ロシアの旅11(最終回)
 サンクトペテルブルグ その4

2008年7月13日-11目

サンクトペテルブルグでのフリータイムの続きを書いている。一昨日訪れたアレキサンドルネフスキー劇場前の公園に、堂々たるエカテリーナ像(銅像めぐり「エカテリーナ」参照)が建っていた。フリータイムの集合場所が銅像前だったので、またもこの像をゆっくり見ることになった。

劇場とエカテリーナ エカテリーナを取り巻く男性 ツルゲーネフ像
劇場とエカテリーナ像 エカテリーナを取り巻く男性たち ツルゲーネフの像

 ロマノフ王朝最盛期の女帝だが、意外にもここにしか銅像はないという。立っているエカテリーナの回りを8人ぐらいが、かしずくように座っている。エカテリーナには10数人の愛人がいたと聞いている。ナターリャさんに「下にいる男性は愛人達かしら?」と聞いた。彼女は「愛人じゃありません。彼女を支えた政治家たちです」と笑いながら答えた。でも政治を支えた人に、愛人がいたとも聞いている。

 ロシアの旅で、スターリンこそ小さな胸像だけだが、レーニンは数体見た。ピョートル大帝に至っては数体どころじゃない。文学者、音楽家の銅像にもたくさん出会った。でも数ある銅像の中で、エカテリーナ像はベストだと思う。威風堂々としているし、なにより家来をかしずかせていることが気に入った。
スフィンクスと聖イサク寺院 フリータイムが終わり夕食のレストランに行く途中で、芸術アカデミー前にあるスフィンクス像前(左)でバスを下ろしてくれた。ネヴァ川の対岸には、聖イサク寺院の金色のドームが見える。絵になる光景を、芸術学院の学生がスケッチしていた。

 ツアー最後の食事を、元貴族の館「ニコライパレス」でとった。入口から幅の広い階段を上ると、ロマノフ王朝の衣裳を着た女性が慇懃に案内してくれた。

 私達と同じ時刻に入ったのは、中国人と韓国人の団体だった。ロシア人は、日本人を含めアジア人を内心では馬鹿にしているように思う。モスクワのスラヴァさんは「日本人は嫌われていません」と言った。暗に中国人や韓国人は嫌われているということだろう。確かに、中国や韓国の団体は私たちよりもうるさいし、品格に欠ける気がする。

ニコライパレスの外観 ニコライパレスの内部 パレスでのディナー
ニコライパレスの外観と庭 演奏とロマノフ王朝の衣裳を着た女性が迎えてくれた。 パレスでのディナー

 白いテーブルクロースをしたテーブルには燭台があり、花も飾られている。食事はむしろいつもの方が美味しかったが、最後の夜をこういう演出で楽しめたのは良かった。ピアノの生演奏もあり、リクエストにも応えてくれた。

 夕食を終えてもまだ明るい。ホテルに隣接している24時間のスーパーマーケットに行ってみた。土産にウオッカを買いたいと探していたら、酒類は部屋が別になっているほど充実していた。食事のときに夫が飲んでおいしかった銘柄を買った。チョコレートも2日前に市場で買った値段より安い。損しちゃった。

きれいなトイレットペーパー

 ロシアのトイレットペーパーは固くてゴワゴワしているから持参した方がいいと、ガイドブックに書いてある。日本の終戦後には、新聞紙や雑誌を使っていたこともあった。それにくらべればどうということないので、私はもちろん持参しなかったのだが、少なくとも私が泊まったホテルや有料トイレにそんな代物はなかった。

 スーパーで売っているペーパー(左)も真っ白か薄いピンク色など日本と変わらない。タマゴ1パックは180円ぐらいで日本と同じ。年金生活者の生活が苦しいわけだ。

まだまだ空は明るい。ホテル裏にあるバルチック海の浜辺まで行ってみた。バルチック海と聞くと、日露戦争のときのバルチック艦隊を思い出す。  <サンクトペテルブルグのプリバルチスカヤホテル泊>

7月14日(火)15日(水)−12日目・13日目

 11時まではフリータイムだったが、ホテルは街から離れているので、朝食に時間をかけてゆっくり過ごした。「地下鉄に乗ってモスクワ駅(到着駅が駅名になっている)まで行ったのよ」いうご夫婦がいたが、最近の私達には、こうしたどん欲さが少し失せているようだ。

 サンクトペテルブルグ空港でナターリャさんとお別れ。彼女には名刺をもらったので、メールを交わせる仲になるといいのだが。添乗員、2人のガイド、ツアーの仲間に恵まれて楽しい旅だった。

13時50分サンクトペテルブルグ発→プルコヴァ航空で15時30分モスクワ着 18時45分モスクワ発→JALで13日の8時45分成田着

(2010年4月4日 記)

感想・要望をどうぞ→
シアの旅1へ
ホームへ