ポーランド・チェコの旅
                  <2003年8月9日〜8月18日>

 1.  ワルシャワ空港・ショパンの生家
 2.  ワルシャワの旧市街
 3.  蜂起記念碑・ショパンの心臓
 4.  ヴェイリチカ岩塩採掘場
 5.  クラコフ
 6.  シンドラーのリスト・バベル城
 7.  リゾート地・ザコパネ
 8.  アウシュビッツ収容所
 9.  キリストの磔刑像が多い街
 10. 百塔の町・プラハ 前
 11. 百塔の町・プラハ 後
 12. フリータイム中のできごと
 13. ピルゼン


ポーランド・チェコの旅 1

ワルシャワ空港・ショパンの生家

 1年前の夏休みに、ポーランドとチェコに行って来ました。日程順の方が臨場感が出るかもしれない・・と、旅日記風に書くことにしました。海外の旅は「ですます調」、銅像めぐりは「である調」と書き分けていましたが、テンポを速めるために、「である調」に変更します。

2003年8月9日(土)

 成田集合は午前8時55分。余裕を持って6時に家を出た。台風が上陸していたはずだが、成田を避けてくれたらしい。今日は1年中でもっとも混み合う日で、どの便も満席と聞いている。台風で飛ばなかった場合は、どうなるのだろう。そればかり心配したが、杞憂に終わった。

 今回は、旅行会社の選択肢が限られていた。4月に「シルクロードの旅」を前日にキャンセルしたので、半額のキャンセル料を払った。E社独自のサービスで、キャンセル料の半額、つまり旅行代金の4分の1が旅行券で戻った。期限を過ぎると紙くず同然なので、E社を選ばざるを得なかった。

 E社の旅は高齢者を主対象にしているために、繁忙期のツアーは少ない。その中から、テロの対象になりにくい国、面白そうな国、行っていない国、夫の休みに合う出発となると「ポーランド・チェコ・中世ロマンの古都を訪ねて」しかなかった。チェコのプラハ以外は、初めての地。左地図の緑丸の地を訪ねた。

 同行者は、熟年夫婦連れが6組、1人参加の女性が4人。16名のツアーだが若い女性は1人。やはり、高齢者ツアーだった。

 成田からの飛行機は、イラク戦争でアメリカに荷担したイギリスのブリティッシュエア。チェックが厳しいかと思いきや、さほどでもなく、むしろ心配だ。

 予定通り10時55分に出発。この時期の常として満席。苦難の旅の始まりだ。午後3時にロンドンのヒースロー空港着。日本時間では23時。4時間半も待って、午後7時半にワルシャワに向け出発。ワルシャワ着は、午後10時45分。ロンドンと時差があるから2時間15分のフライト。成田からワルシャワまで18時間50分かかったことになる。

 夜遅い空港には、でっぷり太った、つっかけサンダル履きのガイドが迎えに来た。勝手に思い描いていた「ポーランドのオバサン」そのものだった。20年前にポーランドに駐在していた友達Nさんは、「ほんとにそうなのよ。ポーランドの子どもは、ヨーロッパ一可愛いと言われているけれど、30過ぎると皆オバサン」。彼女はこうも言っていた。「入国審査がノロノロなので、少しでも早く手続きをするため、飛行機から降りると一目散。ボールペン等のワイロを使ったこともあったのよ」。深夜にノロノロされたら、たまったものではない。ユートピアに思えた社会主義国家は、とんでもない人間を作り出したものだ。

8月10日(日)

 強行軍の翌日だがのんびりは出来ない。8時45分には出発だ。ガイドは昨夜と同じエヴァおばさん。ワルシャワ大学の日本語学科を出たという。

 最初の訪問地は、市内からバスで1時間ほどの郊外、シェラゾバ・ボーラ。(上の地図参照)。ショパン(1810年〜1849年)の生家が残っている。来てみて思い知らされたのだが、ポーランドはショパンの国だ。ワルシャワ空港も、フレデリック・ショパンの名がついている。

 緑に囲まれた生家(左)は博物館になっていて、出生証明書・愛用ピアノ(右)・4歳の時に書いた楽譜・家族の肖像画などが展示されている。

 戸外の日差しは強いが、木陰は吹く風が心地よい。各国から寄贈された樹木や花が彩りをそえている。日本からの桜もあった。

 ショパンなるバラ(下中央)もあった。いつも思うのだが、勝手に命名してもいいのだろうか。音楽性があるとも思えない平凡な黄色いバラだ。

 もちろん銅像も2体あった。面白くない写真だが、「銅像ウオッチャー」を名乗っているからには、撮りまくらないわけにはいかない。左は全身、右は頭部のみの銅像。このうちの2枚は「銅像めぐり」のショパンの項に同じ写真が載っている。


  

 
 

 散歩が終わった頃に、サンデーコンサートが始まった。成田出発は土曜だったので、今日は日曜日。テレサ・チェイカさんというピアニストが、お馴染み曲(ポロネーズ、ノクターン、マズルカ)を1時間も弾いてくれた。演奏は室内だが、聴衆は戸外にいなければならない。木陰のベンチに座って聴くことが出来る。マイクがついているので離れても大丈夫。もちろんマイクを通さずに、窓の下にたたずむことも出来る。上の生家写真は、演奏を聴いているところ。

 私は、「ショパンの生家で生演奏」という舞台装置に、ただただ魅了されてしまった。中には「これだけで、今回の旅の目的はほとんど達成だわ。でもね。1カ所間違ったのよ」と話す人もいた。よほど耳が肥えているのだろう。右は8月の予定表。数字は日曜の日付になっている。3日は、日本人が演奏したようだ。Rinko KOBAYASHIとなっている。

 長くなるので、午後の観光は、次の項で綴る。
(2004年9月2日 記)

 20年前に駐在していたNさんが、長いメールをくれた。少し省いているが、現地で生活していた人ならではの情報である。

 ワルシャワ大学 日本語学科出身のガイドさんのこと。私達の駐在当時は、大学入学後に初めて日本語の勉強に取り組む人がほとんどでしたが、卒業までに日本の現代文学から古典まで専門的に勉強していました。話す力も相当なものでした。私達の英会話とは比べ物にならないくらい。

 ショパン生家でのコンサート演奏者の一人、小林倫子さんは、とても懐かしい方です。ショパンコンクールで特別賞受賞後、ポーランドの方と結婚して、ワルシャワ在住です。現在50歳くらい。時々日本でもリサイタルをしていらっしゃいます。一人っ子の倫子さんのため、ご両親もワルシャワで同居、父上は長い間、日本人会クラブのためにご尽力して下さいました。

 マズルカとかポロネーズ等の曲を聞くと、ショパンの感性の上に 更にポーランドの国(の歴史も含めた)そのものを感じます。やっと私もショパンのノクターン初歩曲を練習し始めました。どこまで、到達できるかしら。
(2004年9月15日 追記)

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