラハは「百塔の町」「黄金の町」「北のローマ」「魔法の都」「建築博物館の町」など、さまざまに形容されている。それだけ人気があるということだ。プラハに来て、初めて、日本人の団体に会った。右写真は、モルダウ川対岸からのプラハ城。

 出発前は、ヨーロッパは猛暑と言われていたが、ポーランドは暑くなかった。プラハは40度を越す日もあったという。プラハ観光は徒歩が多いから、40度なら我慢できなかったかもしれない。今日は、さほどの暑さではない。

 ガイドは日本人の米長さんという若者。留学生のアルバイトかと思いきや、こちらの旅行会社で働いている。「いいわね。今の若い人は気軽に海外で働けて・・」「僕もそう思います」と素直な反応があった。

 1995年に来たときと、まったく同じ箇所をめぐる。キャンセルしてもよかったが、別の説明が聞けるかもしれないと、参加してみた。

 バスでプラハ城へ。入り口には、青い制服を身につけた衛兵が立っていた。(左)。いずこも同じ、まばたきもしない。ここの衛兵も、体力があり見栄えのいい若者が選ばれるらしい。

 プラハ城は歴代王の居城。14世紀のカレル4世の治世に、現在の偉容が整えられた。城壁で囲まれた敷地には、複数の教会、旧王宮、修道院、博物館、美術館、黄金小路など見どころがたくさんある、大統領府もこの中にあり、執務中は旗があがる。この日は、白・赤・紺の国旗が靡いていた。

 中心的な建物は、聖ヴィート教会である。(右)。対岸から見て目立つのは王宮そのものではなく、聖ヴィート教会の尖塔だ。奥行き124b、幅60b、高さ96.6b。周囲の建物が低いので、威風堂々の形容詞がぴったり

 教会内には、チェコの画家で、アールヌーボーを代表するムハ(ミュシャ)作のステンドグラスもある。(左)。古めかしい図案が多いステンドグラスの中では、ひときわモダンだ。

 旧王宮の中心であるホールには、お定まりの天井画もなければ、壁画もなくいたって質素。でも戴冠式などの国家行事は行われたらしい。バルコニーからの眺めは素晴らしかった。泊まっている「ドンジョバンニ」も遠くに見える。ここに立つと、プラハが「百塔の町」であることを、気づかされる。カレル橋を渡る人も豆粒状態で見えた。

 前に来た時のガイドは「宗教戦争の発端はこの王宮で起こった<窓投げ事件>です」と説明してくれた。この思い出を夫に話していたら、側で聞いていた米長さんが「その通りです。プロテスタントの牧師がカトリックの僧侶を窓から突き落としたことから宗教戦争が始まったのです」。

 聖ヴィート教会はゴシックの代表だが、裏手にひっそりと立っているのがロマネスクを代表する聖イジー教会だ。「ホールは響きがいいんです、コンサートが行われます」と説明してくれた。何気なく聞いていたが、7時間後にここでコンサートを聴くとはその時は思ってもみなかった。

 城の下り道に沿うように黄金小路がある。もともとは王宮に仕える召使いの住まいだったらしく小さな家ばかり。錬金術師が住むようになり、黄金小路の名がついた。

 NO22がついている青壁が、小説家・カフカが仕事場として使っていた家。(右)。中ではカフカの本を売っている。カフカの「変身」は、ドイツ語の教科書だったので、仕方なく原語で読んだ。訳本が出ていたが、辞書は引かねばならなかった。

 カフカはユダヤ人だった。おまけに当時のチェコは、オーストリーハンガリー帝国に支配されていた。ヘブライ語でもなく、チェコ語でもなく、ドイツ語で書かねばならなかった。彼の中に屈折したものがあったとしても、なんら不思議はない、ご多分にもれず、彼の小説が認められたのは死後である。

 混み合っている黄金小路の中でも、カメラを構える人がいちばん多いのはNO22だ。カフカさまさまである。

 黄金小路の家の上部は、城壁になっている。狭い空間を利用してレストラン、博物館があった。私はこういうゴチャゴチャした場所が大好き。中でも鎧、兜(左)、武器の展示は見応えがあった。「鉄仮面」を読みふけった少女には、たまらない展示だった。

 カレル橋に向かって坂道を下る。下りながら見る対岸も絶景だ。路上の土産物屋でマリオネットや絵はがきを売っている。(右)。物売りがしつこくないのがいい。プラハの人形劇は有名で、常設の劇場もあるほどだ。

 途中で1年前に大洪水の跡を見た。壁にうっすらと線がついている。そこまで水が上がってきたのだ。この線を見て、テレビで見ていた大洪水の様子が蘇った。

 下の写真にも、洪水跡がついているが、はっきりしないかもしれない。写真を撮った目的は、白壁に映った影の様子が面白かったからだ。(2005年2月15日 記)

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