ポーランド・チェコの旅 7
リゾート地・ザコパネ

2003年8月12日(火)

 クラクフからバスで2時間。スロバキア国境にあるザコパネに着いた。ザコパネが近くなるにつれ、車窓の景色も変化に富んでくる。もみの木が多くなり、独特の三角屋根を持つザコパネスタイルの家が続く。平坦な地が多いポーランドでは、ここが唯一の山岳リゾート地である。

 土産物屋が並ぶ中心街は、夏の軽井沢の賑わいと同じようなものだ。(左)。ワルシャワ・クラクフとも混雑とは無縁の街だったが、ここは、肩もふれあわんばかりだ。

 レストランで隣に陣取っていたスペイン人団体もうるさい。以前は「農協さん」と揶揄された日本人の団体だが、今まで各地で出会ったアメリカ人、イタリア人、スペイン人も紳士淑女とは到底思えない。私たちなど、おとなしい方だ。どこの国の人であれ、「3人寄れば姦しい」のは、なにも日本の女だけではないのだ。

 ザコパネの観光ガイドは、赤いシャツにラフなズボンをはいたユーレックさん。(右)。年齢は50歳前後だが、ハンサムで感じがいい。リゾート地などガイドがいなくてもよさそうなものだが、ここでもお定まりの教会を2〜3見学。軽井沢にも森の中のひっそりたたずむ教会があるが、そんなものだ。

 まず「聖家族教会」。地元でとれる石で造られた教会だ。豪華絢爛さを競うかのような教会ばかり見てきたので、素朴な石造りは、心が安まる。

 入り口に黄色と白の旗が掲げてあったので(左)「あの旗は何?」と聞いた。旗の話からユーレックさんの熱弁が始まった。「パウロ2世がこの教会を訪れた記念にバチカンの旗を飾ってある。彼が生まれたのはこの近郊だから、ここは故郷のようなもの。12歳の時に、ザコパネに滞在してスキーをしたんだ」と、実に嬉しそうに話してくれた。小学生の時のスキーが語り草になるのは、パウロ2世がよほど愛されているのだろう。

 更に趣があるのは「聖マリア教会」だ。(右)。釘や鉄を一切使わない木組みの教会である。地元民の手造りだという。ステンドグラスだけはクラクフの職人が造った。中心街から少し離れているので、森に囲まれたロケーションも素晴らしい。喧噪とは無縁だ。

 木組教会の木の種類を尋ねたら、「松だよ。日本にも松はあるか」と逆に質問された。「松は日本には多いですよ。立派な庭には松を植える。手入れは大変だけど」。日本庭園を見たことがないユーレックさんには、手入れの意味がわからなかったかもしれない。

 ユーレックさんはこの教会で結婚式をあげたという。彼がザコパネの人だということはすでに聞いている。「奥さんもザコパネの人?」と聞いてみた。「そう。彼女はフランス語の教師をしている。息子は20歳と18歳。上の息子はアメリカのシカゴの大学生。親類がシカゴにいるから」と聞かないことまでしゃべってくれた。

 山岳パトロールが彼の主な仕事だ。スキー客が多い冬は不眠不休だが、夏は暇なのでガイドもやっているらしい。ポーランドがソ連の衛星国だった時には、体育の先生をしていたという。ユーレックさんが学校で学んだ第2外国語は、ロシア語のはずだが、彼の英語はなめらかだ。どこで学んだものやら。おばさんがシカゴに住み、イギリス空軍に属していたおじさんもロンドンに住んでいる。いざとなったら脱出したいとでも考えていたのか。「自由の国になって本当に嬉しい」の言葉が印象に残っている。


















 ザコパネはどことなくポーランドの他の町とは趣を異にしている。コーラやタバコなどアメリカ製の看板ばかりだ。ユーレックさんの説明を聞いて納得した。「アメリカにポーランドの移民が50万人も住んでいた。ザコパネは貧しかったので、アメリカに新天地を求めた人が多い。解放後、彼らが帰国してリゾート地を作り上げた」。もちろん以前から、観光地ザコパネはあったにしろ、これほどの賑わいは、解放後のことだろう。

 修道女までが明るい。上の写真は談笑している2人と、アイスクリームをなめながら歩いている2人連れ。私まで楽しくなって、いそいでシャッターを切った。黒い服装の修道女は敬虔に祈っていて欲しいと願うのは、こちらの勝手であった。

 次は、ケーブルカーに5分ほど乗り、標高1136bの地点まで。ザコパネの町やタトラ山脈は、のびやかな光景だ。(右)。見える山のほとんどは、スロバキアに属するという。スロバキアはすぐそこだ。ケーブルカーは、スキー客のためのものだが、夏もこうして運行している。

 ソーセージやチーズをその場で造って売っていたが、まだ旅は始まったばかり。買うわけにもいかず、匂いだけで我慢した。カウボーイ姿のおじさんも、客待ちをしていた。こんな風に、日本のどこにもありそうな観光地だった。


 ケーブルカー乗り場に座っていると、ユーレックさんが近づいてきた。このオバサンなら、話し相手になってくれると思ったのかもしれない。

 彼は日本には行ったことがないが、興味は持っている。ザコパネでスキーのワールドカップが開かれたこともあり、フナキカズヨシやオギワラケンジの名がすらすら出た。ポーランドの果てのような場所で彼らの名を聞くのは嬉しいものだ。


 「日本でいちばん高い山知ってる?」「富士山、3776b。ゴミが多いので世界遺産に指定されないんだってね」と耳が痛いことまで知っていた。「去年、マッターホルンに登ったけど、そこでも大勢の日本人に会ったよ。」とも。そういえば彼の本職は、山岳パトロールだ。

 ザコパネは、短い滞在のポーランドであえて訪ねなくてもいいような地だが、ユーレックさんに出会えたことで、思い出深い地になった。今日のホテルはザコパネ。小ぎれいでさっぱりした部屋だった。

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