ロシアの旅4 2008年7月6日(日)-4日目 いちばん晴れて欲しい今日に限って、横殴りの雨が降っている。夏の旅行では強い雨にあったことがなかったので、ヨーロッパの夏は雨が少ないと勝手に決めていたが、実はロシアの7月は1年中で降雨量がもっとも多いそうだ。 モスクワの北東に環のように連なる古都を「黄金の環」と呼んでいる。黄金の環のひとつスーズダリは12世紀には、ウラジミール・スーズダリ国の首都だった。15世紀にモスクワ公国の一部となってからは、宗教の中心地。たたずまいは当時とほとんど変わっていないと聞いているが、よりによって大雨である。 まず木造建築博物館に行った。博物館の入口で、「カッサ」というロシア語を覚えた。添乗員さんが券を買おうとしたら、オバチャンが「カッサ、カッサ」と別な方を指す。折りたたみ傘を持っていたので、傘はあちらに置けということかと思ったら、カッサは入場券売り場のことだった。これ以後、「カッサ」の表示を見るたびに、この日の雨を思い出す。 近隣の村から移築した夏の教会・冬の教会(左が夏、右が冬の教会)・農民の家・風車小屋が点在していた。寒さが厳しい冬の教会は小さく作られている。 カーメンカ川にかかる木造の橋を渡り、クレムリンに向かった。城塞を意味するクレムリンは、モスクワばかりではなくあちこちにある。スーズダリのもっとも古い部分で、今も土塁や白い城壁が残っている。小降りになったこともあり、クレムリンに向かう道は気持ちよかった。青空ならさぞかし素晴らしいだろうと思いつつ、田舎道に点在するタマネギドームやスーズダリ特有の民家の窓を楽しんだ。
昼食はロシア人の一般家庭で。一般の人にふれ合うチャンスはめったにないので、少し楽しみにしていたが、予想通り単なるレストランだった。一家の主ウラジミールさんが、食事を運んでくるだけで、私たちと交わろうともしない。奥さんと子どもは台所から出ても来ない。こういうのを「家庭訪問」と名付ける旅行会社のセンスが疑われる。 昼食を終えて外に出ると、雨は上がっていた。青空。路上の数ヵ所で自家製キュウリを売っているお婆さんがいた。スーズダリはキュウリの産地で、国際キュウリ祭りが開かれるという。キュウリ祭りなど聞いたことがないが、なにやらおもしろそうだ。 スーズダリの次に向かったのは、黄金の環のひとつウラジミール。有名なウスペンスキー寺院は1158年の建築で、14世紀まではロシア正教の最高位だったが、後にモスクワのウスペンスキーにその地位を奪われた。トレチャコフ美術館にある有名なイコン「ウラジミールの聖母」は、もとはこの教会にあった。 ウスペンスキーのすぐ側にある聖ドミトリエフスキー寺院は外壁の浮き彫りが見事。展望台から、黄金の環の景色を眺めた。緑の中にタマネギ屋根が見える絶景。 次は、ウラジミール市の北東10キロにあるネルリ教会に行った。バスが駐車できるシベリア鉄道の「ボゴリューボボ駅」から歩かねばならない。片道20分ほどだが、これぞロシアの原風景ではないかと感激した。もちろん天気が良かったこともある。小さな花がひっそり咲いている草原を歩いていくうちに、遠くにネルリ教会が見えてきた。近寄ってみると、ネルリ川がすぐ側を流れている。春先になると、小川の水が溢れて教会が水上に浮かぶように見えるらしい。水上教会は見ることができなかったが、川面に映える白い教会は、これぞ絵はがき。
同じ道を戻る時に、ちょうど列車が通った。シベリア鉄道は、私たち世代には憧れだった。若い頃はヨーロッパまでの飛行機はとてつもなく高く、しかも海外旅行が自由化されていない。シベリア鉄道なら、安くヨーロッパに行けそうな気がした。そのシベリア鉄道も間近で見たし、朝の不機嫌はどこへやら、ご機嫌の午後を過ごした。 左写真はシベリア鉄道のボゴリューボボ駅と背後にある青屋根の正教寺院。 途中のレストランで夕食後、きのうのホテルに8時半ころ戻った。今日は停電していなかった。<スーズダリの ホテル泊> |