ポーランド・チェコの旅 5
クラコフ

2003年8月11日(月)の続き

 岩塩坑見学の次は、クラコフの市内観光である。夕方の5時半だが、夏時間を採用しているここでは、まだ太陽がまぶしい。岩塩坑と同じくパウリナ嬢による案内だ。彼女の日本語は少々心許ないが、日本語での案内は有り難い。添乗員が通訳すると、倍の時間がかかるうえに、添乗員の語学力がいいとは限らない。

 ところが、パウリナ嬢は、市内観光の知識が不足しているのか、日本語の力がないのか、、説明がおぼつかない。歩きながら「ここは○○です」と言うのみ。○○と聞いても、事前に勉強してこなかったこともあり、ぴんと来ないから聞き流す。

 私が反応したのは、次の説明を聞いた時だ。「ここはチャルトリスキ美術館。レオナルド・ダ・ヴィンチの有名な絵もあります」「へー、どんな作品があるの」。こんな質問にも答えられず、もじもじしている。そんな彼女を助けたのは、ツアーの同行者・Oさんだ。「白てんを抱く女」と、ひとこと。

 「去年横浜美術館に展示された絵(右はその時のちらし)は、ここから来たのか」と、急にチャルトリスキ美術館に親しみを感じて外観を眺めた。中に入る時間はなかった。

 「モナリザ」と並ぶレオナルドの傑作「白てんを抱く女」を知らないのは、ガイドの資格がないなあと思いながらも、彼女に話しかけた。

 「日本人はそれほど多くないでしょう?客が少ない冬は、困るわね」。「私の仕事は、小学校の教師です。夏休みだけガイドをしています」。ずいぶん日本人もバカにされたものだ。ポーランドではアルバイトガイドが許されているのか。

 京都に例えられるクラコフは、古都らしい雰囲気を残している街だ。そのうえ、ドイツ軍が司令部を置いていたために、第2次世界大戦の被害を受けていない。

 中世の頃は城壁に囲まれた町だったが、今はその城壁が緑地帯に変わっている。旧市街の見どころが、グリーンの壁で囲まれているようなものだから、快適な散歩道になっている。(左写真)。でも不慣れなガイドに連れ回されているという不満がたまり、ほとんどの人の歩みは遅い。3日目は疲れがピークになる頃だ。

ガイドの説明がなかった代わりにガイドブックで補ってみる。円形の砦「バルバカン」は、ヨーロッパに3つしかない珍しいもの。良い写真がないので、絵はがきを借用した。(右)。言われてみれば、円形の砦は、初めて見たような気がする。

 ヤギウオ大学(左)は、14世紀に作られたポーランド初の大学である。中欧では、プラハのカレル大学に次ぐ歴史を持つ。コペルニクスやパウロ2世もここの卒業生だ。コペルニクスは、「地動説」を唱えた科学者であり宗教家だが、「銅像めぐり」で、すでに取り上げてあるので、ご覧いただきたい。銅像は、この建物の前にあった。

 旧市街にある広場は、中世の広場としてはヨーロッパ最大だという。ここにも、見せ物がいた(右)が、芸をするわけではないので、乞食みたいなものだ。でもユーモラスな動きが、彩りをそえている。

 最後に立ち寄ったのは、ユダヤ人地区。私にとってクラコフは、古都というより、映画「シンドラーのリスト」の舞台として馴染みがある。大戦前のポーランド全土には約33万人のユダヤ人がいたが、そのうち6万人がクラコフに住んでいた。

 最近の話題作「戦場のピアニスト」は、ワルシャワが舞台だが、監督はクラコフに住んでいたユダヤ人だ。ちなみに、現在は、ポーランド在住のユダヤ人は4000人弱にすぎない。

 ドイツ軍は、1939年にポーランドに侵入し、2週間で全土を制圧した。その時に、ユダヤ人は市内の1カ所に集められたわけだが、その地区が保存されている。(左写真は住居の部分)。

 この狭い地区に、ユダヤ人教会・シナゴーグ、博物館、共同墓地もある。ここだけは事前にガイドブックで読んでいたので、期待していたが、見学時間は10分ほど。単に「シンドラーのリストのロケ地を見せてあげますよ」ほどのお情け観光だが、見ないよりはマシだった。

 ワルシャワは、ノボテルホテルだったが、クラコフもノボテル。列車での移動、岩塩坑、徒歩による市内観光と盛りだくさんの1日だった。(2004年10月31日 記)

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