ポーランド・チェコの旅 11
百塔の町・プラハ 後

2003年8月15日(金)

 ヴァルダヴァ川(モルダウ川)にかかるカレル橋を渡らない旅行者は、まずいないだろう。車の乗り入れが禁止なので、橋というより広場のようなものだ。似顔絵描き(右)、音楽隊、土産物屋がならび、大勢の人で賑わっていた。

 カレル4世の命令で1357年に着工、60年かけて完成した。欄干の両側に30体の聖人像が立っていることがめずらしい。聖人像を見るのは2度目だから、、ピエタ像、ザビエル像、洗礼者ヨハネ像だけは見ようと、あらかじめ位置を調べておいた。

 日本にキリスト教を持ち込んザビエルは、ちょんまげ姿の日本人(左)に支えられている。残念なことに、髷には蜘蛛の巣がかかっていた。

 30体の中でいちばん人気があるのは、聖ヤン・ネポムツキー像。名前すら知らない聖人だが、レリーフに触ると願いが叶うという(左下)。触るぐらいで願い事が叶ってたまるか・・と思いながらも、触ってきた。わざわざ並んだのに、いまだに叶っていない。

 1週間後に、小泉首相もこのレリーフに手を当てていた。記者達が「総理!何を願いましたか」と聞いていた。「もちろん再選ですよね」などプラハでなくてもいいことを話題にしている。順番待ちをするほど混み合っているレリーフなのに、観光客は遠ざけられたのではあるまいか。首相1人ではなく、警護、付き人、記者が取り巻いているのだから、怒る人もいたにちがいない。

 プラハにはカレルと名がつくものが多い。カレル橋、カレル大学、カレル通り、カレル広場。もちろんカレル4世にちなむ。ボヘミアの王であったカレル4世は、1347年に神聖ローマ帝国の皇帝に選ばれている。つまりボヘミア最盛期の王だ。

 他の国では、カレル4世とは呼ばれない。イギリスではチャールズ、フランスではシャルル、ドイツではカール、スペインではカルロス、イタリアではカルロ。これを覚えておかないと、世界史を理解しにくい。

 もうずいぶん前のことだが、フランスに行く前に、簡単なフランス史に目を通した。フランス史の英雄・シャルルマーニュが、日本の教科書で言うところのカール大帝と同一人物とは夢にも思わず、こんがらかってしまった。

 カレル橋から建物の間を縫うようにして、旧市庁舎の塔にある天文時計(右)に向かった。11時55分に着いたが、正午の「仕掛け」を見るために、すでに人だかりが出来ていた。正面の写真など撮れやしない。背伸びをしてもよく見えない。死に神が鳴らす鐘の音に合わせて、キリストの使徒が次々に出てくるという説明を受けたが、前回も今回も人形の動きはよくわからなかった。

 時計台に隣接する旧市街広場に立つ像は、ヤン・フス(左)である。フスは、カレル大学の総長だったが、ローマ教会の堕落を批判したために、1415年に、火あぶりの刑になった。ルターの宗教改革より100年も前のことだ。米長さんによれば「日本の世界史の教科書に載っているチェコ人は、フスとカレル4世だけです」。

 今のチェコは、カトリックが39%で、プロテスタントのフス派は1%に過ぎない。カトリックとプロテスタントが争ったビーラー・ホラの戦い(1620年)で、ボヘミアは、ハプスブルク家に破れた。そのため、プロテスタントはボヘミアから追放された。なのに、カトリックを批判したフスの銅像が、中心部にあるのはなぜだろう。

 ツアーの日程は、今日の昼食で終わり。これ以後1日半は自由行動だ。添乗員に「プラハには、スリやタカリが多い。特に地下鉄は危ないから乗らないで」と、くどいほど言われた。泊まっているドンジョバンニホテルは、地下鉄駅に隣接している。地下鉄を利用しない手はないのだが、「はい!」と答えておいた。

 午後は中世の街並みを歩き回る予定。地図を頭の中に入れたつもりだったが、曲がりくねった道はわかりにくいし、看板や建物があか抜けしているので、ついそちらに目が行ってしまう。SUSHI・寿司の広告もお洒落だ(右)。こういう場所で日本を見つけると嬉しくなるものだ。

 お目当ての「ムハ美術館」には、2回も尋ねてたどり着いた。中は撮影禁止だったので、写真がない。ムハと言うより、ミュシャが馴染みがあるだろう。ボヘミア出身だが、パリで認められたアールヌーボーの画家。ポスター、カレンダー、箱のデザインなどで一世を風靡した。ちょうど今、東京都美術館で「ミュシャ展」を開催中。3月27日まで。

 再び旧市街広場に戻り、2本の尖塔が目立つティーン教会(左)へ。ティーンは税関という意味。裏に税関があったので、その名で呼ばれるらしい。どこからでも見える教会なのに、入り口がはっきりしない。近くに行ってみてわかったのだが、教会の壁と他のビルの壁が一体になっていて、ファサードはないに等しい。15世紀前半にはフス派の本拠地だったが、今はカトリック教会。

 ティーン教会の写真は、旧市庁舎の塔の上から撮った。ここは、これからプラハにいらっしゃる方には、お勧めスポットだ。プラハの街を一望できるうえに、眼下の広場に集う人の動きを見ているだけで楽しい。曲がりくねった路地、細い路地も上からの展望ならではだ。


 これほど美しく当時の姿を留めている街並みを、私は他に知らない。モーツアルトの生涯を描いた映画「アマデウス」は、プラハでロケされたが、モーツアルトが過ごした街がそのまま残っているのだから当然かもしれない。何枚もカメラに収めたが、全部載せる容量はないので、右の1枚をどうぞ。(2005年3月2日 記)

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