ポーランド・チェコの旅 6
シンドラーのリスト・バベル城

2003年8月12日(火)

 午前中は、昨日に続きクラコフ観光である。1993年にスピルバーグ監督によって制作された映画「シンドラーのリスト」のオスカー・シンドラーは、実在のドイツ人だ(1905〜1974年)。左写真は、DVDの表紙。赤い小さい字のリストが、上書きされてある。

 シンドラーが住んでいたアパート(右写真の2階の部屋)を、外から眺めた。今は他の人が住んでいるので、内部には入れない。「こんなもの撮ってもしょうがないな」と呟きながら、シャッターを切った。

 映画では、内装が豪華だった。クラコフにいた頃の彼は大金持ちだったから、当然だろう。映画のシーンを思い浮かべて想像するしかない。上階のおじさんが不思議そうに日本人の集団を眺めている。手を振ったが、無視されてしまった。

 ナチスドイツに取り入ったシンドラーは、人件費の安いユダヤ人を雇用することで莫大な富を手にした。会社の利益だけを考えていた男が、ナチスの横暴に接するうちに、次第にユダヤ人への同情と愛を増していく。アウシュビッツ送りが決まっていた従業員1100人を、私財をなげうって救い出す。その1100人は、後に「シンドラーのリストのユダヤ人」と言われた。「善のリスト」「生命のリスト」とも呼ばれている。

 初期の動機がなんであれ、1100人の命が救われたことは確かだ。そして「シンドラーのユダヤ人」は、現在6000人以上に増えている。映画は、実在の「シンドラーのユダヤ人」が、彼の墓に石を供えるシーンで終わっている。感動的なラストだ。

 「シンドラーの家」のすぐ近くに、歴代の王が居住していたバベル城がそびえ立っている。ほとんどの城がそうであるように、ここも高台に建っているので、バスを降りてから少々歩く。

 城までの道すがら、ヴィスワ川をはさんで対岸に、モダンな建物が見えた。(左写真)。日本の磯崎新氏が設計した「日本美術・技術センター」との説明があった。浮世絵、武具、漆器、着物など7000点ものコレクションがあるという。

 クラコフに都が置かれたヤギウオ王朝時代(1386年〜1572年)は、ポーランドの全盛期。プラハやウイーンとならぶ中欧の中心都市だった。
 この日のガイドは、知的な女性・ダリオシュさん(右)。日本に留学していたので、きれいで正確な日本語を話す。

 中欧の中心都市だっただけに、残っている王宮や、大聖堂は豪華で見応えがある。左写真は、城の入り口。見張り塔が重々しい。

 城門を入るとすぐに大聖堂がある。(右写真)。3つの礼拝堂があり、歴代のポーランド王の戴冠式は、ここで行われた。ワルシャワ遷都後も、18世紀までは、戴冠式の場はここだった。

 1320年にゴシック様式で着工、その後、数世紀にわたってルネサンス様式やバロック様式が加えられて完成したという。バルセロナのサグラダファミリアがそうであるように、教会には、数世紀にわたる建築例がたくさんある。

 日本の法隆寺や東大寺が数世紀にわたって建設されたなど、聞いたこともない。この違いは、どこから来ているのだろう。

 大聖堂の奥には、旧王宮がある。現在は、博物館になっている。それぞれ、ダリオシュさんが、丁寧に説明してくれたが、王の肖像を見ても、馴染みがない王なので、覚えていない。壁を飾るタペストリーの絵柄は、ほとんど聖書からの引用だ。これまたキリスト教に無縁な者には、せっかくの説明も素通りしてしまう。

 そんな中で、忘れられない部屋は「議員の間」。天井に、頭部だけの彫刻が30以上ついている。歴代の王や司祭の顔だという。議員の間とついているからには、ここで会議をしたようだが、お目付役に上から眺められての会議は、なにやら気持ちが悪い。
 クラコフ観光は、ここまで。バスで2時間ほどのザコパネに向かった。(2004年11月15日 記)

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