ポーランド・チェコの旅 4
ヴェイリチカ岩塩採掘場

2003年8月11日(月)

 ポーランドの古都・クラコフ(ポーランド・チェコの旅の地図参照)へ向かう。ツアーでの移動はバスが多いが、今日は、ワルシャワ中央駅から列車に乗る。鉄道でヨーロッパ一周を夢見ている私には、嬉しい日だ。右時刻表のいちばん下にある、8:40発のKRAKOW行きに乗車した。

 「地球の歩き方」によると、ワルシャワからクラコフまでは、1等急行でも104ズロチ。わずか3000円ほど。社会主義時代の名残か、公共の乗り物は、だいぶ安い。こんなに安い国の場合は、1等車に乗りたかったが、旅行会社が選んだのは2等車だった。

 Y夫妻、S夫妻と私たちの6人で、コンパートメントに座った。旧社会主義の国ゆえか、2等車ゆえか、お粗末な車両だった。オリエント急行を映画で見て以来、コンパートメントに憧れていたが、比較する気にもならない。コンパートメントは鍵をかけることも出来る。気心が知れた同士なら安全で楽しいかもしれないが、強盗犯と一緒の席にならないとも限らない。こんなことを考えると、個室は、必ずしも居心地はよくない。あ!これはアガサ・クリスティの「オリエント急行殺人事件」の読みすぎか?

 幸い、Y夫妻・S夫妻とも実に気持ちのよい方で、話題も豊富。今回の旅に参加している方の旅行歴には驚くばかりだが、両夫妻とも地球を制覇しそうな勢いだ。ギニア高地でのハプニング、オーロラが毎日見えた話などに、聞き耳をたててしまった。

 たまたまG球団が嫌いな人ばかり集まったこともあり、Gの横暴や、他チームの4番打者を金で引っ張ってくることへの怒りなどで、さらに盛り上がった。ツアーの場合は、下手すると、「日本」になってしまうから気をつけないといけない。でも、話の合間に見る車窓は、右写真のように、牧草地や畑が延々と続く平凡な景色だ。

 ワルシャワを8時40分の定刻に出発した列車は、予定通りクラコフに11時20分ころ頃到着。クラコフ駅から15`の地にある、ヴェイリチカという町のレストランに、バスで向かった。

 昼食が終わった頃に、かわいらしい女の子が現れた。今日のガイド・パウリナさんだ。大学で日本語を学び、夏休みに、東京、京都、奈良を回ったという。「日本の夏は、蒸し暑くて嫌だったでしょう?」「ええ、暑かったです。でも、とっても面白かった」と言っていた。ワルシャワのエヴァさんとは大違いで、洒落た服装で垢抜けしている。特に刺繍のあるパンツがかっこ良かったので「ポーランド製?」と聞いてみた。「これはパリで買ったの。おばさんがパリにいるから、パリにはよく行く」とのこと。パリもウイーンも近いのだ。彼女からは、社会主義時代の暗さをまったく感じなかった。

 今日のお目当ては、ヴェイリチカ岩塩採掘場である。彼女はいつの間にか、黒っぽい制服のガイド姿に着替えていた。(左写真)。ガイドはヘルメットを被るが、私たちには貸してくれない。万一の時のヘルメットだろうが、客はどうなってもいいらしい。

 13世紀から岩塩採掘を始め、一時はポーランド王家の収入の3分の1も占めるほどだった。1950年代まで採掘していたが、採算があわなくなり、現在は土産用の塩だけを細々と掘っている。そのかわり、岩塩坑見学は、ポーランド観光の目玉だ。1978年に、世界遺産に指定されている。この日も、各言語のガイドごとに、たくさんの人だかりが出来ていた。

 採掘場の前庭には、採掘者の像が立っていた(右上写真)。労働者達であふれかえっていた全盛期のよすがとなっている。

 入り口は、ご覧のように、レストランとでも間違えそうなたたずまいだ。赤と白はポーランドの国旗。白は、白鷲を赤は夕日を表している。


 まず地下64bまで、エレベーターで降りた。そこから、325bの地底まで歩く。広大な岩塩坑の一部を整備しているにすぎないが、それでも2.5km、2時間にもわたる見学だった。歩道も壁もすべて塩だ。試しに壁を舐めてみたら、当たり前だが、しょっぱかった。土が混じっているのかと思ったが、まぎれもなく、岩塩ばかりだった。

 

















 見学者が退屈しないように、各所に採掘労働者の姿、ポーランドの伝説、王の像などさまざまな彫像が置いてある。もちろん岩塩製.。ここでもショパンはスターだ。ショパンの部屋もあるし、楽団の演奏も行われていた。イエスとマリア像が多いのも、地上と同じである。(右上写真)

 圧巻は、採掘後の空き地を利用して作った広い礼拝堂だ。(左上写真)。大きなシャンデリアが下がり、祭壇もある。実際に、ここで、日曜には礼拝が行われているそうだ。塩の結晶で作られたシャンデリアが、暗い坑内でキラキラ輝いていた。

 距離にすればたいしたことがないが、ガイドについてゾロゾロ歩くのは、自分勝手に歩くのとはわけが違う。珍しくて面白い地下探検ではあったが、長旅の疲れが出始める頃でもあり、地上に出たと時は、ほっとした。(2004年10月15日 記)

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